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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年05月06日
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カテゴリ:家族のこと
【K子さんとE市へ】

●家族を迎える

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

三男が、嫁さん(「嫁さん」という言い方には、どうも抵抗を感ずるが……)、
その嫁さんを連れて、今、帰郷している。
明るい性格のさっぱりした女性だが、どこかで無理をしていないか、少し心配。
私が嫁さんの立場なら、半日で、激しい片頭痛に襲われるだろう。
どうか気を遣わないで、我が家では気楽に過ごしてほしい。
言いかえると、私たちも気を遣わない。
ありのまま。
言いたいことを言い、したいことをしている。
それが最善の迎え方(?)。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●家の女?

私たちはともかくも、相手の親は、さぞかしさみしい思いをしていることと思う。
ワイフから聞いた話しでは、嫁さんの実姉も、結婚が決まったとか。
つまり2人つづけて、結婚する。

今どき「家を出る」とか、「嫁ぐ」とか、そういう言い方をするのは好きではない。
同じように「嫁さん」という言い方にも、どこか抵抗を覚える。
「嫁」とは、「家の女」という意味。
私は、そういう発想そのものに、生理的な抵抗感を覚える。
どうして1人の人間が、「家の女」?

ほかに呼び方はないのだろうか。
二男の妻?
二男の奥さん?
二男の連れ添い?
二男のワイフ?

どれもどこかに封建主義的な臭いを感ずる。
「~~の」という言い方そのものが、おかしい。
嫁さんは、「モノ」ではない。
で、あえて言えば、(英語式に)「二男のワイフ」がいちばん私は好きだが、
しかしそういう言い方をする人は、この日本では少ない。

●今は静観

二男が結婚し、今度、三男が結婚した。
私にとっては、2人目ということで、どこかサバサバしている。
「サバサバ」というのは、どこか事務的?
だからといって、「どうでもいい」ということではない。
これは子どもの入学と似ている。

最初の子どものときは、あれこれと気を使うものだが、2人目となると、心に余裕が
できる。
その余裕が、サバサバした感じを作る。
つまり大切なのは、「結婚」というその(時点)ではなく、この先のプロセス。
わかりやすく言えば、結婚するのは簡単。
「好きだ」「好きよ」で、結婚できる。
しかしこれから先が、たいへん。
その(たいへんさ)を知っているから、その心配の方が先に来てしまう。
「何とか、うまくやってほしい」と願うだけ。
つまり親が介入できることは、そこまで。
あとは本人たちの問題。

もちろん何か問題が起きれば、私もワイフも、身を投げ打ってでも助ける。
(少しおおげさかな?)
しかし今は静観するしかない。
「ま、どうぞ、ご勝手に」と。

●さみしさ

こうして息子たちは、巣だっていく。
「いつかは……」と覚悟はしていたが、これほどまでにさみしいものとは思っていな
かった。
息子たちが去っていくのが、さみしいのではない。
いや、それもあるが、私自身が、用なしになっていくのが、さみしい。
この先、私たちを待っているのは、老後。
ちょうどベンチの席をつぎの人に明け渡すように、私たちは席を譲らねばならない。
この地球に住める人間の数にも限界がある。

やがて三男夫婦も、子どもをもうけるだろう。
そのとき私たちがこの世界にのさばっていたら、子どもたち、つまり孫たちの座る
席がなくなってしまう。

私たちのほうが先に腰をあげ、「さあ、どうぞ!」と言ってあげねばならない。
が、その先、私たちの座る場所がない。
それがツンとしたさみしさとなって、心を包む。

●気楽に

三男夫婦を見ながら、「では、私たちができることは何だろう」と、しばしば考える。
第一にしてあげられることは、私の家を、「羽を休める場所として提供する」こと。
この先、いろいろなことがあるだろう。
そのとき三男夫婦も、疲れ、ときには羽を休めたくなるだろう。
そういうときは、我が家へ帰ってきて羽を休めればよい。

しかし……。

我が家は、それにふさわしい家なのだろうか。
三男夫婦は、私の家にやってきて、羽を休めることができるのだろうか。

実のところ、自信がない。
三男夫婦は、ある種の義務感を覚えて、私の家に帰郷した。
何もない家だから、楽しいはずはない。
私もワイフも、あまり楽しい人間ではない。

ま、オーストラリア流でいけば、何もしないことこそ、よいのかもしれない。
三男夫婦が、したいことができるようにしてやる。
何も考えず、ただひたすら気楽に!

●まねごと

ひとつだけ三男夫婦を見ていて学んだことがある。
仲のよいカップルを見ていると、こちらまで照れくさくなる。
三男は、嫁さんにラブラブ。
嫁さんも、三男を、好きで好きでたまらないといったふう。
並んで座っていても、たがいに体が自然に傾いていく。
いつの間にか、寄り添っている。

そういう姿を見ていると、私の方まで気が若くなる。
思わずワイフの手を握ったりする。
「お前ら、若いものに負けてたまるか!」という競争心からかもしれない。
あるいは「私たちも私たちなりに、人生を楽しもう」という思いがあるからかも
しれない。

どうであるにせよ、何もラブラブは、若い人たちだけの特権ではない。
私たちは私たち。
ハハハ。
どうせ勝ち目のない戦いだが、せめてまねごとだけはしてみたい。
ハハハ。

●だいじょうぶかな?

しかしおかしなもので、三男は三男。
幼いころのあの三男。
「あいつが、本当に結婚するのだろうか」と、いまだに信じられない。
そんな思いが残っているから、どこか不安。
どこか心配。

で、そのつど三男の心を確かめるのだが、私の若いころより、ずっとしっかりしている。
それをやはりそのつど確かめながら、自分を納得させる。
「だいじょうぶかな?」「これならだいじょうぶ」と。
そんな会話を、心の中でザワザワと繰り返す。

●親は脇役

しかしそれは私たちの気持ち。
相手の両親は、もっとさみしい思いをしているはず。
それを思うと、なんとかしなければと思う。
なにかよい方法はないものか……。

しかしその一方で、私たち夫婦にしても、できることはほとんどない。
結婚は、あくまでも当事者の問題。
三男夫婦の考えに従うしかない。
三男夫婦が、「こうしてくれ」と言えば、それに従う。
「ああしてくれ」と言えば、それに従う。

これは私たち夫婦もそうだったが、夫婦の絆のほうが、親子の絆より、はるかに
太く、しっかりとしたものになる。
親というのは、いつも脇役でしかない。
また脇役で甘んじるしかない。

繰り返しになるが、私たちは(去りゆく者)。

●プロセス

結婚は、プロセス。
これから先、ゆっくりと時間をかけて、少しずつ、人間関係を作っていけばよい。
ワーワー騒いで、急速に接近したところで、それほど意味はない。
嫁さんにしても、少しずつ時間をかけて、人間関係を作ればよい。
1年とか、2年とか……。
その時点、時点で、静かに過去を振り返りながら、地盤を固めていく。

その結果として、10年後がやってくる。
20年後がやってくる。

そのときは、私たち夫婦も、ボケてしまって、何もわからなくなるかもしれないが、
そのときはそのとき。
私たちの時代は終わった。
生まれてくる孫にしても、それほど長く、顔を見ることはできないだろう。
せいぜい、孫が、中学生か高校生になるころまで。
いや、そのころまで生きていられれば、御の字。

この先、この世界を生きていくのは、三男たち。
三男の家族たち。
今の私たち夫婦を見れば、それがわかる。
今では、家族と言っても、私とワイフだけ。

●結婚式

ふつう息子が結婚したというと、何かの達成感があるものではないかと思っていた。
しかしそんな達成感など、どこにもない。
「子どもを育て上げた」という充実感もない。

先にも書いたように、結婚は、プロセス。
どこかの標識を過ぎたからといって、それで旅が終わるわけではない。
簡単に言えば、結婚式をすませたからといって、それで終わるわけではない。

……しかし、三男夫婦は、結婚式をどう考えているのだろう。
いろいろと考えているようだが、イマイチ、「?」。
まあ、そのうち何かの連絡があるだろう。
私の方から、あれこれと言うのは、私のやり方ではない。
三男が責任をもって、自分たちのしたいようにすればよい。
私たち夫婦は、それに従うだけ。

やりたければやればよい。
やりたくなければ、やらなくてもよい。

私は前から、「相手の両親の意向だけを大切にしろ」と、三男には教えてきた。
私たちのほうは、どうでもよい。
だいたい、偉そうなことは、言えない。

私たち夫婦は、お金がなくて、結婚式すら、していない。
10万円の貯金がやっとできたときで、今のワイフに、「このお金で結婚式をするか、
それとも香港へいっしょに旅行するか」と聞いたときのこと。

ワイフは「香港へ行きたい」と。
それで2人で、香港へ行った。
それでおしまい。

そんな私がどうして三男に、「立派な結婚式をしろ」と言うことができるのか。

●金食い虫

どうであるにせよ、この先、三男夫婦が、幸福な家庭を築くことこそ、大切。
形ではない、中身。
中身だけを考えて、一歩、一歩、前に進めばよい。
結果はあとからついてくる。
あせらなくても、ついてくる。

最後まで見届けることは、私たち夫婦には、もうできない。

そうそう、三男について心配なこと。

昔から私は、「口臭男」と呼んでいた。
歯を磨かない。
そのためいつも口臭がしていた。
それを指摘すると、いつも三男は怒った。
口臭だけは、自分で気がつかない。
(そう言えば、おとといも、歯垢の臭いがプンとしたぞ!)

それに金遣いが荒い。
私とワイフは、内々では、三男を、「あの金食い虫」と呼んでいた。
交際費、つまり友人のためなら、惜しみなく(多分?)、金を」使う。
だから嫁さんには、こう言った。

「給料は、あなたがしっかりと管理するんですよ」と。
そうすれば三男も、少しは、おとなしくなるだろう。

●負けないぞ!

浜松には3泊して、明日、千葉へ帰るという。
また長い空白期間が生まれる。
しかしそんなことは気にしない。
私は私で、明日からまた私の生活を始める。

映画も見るぞ!
運動もするぞ!
仕事もするぞ!
原稿も書くぞ!
講演もするぞ!

だれにも遠慮しない。
ジジ臭い生き方など、まっぴらごめん。
一応70歳まで働くと心に決めているが、そこで仕事をやめるわけではない。
余力があれば、80歳までだって、現役で仕事をしてやる!

……そのとき、三男は47歳。
嫁さんは、45歳。
そのころ、三男夫婦は、幸福になっていればよい。
それを見届けられたら、御の字。
あとに思い残すことは、何もない。

そんなわけで、幸福宣言!

お前も幸福になれ!
私たちも、負けずに幸福になる!

負けないぞ!
……とまあ、力んでみたところで、今日はここまで。
ま、いつでも、戻っておいで、
待っているよ。
(2009年5月6日)






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最終更新日  2009年05月06日 19時32分47秒
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