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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年06月03日
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カテゴリ:社会時評
【復古主義】

●加齢とともに……

++++++++++++++++++

歳を取ればとるほど、過去がどんどんと
自分に近づいてくる。
向うの方から、近づいてくる。
若いときには遠い昔に思えた、あの江戸時代ですら、
すぐそこに感ずるようになる。
ほんの一昔前のように、である。
これはおもしろい現象と考えてよい。
が、それには、ちゃんとした理由がある。

++++++++++++++++++

●たったの2倍!

 たとえば江戸時代という時代を見てみよう。
あの江戸時代は、大政奉還によって、終わる。
1867年11月9日のことである。

 その江戸時代というと、若い人たちは、遠い昔のことのように思うかもしれない。
1867年……ねえ?、と。
「そんな時代は遠い昔の話で、とっくに終わった」と。
実は、私も、若いころは、そう考えていた。

 そこで、こんな計算をしてみる。
現在は2009年だから、1867年というと、142年前ということになる。
その142年という年数だが、つぎのように計算できる。

20歳の人……142÷20=約7
40歳の人……142÷40=約3・6
60歳の人……142÷60=約2・4
80歳の人……142÷80=約1・8、と。

つまり142年という年数を、それぞれの年代の人の年齢で割ってみた。
そうすることによって、江戸時代という時代が、自分の年齢の、何倍、昔のこと
かがわかる。

この計算によれば、現在20歳の人には、江戸時代というと、自分の人生の7倍も
遠い昔の過去ということになる。
しかし60歳の私には、たったの2倍と少し。
さらの現在80歳の人には、さらにたったの1・8倍!
2倍としても、自分の人生の2倍程度の昔ということになる。
(たったの2倍というところに注意してほしい。)

 そこで自分の人生を振り返ってみる。
私は現在満61歳だが、この61年間を振り返ってみると、いろいろあった。
あったが、その61年間は、あっという間に過ぎた。
その61年間をさらに振り返りながら、江戸時代といっても、私の人生の
たった2倍の昔のことでしかないことを知る。
つまり子どものころは、遠い昔に覚えたあの江戸時代が、加齢ともに、どんどんと
現在の自分に近づいてくる。
向うの方から、近づいてくる。

●そこにも、ここにも、江戸時代

 60年生きたからといって、人生観が、それほど変わるわけではない。
何か特別の努力をした人は別として、そうでなければそうでない。
たいていの人は、満18歳前後までに自分の常識を完成させる(アインシュタイン)。
それがそのまま、その人の常識となって、一生を支配する。

 いや、そうであるなら、まだよいほう。
さらにたいていの人は、加齢とともに、ますます愚かになっていく(失礼!)。
脳みその底に穴があいたようになり、そこから知恵や知識が、外にこぼれ出ていく。
つまり私が言いたいのは、60年と言っても、それほど大きな変化は期待できない
ということ。
そしてそういう(私)が無数に集まって、大きな流れとなる。
その流れ、とくにその民族がもつ意識というのは、それほど変化しない。
変化しないまま、つぎの世代へとバトンタッチされていく。

 で、それが2倍の120年になったからといって、それほど変化するものでは
ない。
あの時代はあの時代のまま。
あそこやここに、私の子ども時代が残っているように、江戸時代も、あそこや
ここに、そのまま残っている。
それが実感として、わかるようになる。

現に私の祖父は明治生まれの人だったが、今から思うと、江戸時代そのものを、
背負っていたように思う。
身分意識、家父長意識、男尊女卑思想、上下意識などなど。

 その祖父は私が25、6歳のときに他界したが、当然のことながら、私はその
祖父の影響を大きく受けた。
受けたまま、現在に至っている。

 ずいぶんと回りくどい書き方をしたが、私の年齢になると、あの江戸時代ですら、
まるで昨日のように、そこに見えてくるようになる。
少なくとも若い人たちが感じているように、「遠い昔」ではない。

●封建主義を清算しよう!

 そこで大切なこと。
それが封建主義の清算ということになる。

忘れてならないのは、悲しいかな私たちは、あの時代をまだ一度も清算していない。
フランス革命のように、民衆がそれに向って、立ち上がったという歴史すらない。
「明治維新」とは言うものの、英語では、「明治王政復古」と翻訳されている。
つまり徳川家から天皇家へと、(頭)がすえ替えられただけ。

清算していないばかりか、むしろあの時代を不必要に美化し、それが日本の原点
であるかのように考えている。
NHKの大河ドラマをその例にあげるまでもない。

が、事実はどうであったのか?
武士はそのまま警官となり、それまでの身分制度は、学歴制度となった。
それが今でも、形こそ、ゆるやかにはなったが、延々とつづいている。

 いいのか、日本、このままで!、とは何度も書いてきたが、さらに悲しいことに、
たいはんの人たちは、加齢とともに、ますます復古主義的なものの考え方に傾いていく。
本来なら、若い人たちの先頭に立ち、古きものを打ち壊し、新しきものを示して
いかねばならない。
その人生の先輩たちが、その逆のことをしている。

たとえば、武士道。
どうして今の、この日本で、武士道なのか?
自分たちの祖先の大半(93~4%)は、農民や町民だった。
武士に虐げられた民衆たちだった。
そういった事実も忘れて、その子孫が、武士道なるものを説いて、どうする?
どうなる?
刀をもった人間が、いかに恐ろしい存在であったかは、一連の殺傷事件を見れば
わかるはず。

中には「武士道こそ、日本が世界に誇るべき、精神的バックボーンである」と
説く人もいる。
しかし(負の遺産)に目をくれることもなく、一方的に武士道を礼賛することは、
危険なことでもある。
それがわからなければ、福沢諭吉らが参加した、明六社のした運動を、今一度、
振り返ってみたらよい。
江戸時代直後の先人たちが、江戸時代をどう見つめていたかが、それでわかるはず。
それとも、142年もたつと、そういった事実も風化してしまうのか。

 少し頭が熱くなったが、私たちは、人生の先輩者として、若い人たちの前に立たねば
ならない。
前に立って、変えるべきものは、変えていかねばならない。
「退職しました。これからは、思う存分、人生を楽しみます」では、人生の先輩として、
あまりにも、さみしいではないか。

……という提案だけをして、この話はここで終わりたい。

+++++++++++++++++++++

昨年(08)の6月に書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++

●福沢諭吉

……欧米には、こうした権威主義そのものが存在しない。
親子でも、兄弟姉妹でも、名前で呼びあっている。
またそのほうが、人間関係が、スムーズにいく。

反対に権威主義の親ほど、子どもたちから孤立することも
わかっている。
夫婦関係も、おかしくなる。
今どき、「男だから……」「親だから……」「夫だから……」と、
安易な『ダカラ論』を振りかざしているのは、世界広しと
いえども、この日本くらいなもの。

まず日本人の私たちが、それに気づくべき。

Kさんがいう「血」についても、同じ。
それについては、福沢諭吉が、100年前に、こんなことを
書いている。

国際留学協会(IFSA)のHPには、つぎのような一文が
掲載されている。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。そ
れに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという
態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源
頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も
関心を持っていないアメリカの社会制度に諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないの
だ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み
出すことになる』(国際留学協会(IFSA))と。

 それについて書いたのが、つぎの原稿である。





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最終更新日  2009年06月03日 06時43分41秒
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