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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年03月29日
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カテゴリ:日々の随筆


●日本

 当然のことながら、ここオーストラリアでは、日本の情報は、ほとんど入ってこない。念のためにD君に、「6か国協議はどうなった?」と聞いてみた。元国防省の役人だった彼でさえ、「知らない」と言った。

 今、オーストラリアには、多くの韓国人が住んでいる。通りを歩いても、ハングル文字の店が目立つ。このカーネギー地区では、日本食のレストラン(テイク・アウトの店)は、1軒だけ。

 私も、ここ2日、日本にニュースは、まったく見ていない。あとで友人に頼んで、日本のニュースを見せてもらうつもりではいる。が、このメルボルンから見るところでは、日本も韓国も、同じ。

 日本人にとって、ノルウェイも、スウェーデンも同じ。それと同じに考えてよい。

●移住

 日本人だけの単独の移住は、たいへんむずかしい。当然のことながら、オーストラリアも法治国家。生きていくことには、無数の法律が、からんでくる。それをひとつずつ理解しながら生きていくのは、たいへん。だれかの手助けがないと、不可能。

 加えてここメルボルンでは、日本人だからという甘えは許されない。ベトナムやカンボジアからの移民と、基本的には、同じ。「私は日本人」と威張っていられるのは、どこかで、日本に(根)を張っている人だけ。日本の会社名を背負ったサラリーマンとか、領事館の役人とか、そういう人たちだけ。

 病気になったら、どうする? どうなる? 老後を迎えたら、どうする? どうなる? ……そんなことを考えていくと、先がどんどんと暗くなる。

 やはりするとしても、長期滞在型の移住のほうがよい。たとえば3か月とか、長くても半年とか。移住までして、オーストラリアに住むことはない。

 仕事や生きがいがあれば、話は別だが、こんなところで、何もすることもなく、ただぼんやりと過ごしていても、意味はない。

 ……というのが、今の私の結論ということになる。つまり「移住は、やめよう」と。

●生活水準

 なにをもって、「高い」とか、「低い」とか言うのかわからないが、生活水準ということになれば、日本とオーストラリアは、それほど、ちがわない。ただ日本では、貧富の差というか、(格差)が大きい。ここ10年、その(格差)がますます大きくなったように思う。

 一方、オーストラリアでは、その(格差)をあまり感じない。ある一定以上の収入になると、突然、税率が高くなる。そういうこともあって、みな、中産階級? ざっと見ても、そんな感じがする。

 そのことを、別の知人と話題にすると、その知人は、こう話してくれた。

 「オーストラリアでは、年収が6万ドルを超えると、所得税が、44%になる」と。

 そのためメチャメチャな金持ちもいない。しかしメチャメチャな貧乏人もいない。この国は、ラッキーな国だ。資源が豊富だし、何といっても、国土が広い。同じ家にしても、全体的に見ると、日本の2倍はある。そう、何もかも、2倍といった感じ。

●スコール

 ベッドに横になっていたら、突然、電車が走り抜けるような音がした。近くに、電車線路がある。「電車かな?」と思ったが、そうではなかった。

 スコールだった。突然の大雨だった。

 すごい大雨! ゴーッと降りだしたか思うと、地面をたたきつけるかのような音。トタン板でできている屋根が多いせいか、音もすごい。

 が、10~20分ほどで、それが終わった。空は暗くなったままだが、先ほどまでの蒸し暑さは、どこかへ消えた。

 なぜ、私がこうして家にひとりでいるか? ……D君は、娘さんと、明日の結婚式のリハーサルにでかけている。私が留守番というわけ。

●プレゼント

 こうした習慣は、アメリカだけかと思っていたが、ここオーストラリアでも、花嫁、花婿にあげるプレゼントがダブらないよう、あげるプレゼントを、デパートに代理登録しておく制度がある。

(デパートで登録番号を言えば、その人にあげるプレゼントの一覧表が出てくるしくみになっている。一覧表は、インターネットでも検索できるようになっている。)

 たとえば電気ヒーターが2つあっても、しかたない。そこでAさんが、先に、電気ヒーターを買い、先に登録しておくと、つぎに電気ヒーターをあげたいと思っているBさんは、リストを見ながら、別のものにする。

 日本ではお金をあげる習慣になっている。だったら、お金にすればよいと思うのだが……。言い忘れたが、ここオーストラリアでも、リセプション(披露宴)のとき、お金を渡す習慣があるそうだ。

 金額は、100ドル前後。日本円で、1万円くらいか。

 なおプレゼントは、結婚式の前日に、花婿の夫のほうが受け取るのだそうだ。そしてそのプレゼントは、結婚式のあとの披露宴の席で、花嫁に渡されることになっている。プレゼントは、純白の包装紙で包むのが慣わしだとか……。

●風邪気味

 どうも鼻水が抜けない。セキも出る。熱はないと思うが、その一歩手前で、グズグズしている感じ。こういうとき、外国に出ていると、何かと心細い。

 正直言って、早く、日本に帰りたい。ふと、「どうしてぼくがここにいるんだろう」と思う。片道、22時間。メルボルンは、遠い。距離的には、日本とニューヨークほどではないか。地球儀上での、直線距離にしての、話だが……。

 で、近くのレストランで、今日はダイエットも忘れて、肉類の多いチャーハンを食べた。あとは風邪薬をのんだ。

 横になったところで、またまたスコール。しかたないので、体を起こして、パソコンに向かって、文章を書くことにした。

●大学生

 近くにモナーシュ大学の分校がある。その分校に通う学生たちを見る。みな、天下を取ったような顔をして、食事をしたり、話しこんだりしている。

 私もかつてはそうだった。……と同時に、(時の流れ)を感ずる。私が学生のときには、影も形もなかった連中である。そういう連中が、いつの間にか、この世に生まれ、私たちを追いやり、そこにいる。

 「彼らはどこから来たのか?」と考えるのは、ヤボなこと。そういう私だって、どこから来たのか、わからない。わからないまま、当時は、私なりに、結構、偉そうな顔をしていた。

●D君の奥さん

 D君の奥さんが亡くなって、もう3か月になる。で、そのD君の家に来てみて、気がついたこと。

 やはり(家)というのは、奥さんがいてはじめて、光る。台所にしても、まるで学生の寮のように汚れ、乱雑になっていた。

 家具にしても、どれも、無造作にそこにあるだけといった感じ。で、私は、私のワイフがいなくなったときのことを考える。多分、私の家も、このD君の家以上に、荒れるにちがいない。

 そのD君だが、もともと静かな男だった。しかし奥さんを亡くして、すっかり自信をなくしているといったふう。声にもハリがない。自分の娘にさえ、どこか遠慮している。私には、そんな感じがした。

 世の夫たちは、妻の前で威張っているかもしれないが、それは妻がいるからこそ、できること。夫婦の価値は、それがなくなってはじめて、わかること(?)。

 ……ところで、スコールが去って、秋の虫たちが鳴き始めた。日本では聞いたことのない声である。いくつも鈴を、連続して鳴らしているかのような音。貝殻をすり合わせているかのような音にも聞こえる。

 それからもうひとつ。このオーストラリアにも、日本で見るのとまったく同じドバトがいるのには、驚いた。よく見てみたが、区別がつかない。それほど、よく似ている。

●照明器具

 電化製品の質の悪さには、驚く。近くの店の中をのぞいてみたが、どこかみな、粗悪品といった感じ。

 このオーストラリアでも、液晶テレビを売っている。日本のP社製のもあったが、その数倍の数ほど、韓国のL社製のものが並んでいた。見た感じでは、L社製のほうが美しい画像を映していた。

 「本当にP社製かな?」と思った。ひょっとしたら、中国製のニセモノかもしれない。

 一方、韓国製って、意外にがんばっているといった感じ。

 で、その電気製品だが、全体的には、日本の10年前レベルといったところか? 家具も大雑把(ざっぱ)。デリカシーを感じない。

 この部屋にも、小さな、裸電球が一個ついているが、それだけ。明るさはまあまあだが、直接見ると、目が痛い。いわゆるハロゲンランプというのか。日本でいう、蛍光灯がほとんどないのには、驚いた。

●アズ・ユー・ライク

 欧米では、客がくると、「好きにしなさい」というような、もてなし方をする。またそれが最高のもてなし方ということになっている。

 友人のD君は、離れの一軒家を貸してくれた。冷蔵庫も置いてくれた。キッチンもトイレも、そのまま使える。

 そういう(もてなし方)を知らないわけではないが、日本人の私には、どこかさみしい。先ほども、自分でミネラル・ウォターを買ってきた。こういう部屋でひとりで飲んでいると、何となくさみしい。つまらない。

 あちこちを引き回されるよりはよいが……。

 ただ私のばあいも、オーストラリアから友人が来たようなときには、「好きにしなさい」というようなもてなし方をする。相手が何かを望むまで、こちらからは口を出さない。相手が何かを頼んできたら、それには、誠心誠意、応ずる。相手がやりたいようにさせる。

●老人介護

 オーストラリアでも、老人介護のことがよく話題になるそうだ。で、私が聞くと、D君は、こう教えてくれた。

 みな、保険(インシュアランス)に入っているから、それで自分で自分の老後をみることになっている、と。

 「日本では、子どもがいるときは、親のめんどうをみるのが義務化されているが、そういうことはないのか?」と聞くと、きっぱりと、こう言った。「ない」と。

 オーストラリアでは、子どもだからといって、親のめんどうをみなければならないということは、ないようだ。

私「保険に入っていない人はどうするのか?」
D「国がめんどうをみてくれる。しかしサービスは限られたものになる」と。

●移民国家

 こうした移民国家に着てみると、民族とは何か、それがわからなくなる。日本にも、「武士道こそ、日本民族が誇るべき、精神的基盤」と説く人がいる。

 気持はわからないわけではない。しかし国際的にみると、「士」の意味すら、よくわからない。中国では、「士」を、別の意味で考えている。もともと「士」という言葉は、中国からきた言葉だから、日本が勝手に、まげて使っていることになる。

 弁護士、会計士の「士」と考えたほうが、より中国語の「士」の意味に近いのではないか。

 ともかくも、こんな国に来て、「私は日本人だ」といくらがんばっても意味はない。民族意識というのは、そういうもの。いわんや、「大和民族のほうが、朝鮮民族よりすぐれている」と叫べば、(その反対でもよいが……)、変人あつかいされるだけ。

 当のオーストラリア人たちには、そうした民族意識がない。





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最終更新日  2007年03月29日 09時12分22秒
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