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カテゴリ:社会時評
●国としての人格 人間の人格は、EQ論で判断される。 その中でも、(1)より自己中心的でない、ということが、ひとつの判断基準になる。 共鳴性でもよい。 つまりより相手の立場に立って、相手の悲しみや苦しみを共有できる人のことを、 人格の完成度の高い人という。 これは人間という、それぞれの個人についていったものだが、それはそのまま「国」 についても当てはまる。 より自己中心的な国は、それだけ完成度の低い国ということになる。 半面、より自己中心的でない国は、それだけ完成度の高い国ということになる。 つまり自分の国の利益しか考えず、自分の国だけがよければそれでよいと考える 国は、それだけ完成度の低い国ということになる。 半面、相手の国のことを考え、相手の国の立場に立って考えられる国は、 それだけ完成度の高い国ということになる。 たとえば戦争と平和という問題にしても、自国の平和と安全が守らればそれでよいと 考えるのは、それだけ完成度の低い国ということになる。 で、どうしても、この問題は、あのインドのネール首相の言葉に行き着いてしまう。 ネール首相は、かつて、こう言った。 『ある国が平和であるためには、他国の平和もまた保障されねばならない。この狭い、相 互に結合した世界にあっては、戦争も、自由も、平和も、すべてたがいに連動している』(「一 つの世界をめざして」)と。 ●テポドン もしあのとき、テポドンの軌道がずれ、それに対して日本が迎撃していたら、 K国は、まちがいなく日本に対して、報復措置を取っていただろう。 中に「いや、あれは脅しにすぎない」と思った人がいるかもしれないが、それは 彼らの憎悪にも似た反日感情を知らない人の言葉と考えてよい。 中身はどうであれ、つまりその後の洗脳教育で増幅された部分もあるだろうが、 戦時中の日本は、そう思われてもしかないようなことを、してしまった。 で、事実、その数日前から、ミグ戦闘機部隊が、東海岸に集結していた。 ノドンミサイルも、臨戦態勢に入っていた。 時事通信(3・31)は、『民間兵力に当たる労農赤衛隊のほか、地方軍や予備役も 戦闘準備に入った』と伝えていた。 幸か不幸か、テポドンミサイルは、中途半端な形かもしれないが、無事(?)、 日本の上空を通過してくれた。 迎撃ミサイルが発射されることはなかった。 が、もしそうでなかったとしたら……。 つまりあのとき迎撃ミサイルが発射されていたとしたら、 今ごろ日本は、大惨事以上の大惨事に見舞われていたにちがいない。 これは私の憶測ではない。 ないことは、最近になって、日本の外務省が私と同じように考えていたことが わかってきた(週刊誌ほか)。 外務省は、迎撃ミサイルの発射に反対していた。 理由は、ここに書いたとおりである。 ●おとなになる 何度も書くが、日本は、あんな国を本気で相手にしてはいけない。 アメリカのある政府高官は、K国をさして、「Mad Dog(狂ったいぬ)」と 評した。 であるならなおさら、相手にしてはいけない。 国力は山陰地方にあるひとつの県にも及ばない、どこまでも貧しく、あわれな国 である。 世界の中でも、最貧国にあげられている。 しかも頭のおかしい独裁者に率いられた、どこまでも悲しい国である。 そんな国を、まともに相手にしてはいけない。 それとも日本は、そんな国を相手に、心中でもするつもりなのか。 おとなになるということは、国としての人格の完成度を高めることをいう。 「ミサイルだ!」「そら、迎撃だ!」と騒いでいるようであれば、人格の完成度は 低いということになる。 「日本も核武装だ」「国連脱退だ」と騒いでいるようであれば、人格の完成度は、 さらに低いということになる。 少なくとも世界の人たちは、「日本もK国も同じ」と見るだろう。 つまり私たちは、あの太平洋戦争での失敗から、何を学んだかということになる。 計600万人もの人たちの犠牲から、何を学んだかということになる。 ●では、どうするか? K国問題を解決するために、そのカギを握るのが中国ということになる。 その中国は、まだ道理の通ずる国である。 改革開放も、急速に進んでいる。 今のこの日本は、その中国をターゲットに、地道に、しかも忍耐強く、 説得に説得を重ねる。 日米韓、それに中国が動けば、K国は崩壊する。 いや、こう書くと、過激な意見に聞こえるかもしれないが、すでにあの国は、 内部的には崩壊している。 韓国に亡命した、K国の元政府高官(主体思想の創案者)は、こう言った。 「K国といっても、金xxのほか、取り巻きが20人程度。多くて100人程度の 独裁国家」(内容は記憶によるものなので、不正確)と。 その100人(たったの100人だぞ!)が、変われば、K国も変わる。 そのためにも、中国の説得に全力を傾ける。 けっして中国と対立してはいけない。 道理をもって当たれば、中国だってわからぬはずはない。 今ここでK国を擁護すれば、中国の歴史にも汚点を残すことになる。 中国だって、それを知っている。 ●終わりに…… テポドン騒ぎは、多くの、かつ貴重な教訓を私たちに残した。 その中でももっとも大切なことは、私たちが今感じている(平和)などというものは、 薄いガラスでできた、箱のようなものであるということ。 もろい! 壊れるときには、簡単に壊れる。 しかも今度戦争が起きたら、武器の発達もあるが、想像を絶するほど悲惨なものになる。 ノドンに通常の爆薬が搭載されていると考えるのは、それこそ本当に現実離れしている。 で、この教訓を、この先、どう生かしていくか。 とても残念なことだが、これで危機が去ったわけではない。 K国が核開発や、ミサイル開発をあきらめたわけでもない。 「つぎはいつ?」というふうに考えたらよい。 『平和とは、戦争と戦争の間の、束(つか)の間の一とき』ということになるのか。 アインシュタインも言っているように、人間というのは、『国というのは、 戦争を準備することと、戦争を防ぐことは、同時にはできないものである。 (A country cannot simultaneously prepare and prevent war.)』ということ らしい。 今こそ、つぎの平和はどうあるべきか、真剣に考えるべきときではないのか。 (補記) 今まで先の第二次大戦を、私はそのつどいろいろな呼び方をしてきた。 「太平洋戦争」「先の大戦」「第二次大戦」などなど。 オーストラリアなどでは、「ワールド・ウォー(世界大戦)、ザ・セカンド (World War 2nd)」などと呼んでいる。 しかし今日から私は、「日本の侵略戦争」と呼ぶことにした。 事実、そのとおりなのだから、反対する人はいないはず。 そうそう今朝の新聞によれば、国連という舞台で、K国は語気を強くして、 「あれは人工衛星だった」と主張しているようだ。 その姿勢は、「先の戦争は侵略戦争ではなかった」と主張する日本の姿勢と、 どこか、ヨ~~ク似ている。 Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月09日 09時51分25秒
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