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楽天・日記 by はやし浩司

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2008年05月21日
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カテゴリ:日々の随筆
●あの世vsこの世(This World itself is the Heaven of the Heaven)

もし(あの世)があるなら……という前提での話だが、私は、こう考える。

(あの世)は、ずいぶんとつまらない世界ではないか、と。

会う人は、みな、聖人ばかり。
一点の非もない。
そこにあるのは、善ばかり。
悪いことを考える人は、いない。
悪いことをする人もいない。
病気もなければ、事故もない。

争いもなければ、喧嘩もない。
みな、穏やかそうに、ニコニコと笑っているだけ。

食物は、豊富にある。
いや、(あの世)の人たちは、ものを食べる必要もない。
当然、働く必要もない。

毎日、ぜいたく三昧、遊び三昧。
そんな生活をくりかえしている。

が、私なら、そんな世界など、数日で、あきてしまうかもしれない。
そこは想像を絶するほど、退屈な世界?

そこで(あの世)の人たちは、こう考える。

「一度、あの世へ行って、生老病死なるものを、経験してみようか?」と。

(あの世)の人たちがいうところの(あの世)というのは、つまり、私たちがいう、(この世)ということになる。

わかりやすく言えば、(この世)が、(あの世)の(あの世)ということ。

……わかりにくい?

もう少し、かみくだいて説明してみよう。

私たちがいう(この世)というのは、この現実の世界のことをいう。
そして多くの人たちは、(この世)で死ねば、(あの世)へ行くと、信じている。
ほとんどの宗教は、そういう前提で、(この世)の人間を指導している。
しかし(あの世)は(霊)の世界(?)。

たとえば和式仏教の教えによれば、死ねばみな、(仏)になって、(あの世)へ行くという。
地獄、極楽論もあるにはあるが、基本的には、(仏)になって、(あの世)へ行くという。

そこで、では、(あの世)とは、どんな世界なのか、それを考えてみる。
(霊の世界)と置きかえてもよい。
(神の世界)でも、(仏の世界)でもよい。

それが冒頭に書いたような世界ということになる。
「会う人は、みな、聖人ばかり……」という世界である。

ただ私自身は、(あの世)があると、信じているわけではない。
「死んだら、あの世へ行くことができる」と考えるのは、それ自体、甘美な響きをもつ。
死ぬことにまつわる不安が、それで解消できる。

しかし私には、わからない。
本当に(あの世)があるのか、ないのか?
今の私は、一応、「ない」という前提で生きている。
「死んでからのお楽しみ」というわけでもないが、「ない」という前提で、生きている。

で、もし「ある」とする。
(あの世)があるとする。

すると、その世界は、たいへんつまらないものではないか。
はっきり言えば、夢も希望もない。
みな完成された人たち(?)だから、生きる目的もない。

毎日、音楽を聴いて、絵を描いて、遊んでいるだけ(?)。

そういう(あの世)では、人にせよ、はたまた(霊)にせよ、「私は生きている」という実感は、たいへんもちにくい。

そこで(あの世)の人たちは、こんな会話を始める。

霊A「生老病死……ねえ」
霊B「あの世へ行けば、生老病死を経験できるそうですよ」
霊A「おもしろそうですねエ……」
霊B「あの世ではね、努力によって、悪人にも、また善人にもなれるそうです」

霊A「努力によって、ですかア……?」
霊B「そう。それに恋をし、結婚をし、子どもをつくることもできるそうですよ」
霊A「恋? 結婚? 子どもをつくる……? いったい、それはどういうことですか?」
霊B「あの世へ行った人だけが、わかるそうです」と。

そこで霊Bは、(あの世)の相談所へ行き、(あの世)の(あの世)、つまり(この世)への渡航チケットのようなものを手に入れる。

……どこか宗教ぽく、それでいて、SF的な話だが、もし(あの世)があるとするなら、けっして、ありえない話ではない。

つまり私が言いたいのは、今、私たちが住んでいる(この世)こそが、実は、(あの世)の(あの世)ではないかということ。

もともと人間というのは、自己中心性の強い生物である。
私たちが住んでいる(この世)を中心にものを考える傾向が、強い。
しかし(あの世)の(あの世)が、実は、(この世)であると考えると、ものの考え方が、一変する。

私たちは、もともとは、(あの世)の住人だった。
(霊でもよいが……)。
その住人が、私たちがいう、(この世)へやってきた。
そして「生きる」ということを、生身の肉体を使って、体験している……?

たしかに(この世)は、不完全で、未熟。
どれひとつをとっても、完全なものはない。
が、その(不完全さ)こそが、(この世)の魅力ということになる。
無数のドラマも、そこから生まれる。

私たちがなぜ(この世)に生きているかといえば、そのドラマを生み出すためと考えてよい。
そのドラマが、人間の世界を、うるおい豊かなものにする。
生きる意味や、価値も、そこから生まれる。

それこそ努力によっては、神や仏のような人間になることもできる。
それが「希望」ということになる。
が、そうでなければ、もちろん、そうでない。

もし(あの世)があるなら……という前提での話だが、私は、こう考える。

実は、(この世)こそが、(あの世)の(あの世)である、と。





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最終更新日  2008年05月21日 23時42分26秒
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