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カテゴリ:日々の随筆
●標識 道路を歩いていて、おかしな標識に出会った。カメのマークでもあるようで、カメでもない。その下には、時速20キロと書いてある。 通りかかった人に、「あれは何のサインか」と聞くと、「先に、丘があるから」と言った。しかし丘など、どこにも見えない。 そこで「?」な顔をしていると、道路を指差した。そこには、道路を横切って、高さ、10センチほどに、盛り土がしてある。つまり車が、スピードを落とすように、わざと盛り土をしてあった。 速い速度だと、車が、バンプしてしまう。「いいアイデア」と感心する。 ●売り家 道路を歩いてみて、売り家が意外と多いのには、驚いた。このあたりの人たちは、収入に応じて、つまりヤドカニのように、家から家へと渡り歩く。もちろん、貧しくなれば、貧しい家に移る。 日本でいうような「家意識」というのは、まったく、ない。昔、福沢諭吉が留学先で、「ワシントンの子孫はどうしているか?」と聞いたときのこと。アメリカ政府の高官たちは、みな「知らない」と言ったという。 それを聞いて、福沢諭吉は、たいへん驚いたという。当時の日本の常識では、考えられないことだった。 一方、日本では、いまだに、「家」にこだわる人が多い。人は何かの(心のより所)がないと生きていけないのかもしれない。 となると、オーストラリア人たちは、何を、(心のより所)として生きているのかということになる。 D君にしても、過去の話は、ほとんどしない。自分のキャリアを自慢することもない。サバサバしている。 ●6か国協議 先ほど、インターネットで、日本の「朝日ニュース」を見た。どうやら6か国協議は、休会に入ったようである。 よかった! これで中国のメンツは、丸つぶれ。韓国も、援助をしにくくなるだろう。ロシアは、先に抜けてしまったようである。ひとりガッカリしているのがヒルさんらしいが、そんなことは、最初からわかっていたはず。 金xxは、まともではない。たった28億円のことで、その数十倍もの援助をフイにしている。このあたりが、常人では理解できなところ。 一方で、テロで脅しながら、「テロ国家指定を解除しろ」とは! しかもBDAで制裁解除しても、ほかの銀行がそれに追従するとは限らない。「やっぱり、K国は信用できない」となれば、ますます制裁の度合いを高めるだけ。 わかっていないな? ●ワイフ 今ごろワイフは、ひとりでさみしがっているだろうか。それとも、「鬼のいない間に……」とか何とかで、羽を伸ばしているだろうか。 私にはわからないが、私のほうは、早く、ワイフに会いたい。何を見ても、ワイフに見せたい。そんな気持ばかりが先に立つ。 まあ、たまには、離れ離れになるのもいいだろう。「ひょっとしたら、飛行機事故で死ぬかもしれない」とワイフに言うと、ワイフは、「生きて帰ってきてよ」と言った。 うれしかった。 ●結婚式 結婚式は、市内近くの教会で行われた。それが午後2時半。 それから私たちは、それぞれの車に分乗して、披露宴会場へと向かった。それが何と、車で、1時間半もかかるところにある、遠くの会場! 1時間半というが、オーストラリアでは、高速道路(フリ-ウェイ)を使っての1時間半である。日本の感覚からすれば、2つも3つも離れた町で披露宴をするようなもの。これはアメリカでも感じたが、こうした大陸では、距離感が、日本のそれとはまったくちがうようだ。 で、その会場というのが、中世の城を思わせるような古い建物。シェークスピアの劇がそのままできるような建物だった。 そういう建物が、まるで映画のセットのように並んでいる。オーストラリア人にとっては、何でもない雰囲気かもしれないが、私は感動した。1時間半もかかってきたというのに、それをすっかり忘れて、私は夢中で、デジカメのシャッターを切りつづけた。 ●明かり 披露宴会場は、薄暗かった。それぞれのテーブルに、ローソクが3本ずつ。あとは周囲の壁に、4、5本ずつ。部屋を暗くして、さらに暗くしたような感じだった。 私が周囲のオーストラリア人に、「暗くないか?」と聞くと、「暗いが……」という返事がかえってきた。しかし一向に気にする気配はない。「このほうが、落ち着いて話ができる」と。 で、そのうち、欧米人と日本人のちがいの話になった。「私たちの目は、小さく細い」「君たちは、北欧という、もともと太陽光線の少ないところで進化した」「だから薄暗いところでも平気なのだ」と。 彼らは日中ともなると、みな、サングラスをかける。日本人とオーストラリア人とでは、感ずるまぶしさに、ちがいがあるようだ。 ●花婿 花婿は、市内で証明器具を扱う会社を経営している。個人でしているという。こうしたケースは、オーストラリアでは珍しくない。若い人たちは、どこかの会社に属することよりも、独立して何かの事業をおこすことを望む。 国民性のちがいというよりは、教育の仕方のちがいによる。さらに言えば、もともとオーストラリアという国は、開拓の時代から、そういう国だった。アメリカにも、西部開拓史のような歴史があったが、オーストラリアにも、あった。 そうした精神が、今でも力強く生きている。 が、半面、弊害もある。オーストラリアでは、大きな組織が育たない。D君は、こう言った。 「オーストラリアのような国は、アイデア(知恵)で勝負するしかない。そのためにも、個人の競争は欠かせない」と。 しかし雨後の竹の子のように、新しい事業が生まれ、同じ数ほどの事業が、つぎつぎとつぶれていく。これがオーストラリアの現状ではないか。 ●ギリシア人街 私がオーストラリアにはじめてきたころには、ギリシア人やイタリア人は、街の一角に集団で住んでいた。どちらかというと貧しい人たちだった。 それが今では、すっかりサマ変わりしていた。「ギリシア人たちはどこへ行ったのか?」と聞くと、D君は、こう言った。「彼らは貧しいから、一生懸命に働いた。で、今では金持ちになった。金持ちになって、それぞれが独立して暮らすようになった」と。 皮肉なことに、今、オーストラリアでは、もとからいた白人、これをレイジー・オーストラリア人というが、その白人が、相対的に、貧しくなりつつある。 そのうち、中国系の移民や、インド系の移民、さらには韓国系の移民たちよりも、貧しくなるかもしれない。 ●インターナショナルハウス メルボルン(タラマリン)空港に向かう途中、D君が、インターナショナルハウスに寄ってくれた。時間は、15分。 私は車から飛び出すと、カメラを前にもち、あたりかまわず写真を撮り始めた。 が、昔のようにだれでも入れるわけではない。玄関のガラス窓越しに、たまたま近くにいた女性に声をかけると、玄関を開けてくれた。 「1970年の学生です」とだけ、自己紹介した。学生かと思ったが、その女性は、なまりのある英語で、「チューターだ」と言った。 カレッジでは、学生と同時に、年長の講師が、チューターとして、いっしょに寝泊りすることになっている。その女性が、あちこちを案内してくれた。……といっても、案内は必要なかった。 ただおかしなことに、私はトイレがどこにあるかを忘れてしまった。毎日使っていたはずなのに……。近くにいた女子学生に、場所を聞くと、地下室にあることがわかった。 ●夢が、現実に! あの時代は、私にとっては、今では、夢のようなもの。本当にあの時代があったのだろうかとときどき、思う。 しかし決して、(夢)ではなかった。インターナショナルハウスは、ちゃんと、そこにあった。何もかも、そっくりそのままの形で、そこにあった。 それは新鮮な驚きだった。体中が、時の流れを感じ、その流れが、サーッと心を洗っていくかのように感じた。 私は、37年前に、たしかにここにいた。そして今もここにいる。 私はハウスで、ハウス・タイ(ハウスの紋章の入ったネクタイ)を買うつもりだったが、あいにくの日曜日。事務所は閉まっていた。 近くにいた学生が何人か、あれこれ骨折ってくれたが、事務員がいなかった。私はていねいに礼を言うと、ハウスの外に出た。 ●マルチカルチュアル オーストラリアは、多民族国家である。さまざまな人種が、たがいの領域を守りながら、共存している。こんなことは、今さら説明すべきようなことでもない。 で、改めて、民族とは何か、考えてみる。わかりやすく言えば、オーストラリアには、オーストラリア人と言われるオーストラリア人は、いない。オーストラリアに住んで、オーストラリア国籍を取った人が、オーストラリア人ということになる。 それこそ先祖をたどれば、メチャメチャ。祖父はイギリス人で、祖母はウクライナ人。父は、中国系の女性と結婚して……というようなことが、この世界では、珍しくない。 こんな世界で、「私は、日本人」と主張しても、ほとんど、意味がない。「アジア人」と言ったほうが、彼らには、わかりやすい。実際、私は、1970年当時、そう言っていた。 繰りかえすが、こんな世界で、へたに武士道なるものを強調すれば、変人扱いされる。どこまでも無色、透明になって、彼らの世界に溶けこむこと。こういう世界で、楽しく生きていくためには、それしかない。 ●披露宴 話が前後するが、許してほしい。 披露宴は、メルボルン市の郊外にあるレストランで行われた。ゆるい坂をのぼった山の上に、それがあった。 10~15戸くらいの家やレストランが散在していた。どの家も、中世の城を思わせるような建物だった。 しかしそこはさすが、オーストラリア人。1人の男性(60歳くらい)が、こう教えてくれた。 「ミスター林、あの壁を見てごらん。黒い石と、白い石が、まだらに積まれているだろ。白い石は、どこかの家を解体してもってきた石なんだよ」と。 つまり中世の城に似せてつくってはあるが、廃材を組み合わせて作った建物ということになる。しかし私を感動させるには、じゅうぶん。 ●美しい女性 美の基準が、西欧化してしまっている以上、これはどうにもし方のないことかもしれない。しかしその基準をさておいても、まるで絵から抜け出てきたような美しい人を、何人か見かけた。 その中の1人が、レストランでメイドをしていた女性である。 年齢は20歳前後か? 金髪というよりは、銀色の髪の毛だった。肌は透きとおるように白かった。「どうしてこんな美しい人がこんなところにいるのだろう」と、正直、そう思った。 美しさのレベルがちがう。彫りの深い顔。知性的な目つき。細く流れるように額を走るまゆげ。見ているだけで、うっとりする。まるで絵の中から飛び出したような女性だった。 (つづく) Hiroshi Hayashi+++++++++Mar 07+++++++++++はやし浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月29日 09時10分55秒
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