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楽天・日記 by はやし浩司

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2007年09月25日
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カテゴリ:育児問題
●超辛口教育論(子どもには本物を)

 音程がズレたような、チャラチャラしたジャリ歌手の歌う歌を、「名曲だ」と思い込んで、
CDやMDを聞き入っている若い人たちを見ると、「かわいそうだ」と思う。「あんな音楽しか知ら
ないのか」と思ってしまう。が、我が身を降り返れば、そうばかりは言っておれない。私たちも中
学生や高校生のときは、そういう歌手の歌う歌を、毎日のように聞いていた。

 今朝もテレビのチャンネルを入れると、タレントカップルの破局を大げさに報道していた。見
るからに知性のひとかけらも感じないようなカップルだが、そんなカップルの破局が、日本中の
ニュースになること自体、不思議なことだ。男のほうが名古屋駅を歩く様子が報道されたが、
報道陣に混じって、若い女性たちがキャーキャーと、声を張りあげていたのが印象的だった。
が、私たちだって、同じようなことをしていた。

 子ども時代、なかんずく幼児期には、本物を見せておく。画家をしている知人にそのことを話
すと、こう教えてくれた。「絵といっても、子どもを圧倒せんばかりの大きな絵がいい」と。食べ物
も、飲み物もだ。最近の子どもたちは、おいしい食べ物はと聞くと、ファーストフードのハンバー
グ。おいしい飲み物はと聞くと、自動販売機のジュースをあげる。しかしこうした食感覚にして
も、いかに不自然なことか。ニセモノばかり見たり、聞いたり、食べたりしていると、子どもは、
皆、そうなる。

 となると、私たちの時代はどうだったのかということになる。私自身もニセモノばかり見て育っ
た。いや、ニセモノしか、周囲になかった。当時はそういう時代だったように思う。5円で買うラ
ムネにしても、10円で買う駄菓子にしても、味はついていたが、それだけのものでしかなかっ
た。今から思うと、「どうしてあんなものばかり欲しがったのか」とさえ思う。

 かく言う私も、高校時代に口ずさんだ歌謡曲を聞くと、たまらないほどの懐かしさを覚える。た
だ私の場合、学生時代はずっと合唱団にいたし、その後も、ごく最近までパソコンミュージック
が趣味で、自分で作曲したりして、より高度な(?)音楽を楽しむことができた。そういう視点で
考えると、どこか損をしたような気分にもなる。人生は長いようで短いし、短いなら短いで、もっ
と本物に触れておけばよかったという気持ちだ。つまりニセモノに染まっていた時代の自分が、
何となく一方で、時間を無駄にしていたようにしか、思えない。

 さて、子どもたちはどうか。今、本物を見ているだろうか。あるいは本物とニセモノを見分ける
力は育っているだろうか。私はこれについては疑問だ。「たまごっち」というゲームに夢中になっ
ていても、小さな虫を見ただけで、キャーキャーと逃げ回る子どもはいくらでもいた。あるいは
「たまごっち」をしている子どもの横で、「殺せ、殺せ!」とはやしたてている子どもはいくらでも
いた。さらに「たまごっち」が終わったあと、本物の動物を育て始めたという話しは聞かない。果
たしてこのままで、いいのだろうか。(以上、01年記「子育て雑談」)

(付記)

 本物を、いつどうやって見せていくか……。しかし実際には、子どもたちは、親が見せるよりも先に、テレビや雑誌などによって、ニセモノをニセモノと見抜けないまま、それを本物と思いこんでしまう。

 そこで大切なことは、「子どもに見せよう」「教えよう」と考えるのではなく、親自身が、自分で本物を見ることではないだろうか。日々の生活の中で、いつも本物だけを見て、それを評価する。またそういう目を養っておく。これは子どものためというより、あなた自身のためでもある。

が、だからといって、子どもも本物を見るようになるとはかぎらない。イギリスの格言に、『水場に馬を連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』というのがある。最終的に、子どもが自分の世界で、どういうものを見るかは、親の問題ではなく、子どもの問題ということになる。
(はやし浩司 本物 本物を見せる)






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最終更新日  2007年09月25日 08時01分09秒
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