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カテゴリ:育児問題
●肩書き人間(悪しき学歴人間)
私のいとこの義父に、国の出先機関の長をしていたのがいる。死ぬまで、長の名札をぶらさげて生きていたような人で、本人が「自分は偉いのだ」と思うほど、世間は相手にしなかった。葬式か ら帰ってきた母は、こう言った。「あんなさみしい葬式はなかった」と。 老人が老人社会へ入るためには、過去の肩書きを捨てなければならない……らしい。過去 の肩書きにこだわっていると、周囲の者が近づかない。恐れ多いからではなく、そういう人とつ きあっていると、疲れるから。が、こういう人たちにはそれがわからない。どこへ行っても、「私は 尊敬されるべきだ」というような態度をとる。 戦争をはさんで教育を受けた人たちというのは、とくにこの傾向が強い。「立派な社会人にな る」ことイコール、善と、徹底的に叩きこまれている。ここで言う立派な社会人というのは、言う までもなく「肩書きのある人間」をさす。あるいは「肩書きを見せただけで、相手がひれ伏す人 間」をさす。 実際、この日本は肩書きのある人は、それだけで得をする。一方、肩書きのない人は、せっ かくその力があっても、社会に埋もれてしまう。肩書きのある人は、それはそれでいいと思うか もしれないが、一方でそうでない人を、いかに虐げているか、それを忘れてはならない。仮にあ なたはいいとしても、あなたの子どもはどうだろうか。あるいはあなたの孫はどうだろうか。あな たがもっているような肩書きを手にすることができるだろうか。 人間の価値は、肩書きではなく、何をしたかによって決まる。こんなわかりきったことが、この 日本で住んで、生活しているとわからなくなる。先のいとこの義父も、同年齢の人と会うたび に、「あなたは何をしていましたか」と聞いていた。よほどそのことが気になるらしく、自分より立 場が上だった人にはペコペコし、そうでない人に向かっては、胸を張った。年下の人に向かっ ても、少しでもできが悪そうに見えたりすると、「君は、算数が何点ぐらいだったかね」と聞いて いた。あるいは「こんなのは、簡単な計算で解けるよ。こんなのもわからないのかね」と言った りした。 唯一の趣味といえば、新聞や雑誌への投書。毎日のようにせっこらせっこらと書いては、新聞社や雑誌社へ送っていた。たいてい自画自賛で、読むに耐えない文章だったが、私の母は「偉いもんだ」と言っては、その記事を人に見せていた。 その人はその人で、懸命に生きてきたのだろう。彼とてその時代の価値観に染まっただけ だ。かく言う私だって、私の生きた時代の流れに染まっている。彼がまちがっているということ にもならないし、私が正しいということにもならない。あるいは次の世代の流れが正しいというこ とにもならない。ただ私の立場で言えることは、こうした悪しき肩書き人間は、世界では通用し ないということ。それだけではないが、それも含めて、こういう過去の流れをここで止めなけれ ばならない。私のいとこの義父には悪いが、肩書きで自分の人生を見失ってはいけない。…… と私は思う。(以上、01年記「子育て雑談」) (付記) 権威主義の人は、電話のかけ方をみればわかる。動物的なカンで(?)、相手が自分より(上)か(下)かを判断する。そしてそれに応じて、電話のかけ方が、まるでちがう。(上)の人には、ペコペコし、(下)の人には、威張った言い方をする。 こうした権威主義が家庭に入ると、親子関係そのものを破壊する。親にとっては居心地のよい世界かもしれないが、子どもにとっては、そうではない。その居心地の悪さが、親子の間に、キレツを入れる。 これからは親の権威だけで、子どもをしばる時代ではない。またそれでは、子どもを指導することはできない。 (はやし浩司 権威主義 肩書き人間 肩書きで生きる人) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月25日 08時00分38秒
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