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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年08月31日
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カテゴリ:育児問題


●二つのタイプ

 一人(A氏)は、仕事人間。明けても暮れても、考えることは、仕事のことばかり。出世が生きがいで、いつも「いつかは自分もそれなりの人間になって、社会から認められたい」と願っている。

 もう一人(B氏)は、いわゆるダメ人間。何をしても失敗ばかり。仕事もうまくいかない。努力もしない。まわりの人が、「あなたは本当は、やればできるはず」と励ませば励ますほど、怠(なま)けてしまう。

 この二人も、見たところ、まったく正反対の人間に見える。A氏はたいへん自立心が旺盛。生活態度も、積極的で、攻撃的だ。それにくらべてB氏は、自立心が弱く。生活態度も、消極的で、防衛的。

しかしA氏もB氏も、自分の劣等感を克服しようとしている点では、共通している。A氏は、「何とか認められたい」と思って、そうしている。「私はすばらしい人間なのだ。だから人が私に従うのは当然だ」と思うことで、自分の優位性を保とうする。一方、B氏も、相手に「やればできるはず」と思わせて、自分の立場をとりつくろっている。「やればできるのだが、自分がダメなのは、やらないからだ」と、そう相手に思わせることで、自分の優位性を保とうとする。

 少しわかりにくいかもしれないが、B氏のようなケースは、子どもの世界ではよく見られる。

●「やればできるはず」と思わせて、自分の立場を守る

 たとえばC君(小5)は、たいへん学習態度が悪い。授業中も、ふざけて遊んでばかりいる。先生が何かを注意しても、それを茶化したり、あるいは適当にごまかしてしまう。もちろん成績も悪い。

そういうC君をよく観察すると、ふざけることによって、自分の立場をとりつくろっているのがわかる。まじめに学習し、まじめに取り組んで、それで勉強ができなければ、自分はバカだというレッテルを張られてしまう。そこでC君は、自らふざけることによって、そのレッテルが張られるのを避けようとする。先生やまわりの仲間に、「ぼくは本当は、やればできる人間なのだが、できないのは、まじめにやっていないからだ」と思わせる。思わせることによって、自分の立場を守ろうとする。

 こんなケースもある。N君(小6)は、親の期待と、自分の実力のギャップの中で、悩んでいた。……悩んでいるはずだった。親は「何とかA中学へ」と言っていた。しかしN君には、その力がなかった。多分そのとき、C中学どころか、D中学ですら、あぶなかったかもしれない。そこで私はN君に、こうアドバイスした。「君の力は、君が一番よく知っているはずだ。だったら、一度、お父さんに君の力を、正直に話したほうがよい」と。

 しかしN君は、決して、自分の実力のことは話さなかった。話せば、自分の立場がなくなってしまうからだ。N君は、父親や母親には、「やればできる」と思わせることで、自分の立場を守っていた。自分のわがままをとおしていた。「成績が悪いのは、先生の教え方が悪いからだ」「成績が悪いのは、部活動が忙しく、勉強時間がないからだ」と。

●結局は依存性の問題

 こうした劣等感を、なぜもつかといえば、結局は、その人の依存性の問題に行きつく。もし真の意味で、自立心が旺盛であるなら、そもそも劣等感など、もたない。「私は私。人は人」という生きザマをつらぬく。が、依存性の強い人は、それができない。できない分だけ、劣等感をもつ。

 わかりやすい例では、容姿コンプレックスがある。鼻が低い、肌が黒い、足が短い、など。そういう劣等感をもつ人というのは、結局は他人に依存したいという思いが転じて、劣等感となる。この時点で、「私は私。人は人。人が何と思おうが、私には関係ない」という姿勢があれば、容姿コンプレックスなど、吹っ飛んでしまうはず。

 が、その依存心を払拭(ふっしょく)できない。だからたとえば、顔を整形をしてみたり、あるいは、人前に出るのを避けたりするようになる。ある女性は、テレビの番組の中で、こう話していた。「整形をしたおかげで、人生が、バラ色になりました。生きザマも前向きになりました。それまでの私は、人前に出るのもいやで、家の中にずっと引きこもったままでした……」と。その女性は、その番組の中で、整形手術を受けていた。

しかしその女性は、何も変わってはいない。「変わった」と思っているのは、彼女の脳の中でも、表面的な部分だけ。もっとはっきり言えば、彼女自身の本質、つまり依存性は、何も変わっていない。「生きザマが前向きになった」といっても、依存性そのものが消えたわけではない。先の例でいうなら、B氏的だった彼女が、A氏的になっただけにすぎない。

 要するに、表面的な症状には、だまされてはいけないということ。とくに子どものばあいはそうで、一見、正反対に見える子どもでも、その中身は同じということは、よくある。その一つの例として、ここでは劣等感を考えてみた。

【教訓】

● 子どもたちに、一方的に、おとなの優位性を見せつけたり、押しつけてはいけない。おとなの力で、子どもをねじ伏せたり、やりこめてもいけない。子どもに不要な劣等感をもたせないためには、ときには、バカなフリをしたり、負けたフリをして、子どものほうを優位な立場に立たせる。そしてそうすることによって、子どもに依存心をもたせることを防ぐことができる。
(030216)

【追記】
 この原稿を読んで聞かせると、ワイフはこう言った。「整形する人というのは、整形する前も、そして整形したあとも、他人の目を気にしているのね。つまりは他人への依存性という点では、何も変わっていないのね」と。

 ワイフのこの言葉は、よく的(まと)をとらえているので、ここに追記として、記録しておく。それにワイフはこうも言った。「本当に自立心のある人は、他人の目など気にしない。他人に認められるとか、認められないとか、そういうことは関係なく、マイペースでいくものね」と。この言葉も、たしかに的をとらえている。そしていつしか話は、鈴木M氏という政治家の話になった。昨年、贈収賄事件で逮捕された政治家である。

「ああいう政治家を見ていると、劣等感のかたまりのような気がする」と私。
「そうね、ああいう政治家は、自分の劣等感をごまかすために、政治家になったようなものね」とワイフ。
「出世欲、名誉欲にとりつかれた人というのは、たいていこのタイプの人と見てよい」
「自分の劣等感を克服するために……?」
「いいや、そのやり方では、本当のところ、克服はできない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「劣等感というのは、心という内面世界の問題だろ。いくら外の世界で自分をとりつくろっても、克服はできない」
「自分をつくれということ?」
「そういうことになる」

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 優位性の確保 子どもの優位性 優位性 子供の優位性 劣等感 コンプレックス 反抗する子供 反抗期 思春期の反抗)





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最終更新日  2007年08月31日 09時47分42秒
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