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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年05月03日
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カテゴリ:社会時評
●情報の洪水(Floods of Information)

++++++++++++++++

数日前、BSアンテナを買った。
テレビ(=フル・ハイビジョン)に接続した。
NHKの視聴料金はずっと払ってきたが、一度、アンテナが
壊れ、そのままになっていた。

その間、数年間。
私は基本的には、テレビはあまり好きではない。
見るとしても、スポーツとかニュースだけ。
あとはDVD再生用。

が、久しぶりにBSを見て、驚いた。
チャンネル数だけでも、10前後ある。
その上、フル・ハイビジョン!
美しさがちがう。
ダントツにちがう。
……ということで、この数日間、テレビに釘付け。

++++++++++++++++

●考える暇

そこは情報の世界。
それが怒涛のように、飛び込んでくる。
つぎからつぎへと、立ち止まって考える暇もない。
チャンネルをあちこちに替えながら見ていると、頭の中が興奮状態になる。
自分でもそれがわかる。

そこでふと考えた。
「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」と。

情報の量が多いからといって、それだけ知識が豊富になったということにはならない。
情報というのは、一度、頭の中で、整理されなければならない。
そのつど立ち止まり、思考という形で、脳の中に刻んでこそ、
情報は情報としての意味をもつ。
一方的に情報の洪水の中にいると、それこそ情報の渦の中に巻き込まれてしまう。
具体的には、感覚が麻痺し、思考力を失ってしまう。

たとえて言うなら、薮から棒に、何か専門的なことを質問されたばあいを想像して
みればよい。
1つ2つならまだしも、そういう質問が、4つ5つと重なった場合を想像してみればよい。
1つや2つでも、私たちは、相手の質問の内容を吟味し、ゆっくりと答える。
いいかげんなことを言うと、かえって相手に誤解を招く。
これがここでいう「考える暇」というのが、それ。

もっとわかりやすい例では、落ち着きなく、あたりをキョロキョロと見回している
子どもがいる。
キョロキョロしているから、頭がよいということにはならない。
むしろ、その逆。
キョロキョロしながら、その実、何も考えていない。
その(キョロキョロした状態)になる。

●刺激されるのは右脳だけ

順に考えてみよう。

たとえば昨夜、民放(BS)で、アメリカの自然を特集していた。
ワシントン州の景色である。
私はその美しさに息をのんだが、もしそのとき、「きれい!」「美しい!」だけで
終わってしまったら、思考力ゼロということになる。
が、テレビのほうは、思考することそのものを許してくれない。
こちらが考える間もなく、つぎからつぎへと、画面を変えていく。

空撮から水辺、花畑から森の中、さらには時間を短縮した画像へ、と。
そのつどそれを見ている私たちは、それに振り回されるだけ。
もしそのとき、私たちにできることがあるといえば、即座にそれに反応することだけ。
子どもの世界で言うなら、右脳ばかりが刺激され、それで終わってしまう。

瞬間的な判断力は必要かもしれないが、それが思考力につながるということは、
論理的に考えても、ありえない。

●バラエティ番組

そこで私たちは何かの情報を得たら、それを吟味し、思考に変換していく。
分析し、論理として組み立てていく。
が、情報の洪水の中では、それができない。
その典型的な例が、バラエティ番組と呼ばれる番組である。

けばけばしいスタジオ。
けばけばしい出演者たち。
そういう人たちが、意味のないことをギャーギャーとわめき散らしている。
そういうことをするのが、テレビ番組のあり方とでも思っているよう。
またそういうことができないと、ああした番組には出られない。

ついでながら、もう1つ、気がついたことがある。

ああした番組に出てくる人たちは、それぞれのタレントについて、よく知っている。
「●△□さんねえ……」
「XXYさんねえ……」と。

残念ながら、私はそういう名前を出されても、1人も顔が浮かんでこない。
学者の世界で言うなら、ノーベル賞を受賞した学者の名前とかになるのだろう。
つまりそういう名前を相互に口にしながら、彼らは彼らで、自分たちのステータス
を守りあっている。
またそういう名前を出されたとき、「そんな人、知らない」とでも言おうものなら、
さあ、たいへん。
みなから袋叩きにあう。

そしていつもの自慢話。
「この前、●△□さんと、ドラマをご一緒させてもらいましてね……」
「XXYさんとは、~~パーティで、一緒になりましてね……」とか。

まるでテレビという世界を中心にした、特権階級に住んでいるかのよう。
それを見ている視聴者は、指をくわえて見ているだけ。

●かけ合い漫才

話が脱線したが、ああした人たちを見ていると、「この人たちには、静かに考える
時間があるのだろうか」と思う。
が、問題は、それを見ている人たち。
私たちはそうした番組を見ながら、情報に振り回されているだけ。
そのときはそれなりに楽しくても、あとには何も残らない。
残らないばかりか、毎回見ていれば、当然、その影響を受ける。

しゃべり方やジェスチャが似てくるのはしかたないとしても、
考え方まで似てくる。

まず相手をドキッとさせるように、スレスレのことを口にする。
「お前、何や?、そんなアホづらしてエ?」と。

あたかもそう言いあうのが、親しさの表れとでも言わんばかりの言い方である。
それを数回繰りかえしたあと、かけ合い漫才のようになる。
脳の表面に飛来した情報を、ペラペラと口にする。

そこで問題点を整理すると、こうなる。

●問題点

(1) 情報の洪水(一方向的な情報の洪水)
(2) 思考力の低下(浅薄化)
(3) 情報の麻薬性(絶えず情報に接していないと落ち着かない)
(4) 禁断症状(情報が切れると、落ち着かない)

(1) 情報の洪水。

このばあいも、「だから、どうなの?」と自問してみればよい。
「それがわかったからといって、どうしたの?」と。
それだけでも情報の量は、かなり選択される。

(2)思考力の低下

これはテレビ局側のねらいとも一致する。
間断なく情報を流すと、脳みそはその間、思考停止の状態になる。
つまりカラッポ。
そのあとコマーシャルを流せば、視聴者をそのまま洗脳することができる。
が、視聴者こそ、よい迷惑。
テレビ局側に操られるまま、操られてしまう。

(3)情報の麻薬性

これは私の母や兄を観察していて気がついたことだが、見てもいないのに、
母や兄は、一日中、いつもテレビをつけっぱなしにしていた。
テレビをつけていないと、落ち着かないらしい。
「情報の麻薬性」というのは、それをいう。
が、それは同時に、視聴者の愚民化を意味する。

(考えること)には、ある種の苦痛がともなう。
情報を垂れ流すことによって、その苦痛から、身を守ることができる。

(4)禁断症状

情報に接している間は、安心感を覚える。
が、その情報が途絶えたとたん、不安になる。
こうした視聴者の心理をテレビ局側は知り尽くしている。
だから、愚劣番組を垂れ流す。

見るからにそれらしい出演者たち。
視聴者は、自分よりバカな人間がいることを知り、安心する。
この安心感こそが、テレビ文化の基本になっている。

だから……。
それが途絶えたとたん、視聴者には禁断症状が生まれる。
不安になる。
心配になる。
つまり(テレビ)は(集団)であり、その集団に身を寄せることで、
安心感を覚える。

●選択の問題

否定的な意見ばかり書いたが、だからといって、テレビそのものを否定している
わけではない。
だれの目から見ても、テレビは必要だし、功罪を説けば、「功」のほうが大きい。
だから冒頭に書いたように、これは「選択」の問題ということになる。
「いかに番組を選択して見るか」ということ。
その操作を誤ると、これも先に書いたように、「たいへんなことになる」。

テレビゲームを与えている間は、おとなしい。
しかしゲームを取りあげたとたん、禁断症状が現れる。
テレビ漬けになったおとなも、同じような症状を示す。

「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」という意味は、
これでわかってもらえたと思う。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
テレビ テレビ文化 テレビの功罪)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司





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最終更新日  2009年05月03日 20時50分38秒
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