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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年04月09日
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カテゴリ:社会時評
●テポドンと平和(09年4月9日)
(North Korean Missile and Peace in Japan)

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あのテポドン騒ぎも一段落。
またすべてのものが、何ごともなかったかのように、
動き出した。

テレビでは相変わらず、バラエティ番組。
その中のひとつで、現在宇宙ステーションにいる、
「Wさん」との交信を中継している番組があった。
私はそれを見ながら、K国の人たちは、
こういう事実をどこまで知っているのだろうかと
思った。

「人工衛星も結構だが、今はもう、そういう時代ではない」と。
つまり国際が協力しあって、宇宙の開発をする。
もし人工衛星なら……。

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●何を学んだか

私たちは、あのテポドン騒動で何を学んだか。
何を私たちに教訓として残したか。
あるいはこのまま、再び、ノー天気な平和主義に溺れてしまってよいのか。
過去の一事件として、忘れてしまってよいのか。
あの4月5日を思い浮かべなら、いろいろ考える。
また考えなければならない。

現実には、まだ何も問題が解決したわけではない。
そこにK国はあり、彼らは核兵器もミサイルももっている。
さらに言えば、彼らには、道理が通じない。
自国民が何百万人も餓死しても、みじんも自らに恥じない国である。
他国民である日本人を、同じように何百万人も殺しても、平気ですますだろう。

束(つか)の間の平和かもしれないが、平和な今だからこそ、
私たちは、平和について考えなければならない。
緊張感を失ってはならない。

●周囲科学

まず、テポドンについて……。

ひとつの科学だけが、ほかの科学を飛び越えて、特異に発達するということは、
ありえない。
ひとつの科学が発達するためには、それを支える周囲の科学の発達がなければ
ならない。
これを「周囲科学」という。

たとえば宇宙工学にしても、それを支えるための無数の周囲科学が必要である。
ロケットを打ち上げれば、それですべてというわけにはいかない。
衛星を軌道に載せるにしても、衛星本体にそういう装置をつけなければならない。
地上からの指令に応じて、姿勢を制御したり、方向を転換したりするなど。
そのためには、通信施設や通信技術も必要となる。
その前に、衛星がどこをどのように周回しているかを知らなければならない。
そういった監視システムも必要である。

つまりそういったものをすべて無視して、「ロケットを打ち上げに、成功した」は、
ない。

●情報遮断とウソ

あのK国を見ていて、悲しくなる理由にはいくつかある。
ひとつは、どうして人間は、ああまで愚かになれるかということ。
一説によると、K国は、今回のテポドンの打ち上げのために、300億円(韓国
情報当局)も費やしたという。
これはちょうど一年分の食糧をまかなえる金額という。

それが人工衛星の打ち上げのためであるならなおさら、そんなお金を衛星のために
費やす方が、どうかしている。
今の今も、多くの民が飢えで苦しんでいる。

それにもうひとつ。
それはつまり、あのK国を見ていると、戦前、戦時中の日本をそのまま見せつけられる
ような思いがするということ。

戦時中の日本人も、今のK国のように、為政者たちによって、よいように操られた。
大本営発表を例にあげるまでもない。
徹底した情報遮断とウソ情報。
今回もK国内部では、「成功」と報ずるだけではなく、「世界中の報道機関が、成功と
報じている」と、国民には教えているようだ。

●戦時中の日本とK国

で、その日本人が、今K国を見ながら、何かを学習しているかというと、そうでもない。
たとえば「K国をやっつけろ!、やっつけろ!」と叫んでいる人たちほど、その一方で、
あの日本の侵略戦争を美化してやまない。

恐らく彼らもまた、K国を見ながら、自己矛盾に陥っているのだろう。
戦前、戦時中の日本と、現在のK国の類似点を求めたら、それこそ山のように出てくる。
しかしそれを認めることは、彼らにしてみれば、自己否定につながってしまう。

が、本当の悲しさは、そのつぎにやってくる。

現在のK国はやがて、自滅する。
今までああした国が生き残ったという例は、ひとつもない。
で、そのとき、犠牲者となった国民は、それに気がつくかどうかということ。
この先50年後でもよい。

恐らく現在の日本人がそうであるように、50年後のK国の人たちもまた、それに
気がつかないだろう。
「私たちは正しかった」「金xxは正しかった」と。
独裁者の犠牲になりながら、犠牲になったことにすら、気がつかない。
毎年、金xxの墓参りをしながら、バンザーイ、バンザーイを繰り返すかもしれない。

●在日朝鮮人の人たち

それにしても理解に苦しむのが、在日の朝鮮S連の人たち。
彼らは今、日本という国の中に住み、K国を私たちと同じように客観的にながめている。
またそれができるはず。

ああいう国が、(まとも)か、そうでないかということになれば、だれが見ても(まとも)
ではない。
K国のミサイルが飛んでくれば、自分たちの命だって、危険にさらされる。
しかし現在は、K国の在日大使館的な役割を担っている。
何かあるたびに、K国を擁護し、日本を非難する。
こうした感覚は、いったい、どこから生まれるのか。
今年も、このままでは、何百万人という(同胞?)が、飢えに苦しむという。

それほどまでに、日本を恨んでいるのか?
それとも、愛国心そのものが、カルト化しているためなのか?

5、6年前のことだが、新潟港を出港したM号(日朝間の連絡船)の中の様子が
紹介されたことがある。
その中で、在日朝鮮人の学生たちが、「♪(日本が)滅ぶ、滅ぶ……」というような
歌を歌っていた。

そういう歌があること自体、信じられなかったが、それをうれしそうに歌う学生たちの
姿もまた、信じられなかった。

●欠陥

これは人間が本来的にもつ「欠陥」のようなものかもしれない。
K国の人たちのことを言っているのではない。
私たち日本人も、同じように、その「欠陥」をかかえている。

私たち日本人も、侵略戦争で、300万人も犠牲になっている。
が、同時に、300万人もの外国の人たちを殺している。
あの南京虐殺事件にしても、一部の人たちは、「日本軍は30万人も殺していない。
せいぜい3万人だ。中国側の卑劣なプロパガンダだ」と息巻いている。

しかし3万人でも、問題である。
3000人でもよい。
300人でもよい。
もし日本が反対に、同じことをされたとしたら、どうなのか。
名古屋のような都市に、ある日、中国軍がやってきて、300人の人を殺したら、
どうなのか?

●人間の攻撃性

人間が本来的にもつ攻撃性は、いつも一方的なものと考えてよい。
攻撃する側は、攻撃することだけを考える。
攻撃される側のことは、考えない。
このことはたとえば、加害者と被害者の立場に分けて考えてみると、よくわかる。

加害者は、多くのばあい、「害を与えた」という意識が薄い。
そういう意識があっても、それをすぐ忘れる。
これは脳の中で、不愉快なことはできるだけ早く忘れたいというメカニズムが
働くためではないか。

一方被害者は、それをいつまでも覚えている。
(被害)を原点として、妄想をふくらますこともある。
「我々の国が貧しいのは、日本のせい」と。

こうした加害者と被害者の間に、ミゾ、つまりギャップが生まれる。
そしてそれが対立関係を生みだす。





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最終更新日  2009年04月09日 09時51分50秒
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