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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年04月05日
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カテゴリ:日々の随筆
浜名湖一周

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4月4日、長男のSと、2人で、
浜名湖を一周した。自転車での
一周である。

東京では雪が降ったとか……?
冷たい風をどこかに感じなら、
私たちは、自転車にまたがった。

++++++++++++++++++

 午前7時30分。私と息子のSは、玄関先で自転車にまたがった。ワイフが、記念写真を撮ってくれた。「一度はしてみたい」と思っていた。Sは、そういう私の申し出に、こころよく、応じてくれた。

Sanaruko-issyu with Syhuichi 2007--4-4 310.jpg

 私たちは、家の前のゆるい坂を、並んでくだった。「ジャスコの前から、浜名湖バイパスを抜けて、舘山寺に向かう」と声をかけると、Sは、「OK」とうなづいた。

 ゆっくりとした速度だった。自転車にしてみれば、(歩くような速度)だったかもしれない。道のりは、かなりある。体力を温存しながらなの走行となった。

 広いバイパスをしばらく走る。そして浜名湖へ。

 あたりの様子は一変した。美しい海が、目の前に広がった。澄んだ青い空。白い雲。そしてそれ以上に青い、浜名湖の海。Sは、ずっと顔を左に向けたまま走っていた。私は、Sの走る速度にあわせて、うしろについた。

 私は、20代のはじめから、自転車に乗っている。足腰は鍛えてある。しかしSには、そうでない。ときどき、散歩のかわりに乗る程度。速度をあげたいという思いを、こらえながら、Sのうしろを走る。

 最初は、いろいろなことを考えた。雑念が、ザワザワと、頭の中に現れては消えた。しかしそのうち、何も考えなくなった。そこに海がある。私は海を見た。そこに空がある。私は空を見た。前につづくのは、幅2~3メートルの自転車道。


Sanaruko-issyu with Syhuichi 2007--4-4 293.jpg

 舘山寺までは、2時間ほどで着いた。車なら、30~40分の距離である。冷たい向かい風のせいか、汗は、ほとんどかかなかった。Sが、「弁当を食べようか」と言った。私は、あたりを見ながら、場所をさがした。

 が、ベンチをみつけて腰をおろしたところで、その弁当がないことを知った。リュックの中に入れた弁当がない? 2、3度、リュックの底をさがしてみたが、ない?

私「晃子(=ワイフ)は、たしかに、ここに入れたはずだが……」
S「もう一度、さがしてみなよ」
私「……うん、やっぱりない。おかしいな?」と。

 しかたないので、私たちは、いつも行くレストランをめざした。舘山寺から細江(ほそえ)に抜ける街道の途中にあるレストランである。

 舘山寺から、再び、自転車道に入った。途中、渡り鳥の群れをいくつか見つけた。そのつど、立ち止まって、私は、写真を撮った。

 レストランへは、11時少し前に着いた。「あと少しで、11時になります。それから注文を取りにきます」と、ウエイトレスの女性が言った。妙に鼻にかかった、聞きづらい言い方だった。最近の若い女性は、みな、そういう言い方をする。「いらっしゃいませ」を、「イナアシャイモーセ」と。日本語が、今、大きく変化しつつあるようだ。

 レストランを出たのが、11時半ごろ。私たちは、細江をめざし、そこから、寸座(すんざ)へ向かうつもりだった。途中、都田川の桜が、ちょうど満開だった。私は夢中で、カメラのシャッターを切った。

Sanaruko-issyu with Syhuichi 2007--4-4 326.jpg

 が、そのあたりで、Sが、「尻が痛い」と言い出した。Sの自転車は、オフロード用にできている。アルミ製で、15万円もしたという。

 私の自転車は、ただの通勤車。2万9000円。2年ほど前に買ったもの。長距離には、楽。

 そこで自転車を交換して、乗り換えてみる。とたん、サドルが小さく、硬いのがわかった。「小さいな」「硬いな」と。

 それ以上に、自転車そのものが不安定。ハンドルを握ると、体が前にぐんと乗り出してしまう。こういう自転車は、のんびり走るのには、向かない。

 私たちは、三ケ日(みっかび)についた。そこからは海沿いに、寸座まで。細い海外道を走る。左に海、右に別荘地。が、そこで突然の大雨。スコールと言うにふさわしい雨だった。

 私たちはすかさず、道横にあった、漁師の小屋に身を寄せた。一時は、数百メートル先すら見えないほどの大雨になった。

私「ぼくの友人のN君は、雨の日にキャンプに行くんだよ」
S「バカじゃない?」
私「N君が言うには、雨の日の景色のほうがきれいだそうだ」
S「日本人のぼくには、考えられないね」
私「オーストラリアでは、雨がめったに降らないから……」と。

 やがて雨はやみ、ふたたび、私たちは、自転車にまたがった。今度は、私の尻が痛くなりだした。

 しばらく行くと、1人の男が、波打ち際で、アサリを取っていた。私たちも、それに加わった。


Sanaruko-issyu with Syhuichi 2007--4-4 540.jpg

 その男は、大阪から来たという。ひとりで来たという。新幹線の新大阪駅付近に住んでいるという。「今朝、2時ごろ大阪を出て、着ました」と。

 話を聞くと、もともと生まれも育ちも大阪だったという。が、転勤で浜松へ。その浜松に、26年間も住んだという。

「大阪は、住むには便利なところです。しかし26年も浜松に住むと、浜松のよさが、忘れられなくてね。月に1、2度は、こうして浜松へやってきます」と。

 男は、浜松のよさを、あれこれと言った。「浜松には、山も海もあるでしょ。それに気候がいい。来月に入れば、海釣りもできるし、6月になれば、アユの友釣りもできます」と。

 『住めば都』とは言うが、反対に、『燈台、元暗し』とも言う。浜松のよさを知らないのは、意外と浜松の人たちかもしれない。言い忘れたが、男は、昭和17年生まれだと言った。私は内心で、「姉の年齢と同じだな」と思った。


Sanaruko-issyu with Syhuichi 2007--4-4 524.jpg

 こうして私たちは瀬戸(せと)を回り、湖西市(こさいし)へと向かった。が、そこでSが、ダウン。農協の小屋に入って、そのままそこに座りこんでしまった。私は、Sの自転車を、ロープで引っ張って走ることを考えた。が、Sは、「それはいい」と断った。

 しばらく、そこで休憩。

 車が、そのよこを、ゴーゴーと音をたてて走った。私たちは、20分ほど、時間をつぶした。そして、また自転車にまたがった。

 そこから湖西市までは、ゆるい山坂道が、何度かつづいた。車にとっては何でもない坂道かもしれないが、自転車には、そうではない。私にはともかくも、Sには、苦しい坂道だったかもしれない。

 Sは、何もしゃべらなくなった。私は、Sのうしろに、ぴったりとくっついた。

 湖西市から新居(あらい)、そして弁天(べんてん)をすぎて、再び浜松市内へ。

私「腹が減ったなあ。寿司でも食べていくか?」
S「ぼくは、ラーメンのほうがいい」
私「そうだな。ラーメンでもいいな。そうしようか」と。

 私たちは、いつも行くラーメン屋をめざした。そのラーメン屋から自宅までは、10分もかからない。

私「富士登山でも、浜名湖一周でも、一生に一度は、しておきたかった」
S「うん」
私「ここでママに助けに来てもらったら、意味がなくなる。あと少しだ、がんばろう」
S「うん」と。

 ……こうして浜名湖一周を、無事、終えた。自宅に着いたのが、午後5時ごろ。途中での休憩をのぞくと、約8時間ほどで1周したことになる。

 自宅に帰ると、私とSは、コタツに入って、横になった。

Sanaruko-issyu with Syhuichi 2007--4-4 383.jpg


(追記)

 自転車のよいところは、体を痛めないこと。翌日の今日、筋肉痛は残っているが、それ以外は、なんともない。

 そうそう言い忘れたが、昨夜は8時半ごろ床について、朝7時まで、ぐっすりと眠った。その間、一度も、目をさまさなかった。今も、眠いが……。(07年4月5日記)





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最終更新日  2007年04月05日 10時35分53秒
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