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カテゴリ:育児問題
●わからぬフリをする(うちの子は、どうですか?)
子どもの情緒障害、専門的には脳の機能的障害には、軽重の程度の差がある。重い場合 は別として、軽い場合には、ふつう児との境があいまいで、そのため指導が難しい。いろいろな ケースがある。 たとえば自閉症にしても、それと明らかにわかる子どももいるが、「どこか心を開かない」「勝手な行動をして、どうも心をつかめない」という程度の子どももいる。かん黙児にしても、外の世界ではまったくしゃべらない子どももいれば、ふとしたきっかけで黙りこくってしまう子どももいる。私にしても、それぞれ何10例もの子どもたちを直接指導してきたが、その私でもいまだに迷うことが多い。いや、判断を誤ることはまずないが、親に言うべきかどうかで迷う。「もし万が一にもまちがっていたら……」という思いと、「治療法も用意しないまま、診断だけをくだすことはできない」という、二つの思いの中で迷う。言えば言ったで、親に与える衝撃ははかり知れない。 だから親は、子どもがどこか変わった症状を示したりすると、子どもを叱ったり説教したりす る。「どうして静かに落ちつけないの」とか、「皆の前で、もっとハキハキ、しゃべりなさい」とか。 しかし脳の機能的障害というのは、そういうものではない。子ども自身がコントロールできな い、脳の奥深い部分で起こる。そして次に親は、その矛先を、教師に向けてくる。「先生の指導 が悪いから、こうなったのだ」と。教師がやりきれない気持ちに襲われるのは、たいていこんな ときだ。 が、教師は知らぬふりをして教える。そういう知識はないという前提で、教える。少なくとも親 のほうから、「どうしてでしょうか?」という質問があるまで、そうする。……こう書くと、無責任な 教師のように思われるかもしれないが、教育には、はっきりとわからなくてもいいことは、山ほ どある。あるいはわかっていても、わからないふりをして教えることは山ほどある。たとえば子 どもの知能や、家庭問題。性格や気質など。その子どもはそういう子どもなのだということを納 得した上で、教える。仮に情緒に問題があるとしても、ふつう児として自然に扱ったほうが、そ の子どもにとってはよいということもある。意識すればするほど、逆効果になる。 そうそう、教師が一番いやがる会話を教えよう。何がいやかって、親に、「うちの子、どうでし ょうか」と聞かれることぐらい、いやなことはない。「うちの子、最近、いかがでしょうか」と聞く人 も多い。親というのは先生と顔を合わせると、たいていそう言うが、言われたほうは答えようが ない。親は軽いあいさつのつもりでそう言うのだろうが、何をどの程度答えるべきか、その返答 に困ってしまう。私の場合、そういうふうに聞かれたら、たいてい、「おうちではいかがです か?」と聞きなおすようにしている。そうすると、相手の聞きたいことがわかる。 私「おうちではいおかがですか」 親「最近、家の手伝いをしなくて困っています」 私「ああ、そのことですね」と。(以上、01年記「子育て雑談」) (補記) 「問われるまで、答えない」……それが、教師の間の不文律にもなっている。いくら子どもに問題があっても、教師の側から、それを指摘してはいけない。中には、それを正しく受け取ってくれる親もいるが、ほとんどの親は、その瞬間から、狂乱状態になってしまう。 で、最近の教師の傾向としては、こういう言い方をするのが、通例になっている。「一度、専門医に相談してみられてはいかがですか?」と。あとの判断は、親がすればよいという指導のし方である。 一見、無責任にみえる指導法だが、現状では、それもやむをえないのではないか。 (はやし浩司 子供の問題 育児の問題 子供の心の問題 教師の対処法) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月25日 07時56分33秒
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