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カテゴリ:日々の随筆
●シンガポール シンガポールには、何人か友人がいる。学生時代からの友人である。しかし今回は、連絡を取らなかった。オーストラリアの友人たちにも、連絡を取らなかった。 葬儀のかわりに結婚式に出る私が、観光旅行など、できるわけがない。私がすべきことは、静かに、友人の指示に従うことだ。何もすることがなければ、静かに、家の中で、彼の帰りを待つこと。 しかしシンガポールが、ここまで発展するとは! 37年前に、だれが予想しただろうか。大きさで言えば、名古屋の中部国際空港の2、3倍程度といった感じだろうか。アジアのハブ空港を自負するだけあった、さすがに大きい。デスクから見たところでは、滑走路が平行して2本、走っているのがわかった。 ハブ空港……。自転車のハブのほうに、世界中の飛行機が、ここに集まるようになっている。(それにしては、私が見ている間、それほど、頻繁に飛行機が離発着しているといったふうでもなかったが……。) こんな小さな国が、韓国の数倍もの、貿易黒字をたたき出している(06年)。 ●私の人生 私の人生は、前にも書いたが、オーストラリア留学時代に始まった。それが、結局は、その時代で終わる。少し前までは、「終わるような気がする」と書いたが、最近は、それが確信に変わってきた。 あの時代が、暗闇を照らす灯台のように、それからの私の人生を、照らしてくれた。方向を示してくれた。今までも、何度か足を踏み外しそうになったことがある。が、あの時代が、再び私をもとのコースにもどしてくれた。 私は根っからの善人ではない。悪人でもないが、少なくとも、善人ではない。もし私にあの時代がなかったとしたら、今の私は、大きく変わっていただろう。 それに私は、歳とともに、ワイフのすばらしさが、よくわかるようになった。そんな私を、ワイフが支えてくれた。私のワイフは、私の心を写すカガミのようなもの。私の美しい面も、そして醜い面も、そのまま映しだしてくれる。 私はそれを見て、自分を軌道修正することができた。 ●日本人 少し前、日本人のことを、「極東アジアの島国に住む原住民」と書いた。この言葉を聞いて、ムッときた人もいるかもしれない。しかし世界から見れば、それに近い。 先日も、ワイフが、「(浜松から)東京まで、飛行機で30分!」と驚いていたが、地図で見ても、そんなもの。世界で見る世界は広いし、世界で見る日本は、小さい。これはどうしようもない事実であって、さからいようがない。 このシンガポールから見ても、日本は、はるか北にある島国でしかない。一方、シンガポールは、インドネシアやインドとの交流も深い。東南アジアの中心部に、どっしりと自分の位置を確保している。 すでに経済の中心は、このアジアでは、日本の東京から、このシンガポールに移動している。このことはアメリカに住んでみるとわかる。アジアのニュースは、日本のニュースも含めて、このシンガポール経由で、アメリカに流れている。東京ではない。シンガポール、だ。 ●気温29度 シンガポールの気温は、29度。空港の窓のガラスに手で触れてみたが、それほど、熱気はなかった。雨で気温がさがったのか? 若いときは、シンガポールの異国情緒に、たまらないほどのいとおしさを覚えた。W・サマーセット・モームの小説を読んだこともある。今、その名前を思い出せない。モームは、このシンガポールにも、長期滞在している。 そんなこともあって、ふと今、「もし、私がここに住んだら……」と考える。しかし空港というところは、一見、華やかだが、その一方で、恐ろしく孤独を感じさせる。 私という植物の(根)が切られてしまったかのような孤独感である。たとえばこんなところで、日本の武士道を説いたら、どうなるのだろう。ニュージーランドのマオリ族がするダンスのように、思われるかもしれない。おもしろいが、それだけ。 ●インド 今度は、横にインド人の若いビジネスマンが座った。自信に満ちあふれ、マナーもよい。これも37年前には考えられなかったことだ。 インドの経済発展は、すさまじい。やがては中国以上の経済大国になるかもしれない。もともとイギリスの植民地だったところだから、身のこなし方も、どこかイギリス風。彼らは、「紳士」の見本を見て育っている。 で、気になるのが、6か国協議。今ごろ北京では、その6か国協議が行われているはず。あの金xxは、たったの28億円にこだわって、昨日は、会議そのものを、ボイコットしてしまった。 今ごろは、どうなっていることやら? だいたいにおいて、あの金xxが、核開発を断念するはずがない。核兵器は、まさに彼の力のシンボル。本尊。核兵器あっての、K国である。今の今も、核兵器がなかったら、だれがあんな国など相手にするか? 金xxも、それをよく知っている。 ●英語 英語というのは、不思議なものだ。私のばあい、外人の顔を見たとたん、頭の中が英語モードになってしまう。 よく地方の郷里に帰ると、その地方の方言で話すという人がいる。私も、若いころ、それを経験した。しかし同じ日本語ということもあって、40~50歳をすぎるころからは、郷里の岐阜に帰っても、浜松弁を話すようになった。 少し無理をすれば、岐阜弁を思い出すことはできる。が、最近では、違和感を覚えることのほうが多い。 が、英語はちがう。一説によると、日本語は、左脳に格納されているという。一方、英語は、右脳に格納されているという。使っている脳みそそのものが、ちがう。 そう言えば、このところ、英語を日本語に翻訳するのが苦痛になってきた。これは右脳と左脳をつなぐ、脳梁(のうりょう)の機能が衰えてきたためかもしれない。 多分、友人のD君に会ったとたん、私の脳みそは、100%、英語モードになるはず。言葉だけではない。ジェスチャも、発想も、そしてジョークも。 ●心を許す このことと関係があるのかもしれないが、私は、日本語で話している間は、その人に対して、心を開くことができない。 しかし英語だと、心をそのまま開くことができる。たとえば違法駐車した人がいたとする。相手が日本人だと、こちらのほうが緊張してしまい、うまく、それを注意をすることができない。 しかし相手が欧米人だったりすると、ごく自然な形で、つまり相手に不快感を与えないような言い方で、それを注意することができる。相手も、ニッコリ笑って、それに従ってくれる。 これは私が留学時代、彼らの世界に、何も考えずに飛び込んでいったせいではないか。私はすべてをさらけ出し、彼らの世界の中に、飛び込んでいった。もちろん自分が日本人であることさえ忘れた。 今、そういう意味で、私が心を開ける相手は、少ない。私のワイフのほか、数人の友人でしかない。友人というのは、オーストラリア人である。 彼らなら、言いたいことがそのまま言える。彼らも、言いたいことをそのまま、言う。D君は、大学の教授職にありながら、私のことをいまだに、「Fuck and Bloddy Bastard」(こんちくしょう)と呼んでいる。彼にしても、ほかの世界では、めったに使わない言葉である。 ●空港 空港で見る世界は、まるで別世界だ。以前。アメリカのヒューストン空港で、こんなことを感じたことがある。「ここはまるで、スターウォーズの世界だ」と。 その空港よりはまだよい。しかしどの人も、それなりの服装で身を飾っている。ときどき、ハッとするようなスタイルの女性を見たりする。「これが私と同じ人間か」と思うと同時に、自分の姿を横に想像して、落胆する。 しかし空港は空港。横にいる若いインド人にしても、ここで別れたら、二度と会うことはないだろう。午後8時の便で、インドへ帰るという。昨日まで、香港で、電子部品の商談をまとめていたという。 が、もし私が今、20代なら、すぐ名刺を交換して、何らかのビジネスに話をつなげたかもしれない。が、今は、もうその元気はない。ないというより、これから先、何ができるというのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月29日 09時15分59秒
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