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カテゴリ:社会時評
●他人の視線 だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。 大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニール袋など)を拾って、袋に入れる。 そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽トラックだ。 そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的変化が起きるのがわかる。 「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、いい印象をもつにちがいない」と、瞬間だが、まず、そう考える。 しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえってわざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴミを集めているのに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、これまた瞬間だが、思いなおす。 そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふうに考えて、自分を納得させる。 こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。 Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、その周囲の人たちから聞いて、知っていた。 が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の虐待らしい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親が座っていた。 私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを欠かさなかった。そればかりか、時折、体を起こして座っている息子の背中を、わざとらしく撫でてみせたり、骨折していない別の足のほうを、マッサージしてみせたりしていた。 代理ミュンヒハウゼン症候群によるものとまでは断言できないが、それに近かった。 息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のままだった。 Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。 ……というような例は、多い。このNさんのような話は別にして、だれしも、ある程度は、他人の視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、自分であって自分でない行動を、する。 それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するということは、よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってしまってはいけない。 私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にしていたように思う。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集めをするようにしている。他人の視線が、わずらわしいからだ。 たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめてしまう。他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。 ……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしている、つまり、世間体を気にしている人間ということがわかる。 ●世間体を気にする人たち 世間体を気にする人には、一定の特徴がある。 その中でも、第一の特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。 このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となりの人より悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。 そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜んでみせたりする。 20年ほど前だが、こんなことがあった。 Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそうですね。本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、万引きをして、補導されてしまったようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」と。 Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情したフリをしながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていた! GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。 「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうですから。Gさんは、ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。 ●作られる世間体 こうした世間体は、いつごろ、どういう形で作られるのか? それを教えてくれた事件にこういうことがあった。 ある日のこと。教え子だった、S君(高校3年生)が、私の家に遊びにきて、こう言った。(今まで、この話を何度か書いたことがある。そのときは、アルファベットで、「M大学」「H大学」と、伏せ字にしたが、今回は、あえて実名を書く。) S君は、しばらくすると、私にこう聞いた。 「先生、明治大学と、法政大学、どっちがかっこいいですかね?」と。 私「かっこいいって?」 S「どっちの大学の名前のほうが、かっこいいですかね?」 私「有名……ということか?」 S「そう。結婚式の披露宴でのこともありますからね」と。 まだ恋人もいないような高校生が、結婚式での見てくれを気にしていた! 私「あのね、そういうふうにして、大学を選ぶのはよくないよ」 S「どうしてですか?」 私「かっこいいとか、よくないとか、そういう問題ではない」 S「でもね、披露宴で、『明治大学を卒業した』というのと、『法政大学を卒業した』というのは、ちがうような気がします。先生なら、どちらが、バリューがあると思いますか」 私「……」と。 このS君だけではないが、私は、結論として、こうした生きザマは、親から受ける影響が大きいのではないかと思う。 親、とくに母親が、世間体を気にした生きザマをもっていると、その子どもも、やはり世間体を気にした生きザマを求めるようになる。(あるいはその反動から、かえって世間体を否定するようになるかもしれないが……。) 生きザマというのは、そういうもので、無意識のまま、親から子へと、代々と引き継がれる。S君の母親は、まさに世間体だけで生きているような人だった。 ++++++++++++++++++++ これからますます、「顔」が問題になってくる。それともほとんどの人たちは、老齢になるとともに、その顔を、放棄してしまうのか。これから先、私自身がどう変化していくか、それを静かに観察してみたい。 (はやし浩司 個人化 アイデンティティ コアアイデンティティ コア・アイデンティティ 顔 顔のない子供 ペルソナ 仮面 はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン 超管理社会 はやし浩司 タクシー 白タク) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月07日 06時14分08秒
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