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カテゴリ:育児問題
●学歴信仰は、迷信?(有M文部大臣への反論)
大学の教授は、高校の先生より、エライ。高校の先生は、中学の先生より、エライ。中学の 先生は、小学校の先生より、エライ。小学校の先生は、幼稚園の先生より、エライ。少なくと も、大学の教授は、幼稚園の先生より、エライ。誰しも、心の中でそう思っている。こういうのを 学歴信仰という。 家計がひっくり返っても、親は爪に灯をともしながら、息子のために学費を送り続ける。が、 肝心の息子様はそんな親の苦労など、どこ吹く風。少しでも仕送りが遅れたりすると、ヤンヤ の催促。それでも親は、「大学だけは出てもらいたい」と思う。そしてそれが「親の務めだ」と思 う。こういうのを学歴信仰という。 浜松にもA高校からD高校まで、ランクがある。やっとの思いでD高校へ入れそうになると、親 は「C高校を」と希望する。そしてC高校が合格圏に入ってくると、今度は「A高校。それが無理 なら、何とかB高校を……」と希望する。親の希望には際限がないが、そういう思いが、誰にで もある。こういうのを学歴信仰という。 新聞記事だけなので、有M文部大臣の発言の真意はわからないが、文部大臣が、母校のA 高校へ来て、「学歴信仰があるというのは迷信」と述べたとか(99年2月)。つまり「日本には 学歴信仰はない」と。東大の総長という学歴の頂点に立ったような人が、しかもその信仰の総 本山の、そのまた法主の立場にある有M文部大臣が、そういう発言をするところに、日本のこ っけいさがある。学歴信仰がなかったら、誰も、受験勉強などしない。誰も自分の息子を塾や 予備校に通わせない。もし本当にないのなら、成績に関係なく、東大の学生を入学させたらい い。あるいは文部省は、学歴に関係なく、役人を雇ったらいい。 学歴のある人には、学歴は不要だ。しかし学歴のない人は、それを死ぬほどほしがる。お金 と同じだ。金持ちが、いくら「お金では幸福は買えません」と言ったところで、その日のお金に困 っている庶民には、説得力はない。私もある時期、自分の学歴にしがみついて生きていた。特 にこの教育の世界ではそうで、もし私に学歴がなかったら、私の教育論になど、誰も耳を傾け てくれなかっただろう。反対に肩書きや地位がないため、いかに辛酸をなめさせられたことか。 話は変わるが、ニュージーランドのある小学校では、その年から手話を教えるようになったと 言う。教室の壁には、手話の仕方が描いた絵が、ペタペタとはってあった(テレビ番組より)。理 由は、その年から、聴力のない子どもが入学してきたからだという。こういう姿勢、つまりその 子どもに合わせて、学校が自由にカリキュラムを組むという姿勢の中に、私は学校の本来、あ るべき姿を見た。 反対にもし日本の小学校で、こういう身体に障害のある子どもが入学してきたら、教師や父母は、どのように反応するだろうか。さまざまな問題が起きるであろうし、その起きる背景に、学歴信仰がある。天下の文部大臣にさからって恐縮だが、文部大臣ももう少し庶民の側におりて、ものを考えてほしいと思う。(以上、01年記「子育て雑談」) (付記) この原稿を書いた時点(01年)と今では、障害児に対する考え方が、大きく変わってきた。15年ほど前のことだが、ある小学校(静岡県)で、1人の身体に障害のある子どもを入学させようとしたことがある。そのとき、「そういう子どもが入ってくると、子どもたちの勉強の進度にさしさわりが出る」と、反対運動を起こした親たちがいた。テレビなどでも、報道されたので、覚えている人も多いと思う。 たった15年前には、日本はまだそういう国だった。が、今、そんな反対運動をすれば、反対に、その親たちが袋叩きにあうだろう。日本の教育というより、親たちの意識が、たしかに今、変わりつつある。 (はやし浩司 学歴信仰 学校神話 受験カルト) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月25日 07時55分26秒
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