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楽天・日記 by はやし浩司

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2008年08月08日
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カテゴリ:家族のこと
●兄の死

++++++++++++++++++H.Hayashi

8月2日、日曜日の早朝、私の兄が死んだ。
享年70歳(数え年)だった。
若いといえば、若い。
しかし兄は、生まれたときから体が弱かった。
とくに亡くなる前は、グールプ・ホームに3年、そのあと、病院に、1年あまりもいた。
最後は意識もほとんどなく、寝たきりの状態だった。

++++++++++++++++++H.Hayashi

兄弟といっても、いろいろある。
家族によってもちがう。
年齢差も影響する。
しかし私にとっての兄は、私の負担でしかなかった。

私が高校生のとき、私の実家はすでに火の車。
大学を卒業すると同時に、実家を支えるのは、私の役目ということになった。
兄は思考力も弱く、生活力も、ほとんどなかった。

こうして40年近く。
晩年になればなるほど、私への負担はふえていった。
経済的負担というよりは、社会的負担。
その重圧感には、ものすごいものがあった。

が、だからといって、私は、兄を恨んでいたわけではない。
むしろ逆で、いつも私は、「兄は私の代わりに犠牲になった」と
考えていた。
もし私が兄で、兄が私なら、立場は逆転していただろう。
兄がああした兄になったのは、遺伝子によるものというよりは、
環境によるものだった。
詳しくは書けないが、事実は事実。

私は、葬儀の席の(礼の言葉)で、こう述べた。
「今にしてみると、こうして私が人並みの幸福な家庭を築くことができたのは、
兄のおかげです。
家庭にも恵まれず、家族にも恵まれず、兄は私たちの犠牲になってくれました。
この場所に立ってみると、それがよくわかります」と。
この私の言葉には、一片の偽りはない。

ともかくも、兄は死んだ。
正直に言えば、兄が死んで、私はほっとしている。
前回、見舞ったときも、あまりにも痛々しそうな様子に、身が震えた。
食事は口からとれないため、腸に穴をあけ、そこから栄養分を注入していた。
話しかけても、うつろな目をかすかに動かすだけ。
兄は生きているというよりは、生かされているだけ。
その苦痛から、兄は、やっと解放された。
だから、ほっとした。

兄は「家」の犠牲になった。
兄は「父」や「母」の犠牲になった。
とくに母は、兄を監視し、兄が家から離れるのを許さなかった。
だから同じ(礼の言葉)の中で、私はこう言った。

「今ごろ兄は、足元も軽やかに、心も軽やかに、鼻歌でも歌いながら、金の橋を渡っていることと思います」と。

が、ともかくも、兄は死んだ。
何も残さず。
何も語らず。
静かに、どこまでも静かに、
「無」の境涯というのは、そういう境涯をいうのか。
そういう兄だからこそ、極楽へ入って当然。
何も、思い残すことはなかっただろう。

さようなら、準ちゃん!







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最終更新日  2008年08月08日 06時28分35秒
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