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カテゴリ:育児エッセー
●ガールフレンド 「卒業式に来てくれるか?」というので、「卒業式には無理だが、3月には行ける」ということで、私とワイフは、3月にアメリカに向かった。その飛行機の中でのこと。 私とワイフは、二男にガールフレンドができたことを知っていた。メールにそう書いてあった。それなりの覚悟はしていた。が、できればガールフレンドの段階で、止まってほしいと願っていた。 私「しかしなあ……。結婚の話が出たら、どうする?」 ワ「そうねえ……」 私「急だろ。卒業間際になってできたガールフレンドだし……。親としては、そのまま日本に帰ってきてほしいね」 ワ「S(=二男)の様子を見なければ、わからないわ」と。 が、私の期待は、淡くもそのまま消えた。二男はガールフレンドを紹介してくれたが、そのときも、また車を運転しているときも、食事をしているときも、2人は片時も手を放さなかった。二男は左利き。ガールフレンドは右利きだった。 私とワイフは、それを見て、あきらめた。 私「あれじゃあ、だめだよ」 ワ「そうねえ」 私「結婚に反対したら、たいへんなことになるよ」 ワ「私も、そう思う……」と。 で、その日は、そのまま終わった。ただ一言、ガールフレンドがひとりになったとき、彼女に私はこう聞いた。ガールフレンドといっても、アメリカ南部の州で生まれ育っ女性である。人種偏見のはげしい土地柄と聞いていた。アジア人は、黒人よりも下に見られている。相手の親だって、アジア人と結婚すると言えば、いい気はしないだろう。 「Dさん、あなたは、息子のEを愛しているか?」と。 それに答えてDは、顔を輝かせて、大きな声でこう答えた。「Yes, I do love him.」と。その一言で、私たちの心は決まった。 ●「日本人であることをやめるのか?」 その日は、リトルロックにあるホテルに泊まった。由緒あるホテルらしかった。調度品のどれを見ても、ズシリとした歴史の重みを感じた。 その夜のこと。私とワイフは、ベッドの上にすわっていた。二男は、床の上に座っていた。しばらくいろいろな会話をした。その会話が不自然に途切れたとき、二男が、口を開いた。 二「パパ、ぼく、Dと結婚するよ」 私「……。人種偏見の問題はないのか?」 二「そんな問題は、どこにでもあるよ」 私「わかった」と。 その少し前、私とワイフは近くを散歩した。ちょうど1ブロック離れたところが、州議会の議事堂になっていた。ワシントン市にあるホワイトハウスは、その議会がモデルになったという。その議事堂の上には、アメリカ国旗と並んで、南軍の国旗がはためいていた。アーカンソー州は、そういう州である。英語にしても、みな、あのジョン・ウェインそっくりの話し方をする。 二「でね、パパ、結婚式は、こちらでするよ」 私「こちらで……? 日本では、花婿のほうで結婚式をすることになっている」 二「いいや、アメリカでは、花嫁のようで結婚式をする」 私「へえ、アメリカでは、花嫁のほうでするのか」 二「花婿が、花嫁のほうに迎えにくるという形をつくる。でね、結婚式には来てくれるか?」 私「もちろん、来るよ」と。 窒息しそうな胸苦しさを覚えた。胸の奥がつまったような感じだった。「オレの子ではないか」「どうしてその子が、アメリカ人なんかと結婚するんだ」「日本へ帰って来い」と。 二「パパ、それで……」 私「何だ?」 二「でね、ぼくね、洗礼を受けてクリスチャンになるよ」 私「クリスチャン? ……あのなあ、うちは、真言宗大谷派だぞ」 二「でも、インチキな結婚式はしたくない」 私「わかった……」と。 いくら「生きているだけでいい」と思って育ててきた息子かもしれないが、そのつど、私は自分の心をグイグイと押しつぶさなければならなかった。のどのすぐそこまで、つぎの言葉が出かかっていた。「帰ってこい」と。しかしそれは言わなかった。……言えなかった。苦しかった。つらかった。するとまた二男がこう言った。 二「パパ、就職はこちらでするよ」 私「……うん、日本は今、不景気だからな……。いいところは見つかったのか」 二「教授が、ひとつ勧めてくれたところがある」 私「わかった……」と。 私の胸は張り裂けそうだった。ワイフのほうを見る余裕は、とっくの昔に消えていた。体中が硬く、こわばっているのが、自分でもよくわかった。一言、一言、私はふりしぼるような声で、二男の言葉に答えた。 しかしさすがの私も、つぎの言葉を聞いたときには、手が震えた。体も震えた。 二「パパ……。ぼくね、アメリカ国籍を取るよ」 私「……お前……、日本人であることをやめるのか?」 二「……そうだ……」と。 と、そのときのこと。「わかった」と言うのと同時に、一抹の軽い風が、心の中をスーッと通り抜けるのを感じた。それはさわやかな風だった。それまで心をふさいでいた、重しが、その風とともに、どこかへ消えた。それが自分でもよくわかった。 実にさわやかな風だった。言うなれば、1人の子どもを育てきったという思い、1人の子どもを育てきったという思い、そして1人の子どもを信じきったという思い、そういうものが一体となって、心の中を駆け抜けた。 私たちがなぜ子育てをするかといえば、いつか子どもを自立させるため。子どもの背中をたたいて、こう言う。 「さあ、お前の人生だ。思いっきり、この広い世界を、羽ばたいてみろ。だれにも遠慮することはない。思う存分、羽ばたいてみろ」と。 そのときが、そのときだった。 ●死の克服 私たちは、なぜ死ぬのがこわいか。……という質問は、私たちは、なぜ失うことを恐れるかと言いかえてもよい。 あのサルトルは、実存主義を追求しながら、最終的には、「無」の概念に行き着く。意識から自我を排除しようと試みた。同じように、なぜ私たちがなぜ失うことを恐れるかと聞かれれば、そこに「私」があるからにほかならない。 もし私の中に「私」がなければ、私はそも、失うことを恐れないはず。たとえば無一文の人は、泥棒を恐れない。それと同じ理屈で、もしこの私から、「私」を取り除けば、ひょっとしたら、死すらも、克服できる。そのときがきたら、笑ってそれを迎えることができる。 「やあ、おいでになりましたか」「いっしょに、あの世へ行きましょう」と。 が、私には、「私」というしがらみが、無数にまとわりついている。「私の財産」「私の名誉」「私の地位」「私の経歴」と。そういったものが、私をがんじがらめにしている。だから、こわい。失うのがこわい。死ぬのがこわい。 だからといって、私は、二男をあきらめたわけではない。二男を捨てたわけでもない。私は二男に二男の人生を、渡した。「私の二男」という「私の」を取り払った。 さわやかな風を感じたのは、そのためだった。 ●『許して忘れる』 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。育てるだけではなく、子どもは、親である私という人間に、何かを教えるために、そこにいる。 ミニチュアの世界かもしれないが、子育てをしながら、野を越え、山を越え、さらに谷を越えていると、そこに人としての気高さを覚えることもある。そう、子育ては、まさに『許して忘れる』の連続。『許して忘れる』というのは、英語では、「for・give & fo・rget」という。この単語をよく見ると、「与えるため&得るため」とも読める。 何をか? つまり『許して忘れる』というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」という意味になる。その度量の広さが、結局は、愛の深さということになる。 子どもは、けっして、ただの子どもではない。何かを教えるために、そこにいる。それがわかるかどうかは、つまるところ私たち自身の姿勢による。昔、オーストラリアの友人はこう教えてくれた。 「ヒロシ、親には3つの役目がある。ひとつは、子どもの前に立って、子どもの手を引きながら、歩くこと。ガイドとして。2つめは、子どものうしろに立って、子どもの背中を守りながら歩くこと。保護者として。そして3つめは、子どもの横に立って、子どもと手をつなぎながら、前を向いて歩くこと。子どもの友として」と。 日本人は、伝統的に、ガイドや保護者になるのは得意。しかし友として、子どもの横に立つのが苦手。そういう習慣すらない。 が、もしあなたが子どもの横に立ったら……。その謙虚さを大切にしたとき、あなたの子育ては大きく変わる。子育ての世界が、大きく広がる。 二男は、そのとき、私に自由の意味を教えてくれた。もちろんだからといって、私が死の恐怖から解放されたというわけではない。私には、まだ「私」というしがらみが、無数にまとわりついている。しかし二男が、その目標を示してくれた。サルトルが説いたところの、(無の存在)がどういうものであるかを、教えてくれた。今はまだ無理かもしれないが、いつか、そういう心境に達することができるかもしれない。 その夕刻、私とワイフは、リトルロックの町の中を歩いた。子どものように、はしゃぎながら……。 (注※) サルトル……ジャン・ポール・サルトル(1905~1980)、フランスの思想家 ボーボワール……シモン・ドゥ・ボーボワール(1908~1986)、フランスの女流小説家 バートランド・ラッセル……(1872~1970)、イギリスの哲学者 ハイデッガー……マルティン・ハイデッガー(1889~1976)、ドイツ哲学者 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月16日 23時23分50秒
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