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カテゴリ:家族のこと
【K子さんとE市へ】
●家族を迎える ++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 三男が、嫁さん(「嫁さん」という言い方には、どうも抵抗を感ずるが……)、 その嫁さんを連れて、今、帰郷している。 明るい性格のさっぱりした女性だが、どこかで無理をしていないか、少し心配。 私が嫁さんの立場なら、半日で、激しい片頭痛に襲われるだろう。 どうか気を遣わないで、我が家では気楽に過ごしてほしい。 言いかえると、私たちも気を遣わない。 ありのまま。 言いたいことを言い、したいことをしている。 それが最善の迎え方(?)。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ●家の女? 私たちはともかくも、相手の親は、さぞかしさみしい思いをしていることと思う。 ワイフから聞いた話しでは、嫁さんの実姉も、結婚が決まったとか。 つまり2人つづけて、結婚する。 今どき「家を出る」とか、「嫁ぐ」とか、そういう言い方をするのは好きではない。 同じように「嫁さん」という言い方にも、どこか抵抗を覚える。 「嫁」とは、「家の女」という意味。 私は、そういう発想そのものに、生理的な抵抗感を覚える。 どうして1人の人間が、「家の女」? ほかに呼び方はないのだろうか。 二男の妻? 二男の奥さん? 二男の連れ添い? 二男のワイフ? どれもどこかに封建主義的な臭いを感ずる。 「~~の」という言い方そのものが、おかしい。 嫁さんは、「モノ」ではない。 で、あえて言えば、(英語式に)「二男のワイフ」がいちばん私は好きだが、 しかしそういう言い方をする人は、この日本では少ない。 ●今は静観 二男が結婚し、今度、三男が結婚した。 私にとっては、2人目ということで、どこかサバサバしている。 「サバサバ」というのは、どこか事務的? だからといって、「どうでもいい」ということではない。 これは子どもの入学と似ている。 最初の子どものときは、あれこれと気を使うものだが、2人目となると、心に余裕が できる。 その余裕が、サバサバした感じを作る。 つまり大切なのは、「結婚」というその(時点)ではなく、この先のプロセス。 わかりやすく言えば、結婚するのは簡単。 「好きだ」「好きよ」で、結婚できる。 しかしこれから先が、たいへん。 その(たいへんさ)を知っているから、その心配の方が先に来てしまう。 「何とか、うまくやってほしい」と願うだけ。 つまり親が介入できることは、そこまで。 あとは本人たちの問題。 もちろん何か問題が起きれば、私もワイフも、身を投げ打ってでも助ける。 (少しおおげさかな?) しかし今は静観するしかない。 「ま、どうぞ、ご勝手に」と。 ●さみしさ こうして息子たちは、巣だっていく。 「いつかは……」と覚悟はしていたが、これほどまでにさみしいものとは思っていな かった。 息子たちが去っていくのが、さみしいのではない。 いや、それもあるが、私自身が、用なしになっていくのが、さみしい。 この先、私たちを待っているのは、老後。 ちょうどベンチの席をつぎの人に明け渡すように、私たちは席を譲らねばならない。 この地球に住める人間の数にも限界がある。 やがて三男夫婦も、子どもをもうけるだろう。 そのとき私たちがこの世界にのさばっていたら、子どもたち、つまり孫たちの座る 席がなくなってしまう。 私たちのほうが先に腰をあげ、「さあ、どうぞ!」と言ってあげねばならない。 が、その先、私たちの座る場所がない。 それがツンとしたさみしさとなって、心を包む。 ●気楽に 三男夫婦を見ながら、「では、私たちができることは何だろう」と、しばしば考える。 第一にしてあげられることは、私の家を、「羽を休める場所として提供する」こと。 この先、いろいろなことがあるだろう。 そのとき三男夫婦も、疲れ、ときには羽を休めたくなるだろう。 そういうときは、我が家へ帰ってきて羽を休めればよい。 しかし……。 我が家は、それにふさわしい家なのだろうか。 三男夫婦は、私の家にやってきて、羽を休めることができるのだろうか。 実のところ、自信がない。 三男夫婦は、ある種の義務感を覚えて、私の家に帰郷した。 何もない家だから、楽しいはずはない。 私もワイフも、あまり楽しい人間ではない。 ま、オーストラリア流でいけば、何もしないことこそ、よいのかもしれない。 三男夫婦が、したいことができるようにしてやる。 何も考えず、ただひたすら気楽に! ●まねごと ひとつだけ三男夫婦を見ていて学んだことがある。 仲のよいカップルを見ていると、こちらまで照れくさくなる。 三男は、嫁さんにラブラブ。 嫁さんも、三男を、好きで好きでたまらないといったふう。 並んで座っていても、たがいに体が自然に傾いていく。 いつの間にか、寄り添っている。 そういう姿を見ていると、私の方まで気が若くなる。 思わずワイフの手を握ったりする。 「お前ら、若いものに負けてたまるか!」という競争心からかもしれない。 あるいは「私たちも私たちなりに、人生を楽しもう」という思いがあるからかも しれない。 どうであるにせよ、何もラブラブは、若い人たちだけの特権ではない。 私たちは私たち。 ハハハ。 どうせ勝ち目のない戦いだが、せめてまねごとだけはしてみたい。 ハハハ。 ●だいじょうぶかな? しかしおかしなもので、三男は三男。 幼いころのあの三男。 「あいつが、本当に結婚するのだろうか」と、いまだに信じられない。 そんな思いが残っているから、どこか不安。 どこか心配。 で、そのつど三男の心を確かめるのだが、私の若いころより、ずっとしっかりしている。 それをやはりそのつど確かめながら、自分を納得させる。 「だいじょうぶかな?」「これならだいじょうぶ」と。 そんな会話を、心の中でザワザワと繰り返す。 ●親は脇役 しかしそれは私たちの気持ち。 相手の両親は、もっとさみしい思いをしているはず。 それを思うと、なんとかしなければと思う。 なにかよい方法はないものか……。 しかしその一方で、私たち夫婦にしても、できることはほとんどない。 結婚は、あくまでも当事者の問題。 三男夫婦の考えに従うしかない。 三男夫婦が、「こうしてくれ」と言えば、それに従う。 「ああしてくれ」と言えば、それに従う。 これは私たち夫婦もそうだったが、夫婦の絆のほうが、親子の絆より、はるかに 太く、しっかりとしたものになる。 親というのは、いつも脇役でしかない。 また脇役で甘んじるしかない。 繰り返しになるが、私たちは(去りゆく者)。 ●プロセス 結婚は、プロセス。 これから先、ゆっくりと時間をかけて、少しずつ、人間関係を作っていけばよい。 ワーワー騒いで、急速に接近したところで、それほど意味はない。 嫁さんにしても、少しずつ時間をかけて、人間関係を作ればよい。 1年とか、2年とか……。 その時点、時点で、静かに過去を振り返りながら、地盤を固めていく。 その結果として、10年後がやってくる。 20年後がやってくる。 そのときは、私たち夫婦も、ボケてしまって、何もわからなくなるかもしれないが、 そのときはそのとき。 私たちの時代は終わった。 生まれてくる孫にしても、それほど長く、顔を見ることはできないだろう。 せいぜい、孫が、中学生か高校生になるころまで。 いや、そのころまで生きていられれば、御の字。 この先、この世界を生きていくのは、三男たち。 三男の家族たち。 今の私たち夫婦を見れば、それがわかる。 今では、家族と言っても、私とワイフだけ。 ●結婚式 ふつう息子が結婚したというと、何かの達成感があるものではないかと思っていた。 しかしそんな達成感など、どこにもない。 「子どもを育て上げた」という充実感もない。 先にも書いたように、結婚は、プロセス。 どこかの標識を過ぎたからといって、それで旅が終わるわけではない。 簡単に言えば、結婚式をすませたからといって、それで終わるわけではない。 ……しかし、三男夫婦は、結婚式をどう考えているのだろう。 いろいろと考えているようだが、イマイチ、「?」。 まあ、そのうち何かの連絡があるだろう。 私の方から、あれこれと言うのは、私のやり方ではない。 三男が責任をもって、自分たちのしたいようにすればよい。 私たち夫婦は、それに従うだけ。 やりたければやればよい。 やりたくなければ、やらなくてもよい。 私は前から、「相手の両親の意向だけを大切にしろ」と、三男には教えてきた。 私たちのほうは、どうでもよい。 だいたい、偉そうなことは、言えない。 私たち夫婦は、お金がなくて、結婚式すら、していない。 10万円の貯金がやっとできたときで、今のワイフに、「このお金で結婚式をするか、 それとも香港へいっしょに旅行するか」と聞いたときのこと。 ワイフは「香港へ行きたい」と。 それで2人で、香港へ行った。 それでおしまい。 そんな私がどうして三男に、「立派な結婚式をしろ」と言うことができるのか。 ●金食い虫 どうであるにせよ、この先、三男夫婦が、幸福な家庭を築くことこそ、大切。 形ではない、中身。 中身だけを考えて、一歩、一歩、前に進めばよい。 結果はあとからついてくる。 あせらなくても、ついてくる。 最後まで見届けることは、私たち夫婦には、もうできない。 そうそう、三男について心配なこと。 昔から私は、「口臭男」と呼んでいた。 歯を磨かない。 そのためいつも口臭がしていた。 それを指摘すると、いつも三男は怒った。 口臭だけは、自分で気がつかない。 (そう言えば、おとといも、歯垢の臭いがプンとしたぞ!) それに金遣いが荒い。 私とワイフは、内々では、三男を、「あの金食い虫」と呼んでいた。 交際費、つまり友人のためなら、惜しみなく(多分?)、金を」使う。 だから嫁さんには、こう言った。 「給料は、あなたがしっかりと管理するんですよ」と。 そうすれば三男も、少しは、おとなしくなるだろう。 ●負けないぞ! 浜松には3泊して、明日、千葉へ帰るという。 また長い空白期間が生まれる。 しかしそんなことは気にしない。 私は私で、明日からまた私の生活を始める。 映画も見るぞ! 運動もするぞ! 仕事もするぞ! 原稿も書くぞ! 講演もするぞ! だれにも遠慮しない。 ジジ臭い生き方など、まっぴらごめん。 一応70歳まで働くと心に決めているが、そこで仕事をやめるわけではない。 余力があれば、80歳までだって、現役で仕事をしてやる! ……そのとき、三男は47歳。 嫁さんは、45歳。 そのころ、三男夫婦は、幸福になっていればよい。 それを見届けられたら、御の字。 あとに思い残すことは、何もない。 そんなわけで、幸福宣言! お前も幸福になれ! 私たちも、負けずに幸福になる! 負けないぞ! ……とまあ、力んでみたところで、今日はここまで。 ま、いつでも、戻っておいで、 待っているよ。 (2009年5月6日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月06日 19時32分47秒
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