2501325 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

楽天・日記 by はやし浩司

楽天・日記 by はやし浩司

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2007年09月25日
XML
カテゴリ:育児問題
●溺愛ママ・ブルース(溺愛は愛ではない)

 子どもを溺愛する親は、珍しくない。たいていは親側の情緒的欠陥が原因で、親は子どもを
溺愛するようになる。ある母親は、息子(小6)が、修学旅行に行った夜、一睡もせず泣き明か
した。また別の母親は、やはり息子(中3)が初恋をしたことについて、はげしい嫉妬心を燃や
した。

 こうしたケースで特徴的なことは、溺愛している母親は、それを「親の深い愛」と誤解している
点にある。ある母親は臆面もなく、こう言った。「息子(高1)の汚れた下着を見ていると、いと
おしくて、頬ずりしたくなります」と。つまりそうすることが、親の鏡というわけである。中に生きが
いのすべてを、子どもに注いでしまう人がいる。考えることといえば、明けても暮れても、子ども
のことばかり。毎月、子ども(幼稚園児)の成長記録を、小冊子にして発行している人もいる。
こういう人は、「子どもは私のすべて」と公言してはばからない。

 しかし溺愛は、「愛」ではない。代償的愛ともいう。つまり自己の支配欲を満たすために、子ど
もを愛する。あるいは自分の心のスキ間を埋めるために、子どもを愛する。つまりは親の身勝
手な愛に過ぎない。子どもを愛するということは、子どもが巣立っていくのを見守りながら、じっ
とそのさみしさに耐えることにほかならない。もっともこう書いたからといって、溺愛が悪いとい
うのではない。もちろん笑っているのでもない。

ただ私がここで言いたいことは、親が溺愛すればするほど、子どもの「核」形成が遅れるということだ。核というのは、子どものつかみどころをいう。その年齢になると、その年齢にふさわしい「つかみどころ」ができてくる。しかし親が溺愛したりすると、そのつかみどころがわからなくなる。全体にその年齢に比して、幼い印象を与えるようになる。が、それだけではすまない。

 子どもはその年齢ごとに、ちょうど蝶がカラをぬぐようにしてカラをぬぎながら、成長を繰り返
す。しかしその段階で溺愛などが原因で、カラをぬがないと、そのツケはあとへあとへと回され
る。しかもあとになればなるほど、その衝撃は何10倍も大きくなる。はげしい家庭内暴力に
つながることもある。

「俺を、こんな俺にしたのは、オマエだ!」
「許して、お母さんが悪かったわ」と。

そうでなければ、そのまま子どもはマザコンタイプの子どもになっていく。30歳になっても、40歳になっても、親離れできない。これは極端なケースだが、結婚してからも実家へ帰るたびに、母親と風呂へ入ったり、一緒に寝ている男性がいた。そういうふうになる。

 自分自身の中に「溺愛」を感じたら、子育てから遠ざかる。しかしこれは簡単なことではない。
唯一方法があるとすれば、母親であることを忘れ、妻であることを忘れ、ついで女であることを
忘れ、一人の人間として、自分のしたいことをする。そしてその反射的効果として、子育てから
遠ざかる。もちろん自分自身に情緒的欠陥があれば、それと闘う。(以上、01年記「子育て雑談」)
 
(補記)

 マザコンになるのは、何も男児だけとはかぎらない。女児も、マザコンになるケースは、多い。しかも女児(女性)のマザコンのほうが、男児(男性)よりも、強烈になりやすい。女性のばあい、実家に帰って、母親といっしょに風呂に入っても、だれも、おかしいと思わない。(男性だったら、それだけで、大問題になるが……。)そういうスキをついて、女性は、男性よりも、より強烈なマザコンになる。

 さらにファザコンというのも、ある。自分の父親を偶像化する。「オレのオヤジの悪口を言うヤツは、許さない」と、公の場所で、叫んだ男性(50歳くらい)がいた。

 でき愛は、「愛」ではない。自分の心の欠陥を埋め合わせするために、親は、子どもをでき愛するようになる。ご注意!
(はやし浩司 溺愛 でき愛 子どもの成長 子供の成長 子供の心の発達 心理)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年09月25日 07時57分08秒
[育児問題] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.