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カテゴリ:日々の随筆
●あの世vsこの世(This World itself is the Heaven of the Heaven)
もし(あの世)があるなら……という前提での話だが、私は、こう考える。 (あの世)は、ずいぶんとつまらない世界ではないか、と。 会う人は、みな、聖人ばかり。 一点の非もない。 そこにあるのは、善ばかり。 悪いことを考える人は、いない。 悪いことをする人もいない。 病気もなければ、事故もない。 争いもなければ、喧嘩もない。 みな、穏やかそうに、ニコニコと笑っているだけ。 食物は、豊富にある。 いや、(あの世)の人たちは、ものを食べる必要もない。 当然、働く必要もない。 毎日、ぜいたく三昧、遊び三昧。 そんな生活をくりかえしている。 が、私なら、そんな世界など、数日で、あきてしまうかもしれない。 そこは想像を絶するほど、退屈な世界? そこで(あの世)の人たちは、こう考える。 「一度、あの世へ行って、生老病死なるものを、経験してみようか?」と。 (あの世)の人たちがいうところの(あの世)というのは、つまり、私たちがいう、(この世)ということになる。 わかりやすく言えば、(この世)が、(あの世)の(あの世)ということ。 ……わかりにくい? もう少し、かみくだいて説明してみよう。 私たちがいう(この世)というのは、この現実の世界のことをいう。 そして多くの人たちは、(この世)で死ねば、(あの世)へ行くと、信じている。 ほとんどの宗教は、そういう前提で、(この世)の人間を指導している。 しかし(あの世)は(霊)の世界(?)。 たとえば和式仏教の教えによれば、死ねばみな、(仏)になって、(あの世)へ行くという。 地獄、極楽論もあるにはあるが、基本的には、(仏)になって、(あの世)へ行くという。 そこで、では、(あの世)とは、どんな世界なのか、それを考えてみる。 (霊の世界)と置きかえてもよい。 (神の世界)でも、(仏の世界)でもよい。 それが冒頭に書いたような世界ということになる。 「会う人は、みな、聖人ばかり……」という世界である。 ただ私自身は、(あの世)があると、信じているわけではない。 「死んだら、あの世へ行くことができる」と考えるのは、それ自体、甘美な響きをもつ。 死ぬことにまつわる不安が、それで解消できる。 しかし私には、わからない。 本当に(あの世)があるのか、ないのか? 今の私は、一応、「ない」という前提で生きている。 「死んでからのお楽しみ」というわけでもないが、「ない」という前提で、生きている。 で、もし「ある」とする。 (あの世)があるとする。 すると、その世界は、たいへんつまらないものではないか。 はっきり言えば、夢も希望もない。 みな完成された人たち(?)だから、生きる目的もない。 毎日、音楽を聴いて、絵を描いて、遊んでいるだけ(?)。 そういう(あの世)では、人にせよ、はたまた(霊)にせよ、「私は生きている」という実感は、たいへんもちにくい。 そこで(あの世)の人たちは、こんな会話を始める。 霊A「生老病死……ねえ」 霊B「あの世へ行けば、生老病死を経験できるそうですよ」 霊A「おもしろそうですねエ……」 霊B「あの世ではね、努力によって、悪人にも、また善人にもなれるそうです」 霊A「努力によって、ですかア……?」 霊B「そう。それに恋をし、結婚をし、子どもをつくることもできるそうですよ」 霊A「恋? 結婚? 子どもをつくる……? いったい、それはどういうことですか?」 霊B「あの世へ行った人だけが、わかるそうです」と。 そこで霊Bは、(あの世)の相談所へ行き、(あの世)の(あの世)、つまり(この世)への渡航チケットのようなものを手に入れる。 ……どこか宗教ぽく、それでいて、SF的な話だが、もし(あの世)があるとするなら、けっして、ありえない話ではない。 つまり私が言いたいのは、今、私たちが住んでいる(この世)こそが、実は、(あの世)の(あの世)ではないかということ。 もともと人間というのは、自己中心性の強い生物である。 私たちが住んでいる(この世)を中心にものを考える傾向が、強い。 しかし(あの世)の(あの世)が、実は、(この世)であると考えると、ものの考え方が、一変する。 私たちは、もともとは、(あの世)の住人だった。 (霊でもよいが……)。 その住人が、私たちがいう、(この世)へやってきた。 そして「生きる」ということを、生身の肉体を使って、体験している……? たしかに(この世)は、不完全で、未熟。 どれひとつをとっても、完全なものはない。 が、その(不完全さ)こそが、(この世)の魅力ということになる。 無数のドラマも、そこから生まれる。 私たちがなぜ(この世)に生きているかといえば、そのドラマを生み出すためと考えてよい。 そのドラマが、人間の世界を、うるおい豊かなものにする。 生きる意味や、価値も、そこから生まれる。 それこそ努力によっては、神や仏のような人間になることもできる。 それが「希望」ということになる。 が、そうでなければ、もちろん、そうでない。 もし(あの世)があるなら……という前提での話だが、私は、こう考える。 実は、(この世)こそが、(あの世)の(あの世)である、と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月21日 23時42分26秒
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