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カテゴリ:日々の随筆
●日本 このオーストラリアから見ると、日本が、小さな国に思えてくる。……思えてくるというよりは、かつてそう思った自分を思い出す。そしてそれがそのまま、今の私の印象に変わる。 しかしやはり、小さな国だ。しかしその一方で、それが私の国。その国では、日本語が通ずる。習慣も、風習も、私に体にしみこんでいる。 そういう国を大切にしなければならないことは、当然のこと。もし日本語が消えてなくなってしまったら、私が今まで書いてきたことは、すべて、そのままツユと消えてなくなってしまう。私が私でなくなってしまう 何も愛国心なんて、ぎょうぎょうしいことを言わなくても、そんな(心)ならだれでも、もっている。いざとなれば、私たちは、日本人として、すべきことをする。 ●3月24日 今日は、結婚式。一生の間で、かくも緊張する日は、そうはない。結婚する当事者にとっても、また、その親たちにとっても。 昨夜は、D君は、午後8時ごろ、床についた。私も、それを聞いて、そのあとすぐベッドに横になった。睡眠薬を、4分の1錠ほどのんだ。2錠、のむことになっているが、2錠ものんだら、気がヘンになってしまう。 朝まで、ぐっすりと眠った。……というより、またまたあの屋根をたたきつけるような雨で目がさめた。水不足で悩むオーストラリアにとっては、まさに恵みの雨。どれだけ多くの人たちが、その音を待ち望んでいたことか。 時計を見ると、午前4時。風呂タブに湯をはって、風呂に入る。 ●部屋 オーストラリア人の家は、どこも、大雑把(ざっぱ)。これについては、前にも書いた。壁も厚く、床もしっかりとしているが、大雑把。日本でいうような、プレハブ工法の家は、まだ少ないようだ。またそういう建て方には、なじまない。 レンガ職人が、レンガを積み重ねて、家を建てる。そんな感じがする。 で、掃除の仕方にもよるのだろうが、大きな家になると、どこも、ほこりまるけ。D君の家も、奥さんが亡くなって、3か月になる。掃除らしい掃除は、していないらしい。 それに加えると、間取りがメチャメチャ。日本でいうような「型」というものがない。ただあえて言うなら、共通点としては、玄関を入ると、やや長い廊下があって、その両側に、部屋がある。一番近い部屋が居間ということになる。その奥が台所にキッチン。さらにその奥が寝室といったぐあいである。 家の建て方は、イギリス流。しかしそこからが、問題。今朝も、髪をとかすクシをさがすため、母屋(おもや)のほうへ行ってみたが、迷路の中に入ったような気分になった。何度か来たことがある家とはいえ、右へ迷ったり、左へ迷ったり……。 ●無理ができない 自分では若いつもりでオーストラリアへ来たが、どうもそうではないようだ。 何をしても、疲れが先に立つ。幸いにも、昨夜は、すぐ眠ることができたが、それとて、簡単なことではない。加えて、風邪が抜けない。いまだに鼻水が出る。のどが痛い。 観光旅行なんて、とても考えられない。ホテルに寝泊りしながら、その周辺を歩き回る程度で、疲れてしまう。またそれでじゅうぶん。 何かの目的があれば話は別だが、観光名所など、今の私には、ほとんど興味はない。 このあたりでは、ヘアー・クリームは、理髪店で買うとか、子どもの遊び場(野外)には、コルクが敷き詰めてあるとか、そういったことのほうが、おもしろい。ふだんの、何気ない生活の中にこそ、見所がある。 それにしても、無理ができなくなった。よく50歳をすぎて、単身赴任で、外国へ行く人がいる。が、健康管理の面だけでも、たいへんなことだと思う。それがよくわかった。 ●やはりホテルのほうがよい せっかく招待してくれたので、それについてとやかく言うことはできない。しかし次回からは、ホテルに泊まることにする。 ホームステイだと、いろいろ気をつかう。バスタブにしても、使いっぱなしというわけにはいかない。きれいに洗い流したあと、タオルもきちんとかけておかねばならない。使ったクシは、洗って、もとの位置に置かねばならない。……などなど。 ベッドにしても、そうだ。こちらでは、日本でいう布団のようなものは、使わない。寒いときは、毛布を重ねて使う。その毛布を、そのたびに、たたまなくてはいけない。 そういった作業が、結構、たいへん。めんどう。 今さら親交を深めるということも、あまりない。会うときは会う。またその範囲で、会う。……そういう意味では、D君は、私のことを、学生時代のままの私に思っているようだ。 往復の旅費だけで、20万円弱。それにおみやげだ、祝儀だとかで、結局は30万円近い出費。ホームステイをして、数万円の宿泊費をケチって、それでどうなるというのか。 ●一転、冬の冷気 大陸の気候は、急激に変化する。しかもその変化の仕方が、はげしい。 昔、サンパウロに行ったときのこと。朝は、寒いので、セーターが必要だった。が、昼ごろになると、今度は一転、夏の陽気。一日の間でも、寒暖の差がはげしい。 今が、そうだ。昨日は、「異常な暑さ」だった。しかし今朝は、冬のような冷気を感ずる。これが大陸の気候の特徴。島国の日本では経験できない気候である。 つまりその分だけ、彼らは彼らなりに、地球温暖化の問題について、敏感に反応する。30年前には、世界一、気候が温暖なところとして知られていたメルボルン市だが、ここ10~20年で、大きく変化した。 市内の議会前に立っている大理石の像にしてみ、酸性雨の影響らしく、見る影もなく、ボロボロになっている。 とても悲しいことだが、この地球は、確実に病み始めている。しかも急速な勢いで、病み始めている。 ●書くということ パソコンをあちこちにもって歩くのはたいへんなことだが、しかしそれさえあれば、こうして自由気ままに時間をつぶせるというのは、すばらしい。 画家がスケッチをするようなものか。 もし何もすることがなかったら、時間をどう過ごすか、それだけで、イライラしてしまうはず。しかしパソコンに向かったとたん、指がキーボードを求めて、動き出す。とたん、退屈を忘れる。 今回は、古いパソコンだが、私が一番気に入っているのが、P社のLet‘s Note。今回は、それをもってきた。キーボードの感触が、よい。ストロークは浅いが、その分、疲れが少ない。 で、こうして思いついたままを書く。ほとんど意味のない文章ばかりだが、頭の体操にはなる。それに書いていると、それまで気がつかなかったことに、気がつくことが多い。 ただD君は、本が好き。自分では、書かない。だからいつも本を読んでいる。一方、私自身は、本は、あまり好きではない。興味のある本しか、読まない。 これは、野球の中継を見て楽しむタイプの人と、自分でプレーをして楽しむタイプの人のちがいではないか。 ●早く日本へ帰りたい D君には悪いが、早く、日本へ帰りたい。そばにいると、空気みたいで、その存在価値がわからないが、ワイフがそばにいるのと、そうでないのとでは、私自身の精神状態は大きくちがう。 私が見たいというよりは、私がワイフに見せたいものが、ここには、山のようにある。「見せたいのに、見せられない」……というのは、たしかにストレスだ。波にたとえるなら、さざ波のようなストレス。それがどこへ行っても、ザワザワと襲ってくる。 次回は、必ず、ワイフを連れてくる。ワイフも、来たがっていた。 昨日来たばかりなのに、今朝は、こう思う。「あと、1日のがまん」と。 ●ネクタイ ネクタイには、最後まで迷ったが、結局は、正式の(?)、黒にした。D君が、茶色の縞模様のを貸してくれたが、やはり、ここは正式の色でいこう。 日本人は、礼に始まって、礼に終わる。……という言い方は好きではないが、せっかく日本からもってきたことだし、「黒でも悪くない」というのなら、黒でよい。 ところで、失敗談が、いくつかある。 オーストラリア人の家庭では、多くは、土足でもよいということになっている。それはそれで結構なことだが、そのため、床が汚い。ドロとか、そういうもので汚れるということはないにしても、ハウスダストや髪の毛、その他、もろもろのホコリがたまっている。 大きな家になると、掃除もままならないらしい。 で、日本から、日本型の礼服をもってきたが、これが100%、ウール。下にそれを落とすたびに、ドカッと、礼服にホコリがつく。そのたびにタオルで、拭くのだが、拭いただけでは落ちない。しばらくすると、ホコリが全体に広がっているのがわかる。 そこで礼服を、壁にかけるのだが、オーストラリアでは、床よりも壁のほうが汚れている。床掃除をする人はいても、壁掃除する人はいない。 しかたないので、またまたドアのサンに礼服をかける。しかしそのたびに、下へ、ドサッと落ちる。 あああ……。 こんな作業だけで、何十分も無駄にした。やはり、日本の家のほうが、好きだ。 ●6か月ぶりの雨 昨夜の雨は、6か月ぶりの雨だったそうだ。驚いた。「6か月!」と驚いていたら、「もっとなるかもしれない」と。 オーストラリアの水不足は、かなり深刻なものだったようだ。 で、朝起きると、私は近所の写真を撮りにでかけた。オーストラリアでは、ごくふつうの住宅地とみてよい。どの家にも、たくさんの木が植えられていた。しかし問題は、水。きれいな庭木がある家の前には、たいていこんな標識が門のところにつけられている。 「うちの庭木に与える水は、リサイクルしたものです」とか。 そうでも書かないと、近所の人たちに、にらまれるのだろう。わかる、わかる、その気持。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月29日 09時11分43秒
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