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カテゴリ:育児問題
●溺愛ママ・ブルース(溺愛は愛ではない)
子どもを溺愛する親は、珍しくない。たいていは親側の情緒的欠陥が原因で、親は子どもを 溺愛するようになる。ある母親は、息子(小6)が、修学旅行に行った夜、一睡もせず泣き明か した。また別の母親は、やはり息子(中3)が初恋をしたことについて、はげしい嫉妬心を燃や した。 こうしたケースで特徴的なことは、溺愛している母親は、それを「親の深い愛」と誤解している 点にある。ある母親は臆面もなく、こう言った。「息子(高1)の汚れた下着を見ていると、いと おしくて、頬ずりしたくなります」と。つまりそうすることが、親の鏡というわけである。中に生きが いのすべてを、子どもに注いでしまう人がいる。考えることといえば、明けても暮れても、子ども のことばかり。毎月、子ども(幼稚園児)の成長記録を、小冊子にして発行している人もいる。 こういう人は、「子どもは私のすべて」と公言してはばからない。 しかし溺愛は、「愛」ではない。代償的愛ともいう。つまり自己の支配欲を満たすために、子ど もを愛する。あるいは自分の心のスキ間を埋めるために、子どもを愛する。つまりは親の身勝 手な愛に過ぎない。子どもを愛するということは、子どもが巣立っていくのを見守りながら、じっ とそのさみしさに耐えることにほかならない。もっともこう書いたからといって、溺愛が悪いとい うのではない。もちろん笑っているのでもない。 ただ私がここで言いたいことは、親が溺愛すればするほど、子どもの「核」形成が遅れるということだ。核というのは、子どものつかみどころをいう。その年齢になると、その年齢にふさわしい「つかみどころ」ができてくる。しかし親が溺愛したりすると、そのつかみどころがわからなくなる。全体にその年齢に比して、幼い印象を与えるようになる。が、それだけではすまない。 子どもはその年齢ごとに、ちょうど蝶がカラをぬぐようにしてカラをぬぎながら、成長を繰り返 す。しかしその段階で溺愛などが原因で、カラをぬがないと、そのツケはあとへあとへと回され る。しかもあとになればなるほど、その衝撃は何10倍も大きくなる。はげしい家庭内暴力に つながることもある。 「俺を、こんな俺にしたのは、オマエだ!」 「許して、お母さんが悪かったわ」と。 そうでなければ、そのまま子どもはマザコンタイプの子どもになっていく。30歳になっても、40歳になっても、親離れできない。これは極端なケースだが、結婚してからも実家へ帰るたびに、母親と風呂へ入ったり、一緒に寝ている男性がいた。そういうふうになる。 自分自身の中に「溺愛」を感じたら、子育てから遠ざかる。しかしこれは簡単なことではない。 唯一方法があるとすれば、母親であることを忘れ、妻であることを忘れ、ついで女であることを 忘れ、一人の人間として、自分のしたいことをする。そしてその反射的効果として、子育てから 遠ざかる。もちろん自分自身に情緒的欠陥があれば、それと闘う。(以上、01年記「子育て雑談」) (補記) マザコンになるのは、何も男児だけとはかぎらない。女児も、マザコンになるケースは、多い。しかも女児(女性)のマザコンのほうが、男児(男性)よりも、強烈になりやすい。女性のばあい、実家に帰って、母親といっしょに風呂に入っても、だれも、おかしいと思わない。(男性だったら、それだけで、大問題になるが……。)そういうスキをついて、女性は、男性よりも、より強烈なマザコンになる。 さらにファザコンというのも、ある。自分の父親を偶像化する。「オレのオヤジの悪口を言うヤツは、許さない」と、公の場所で、叫んだ男性(50歳くらい)がいた。 でき愛は、「愛」ではない。自分の心の欠陥を埋め合わせするために、親は、子どもをでき愛するようになる。ご注意! (はやし浩司 溺愛 でき愛 子どもの成長 子供の成長 子供の心の発達 心理) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月25日 07時57分08秒
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