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楽天・日記 by はやし浩司

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2012年04月20日
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●終わりに……

 オーストラリアの友人が送ってくれた資料について、今朝は考えてみた。
たいへん悲観的なエッセーになってしまったが、次回は、何とか明るいテーマについて考えてみたい。




【3】

●吐き出し

 頭の中がモヤモヤしてくる。
それがやがて、爆発しそうなほどまでに、充満してくる。
文章が片っ端から現れ、消え、また現れ、消える。
断片的な文章であることが多い。
しかし時には、講演か何かをしているかのように、ザラザラと流れてくることもある。
それがしばらく、つづく。

 そこでパソコンの前に座る。
まず切り口となる、軽い文章を叩く。
「書く」にではない。
「叩く」。

 脳みその調子のよいときは、指先が軽快に動く。
タイプミスもほとんど、ない。
そうでないときは、そうでない。
運動をしないで、タイプを叩くと、自分でもそれがよくわかるほど、指先がモタモタする。
だから運動は欠かせない。
今朝も書斎に入る前、30分、ランニングマシンの上で、歩いた。
走った。
ほどよい汗が出た。

 たいていは、日付から叩き始める。
「今日は……」という出だしで始める。
とたん、文章が、頭の中からどっと出てくる。
あとは一気に、それを吐き出す。

「書く」のではない。
「吐き出す」。

 その快感がたまらない。
1週間分、あるいは10日分の便が、一気に出たような感じ。
(汚いたとえで、ごめん!)
しかしそれに似ている。
フロイト流に解釈するなら、肛門期の排便。
それに似ている。
(フロイトがいう肛門期というのは、心的なものをいう。誤解のないように。)

 ……おとといと、昨日、私は2日連続で、頭の中のモヤモヤを吐き出した。
気持ちよかった。
楽しかった。
同時に、疲れた。

 今朝は、その反動か。
まったりとした満足感に包まれ、頭の中はからっぽ。
遅い朝食を終え、野鳥のために、餌をまき、そのあと乗馬マシンで、腰の運動。
ゆっくりと書斎に。
時計を見たら、10時を過ぎていた。

 今日は、あの3月11日。
「もう1年!」と思うと同時に、日本人の私たちにとっては、長い1年だった。
あの日を境に、日本人は、質的に変化してしまった。

●自己客観評価力

 話題を変えよう。

 「空気を読む」という言葉がある。
感覚というより、感情の触覚を四方八方に伸ばし、その場の雰囲気を的確に判断することをいう。
わかりやすい例でいえば、何かの会合に出たようなばあい。
そのとき、お呼びか、お呼びでないかどうか、それを判断するのも、そのひとつ。
お呼びでないところへ顔を出したりすると、場違いというか、息苦しくなる。
居場所すら、ない。
で、結局、その場からそそくさと、逃げ帰ったりする。

 何度か、経験がある。

 ただ私のばあい、「空気は読める」。
が、「空気を読みまちがえる」。
(どちらも似たようなものだが……。)

 だから最近は、何かの会に誘われても、前もって慎重に判断する。
空気を読みまちがえると、イヤミの集中砲火を浴びる。
楽しいはずの会が、かえって不愉快な会になってしまう。
が、この問題は、子どもの問題と直結している。

●AD・HD児

 集中力が欠如している子どもというのは、たしかに、いる。
AD・HD児もそうだが、その一歩手前というか、それを薄めた子どもとなると、その倍はいる。
(ADHDの発現率は、5%。)

 さらに「空気が読めない子ども」となると、年齢にもよるが、30~40%はいる。
自己評価力の問題ということになる。
(ふつう「自己評価力」というときは、自分の能力の評価力のことをいうが……。)
あるいは現実検証能力でもよい。
周りの現実を、的確に検証できない。
あるいは現実と自分が、遊離する。
そういった力が、欠落する。
つまり自分の立場を、客観的に評価できなくなる。
(そういう意味では、「自己客観評価力」(はやし浩司)という言葉がふさわしい。)
ともかくも、みなに嫌われていても、嫌われているということ自体、わからない。

 そういう子どもは、どうすればよいか。

 ひとつの方法としては、ビデオカメラで子どもたちの様子を撮り、それをあとで子どもたちに見せるという方法がある。
この方法は、自分で自分のビデオを撮るようになってから、知った。
現在、YOUTUBEを使い、私の教室を公開している。
その動画を、今度は自分で見る。
そのとき、そこに写っている私が、ときに私の別人格に見えるときがある。
つまり自分を、自分から離れた他人のようにして見る。
そのときふと、子どもたちが日ごろ、私をどのように見ているか、それがわかるときがある。

 たとえば私はよく、「じじい!」と呼ばれる。
が、私は自分では、じじいとは思っていない。
思っていないが、自分の動画を見ると、「なるほど」と思うときがある。
「私はじじいなんだ」と。

●母親

 が、それでも難しいのが、「母親たちの空気」。
私はいまだに、母親たちの空気が読めない。
まったくといってよいほど、読めない。
とくに幼児教室の場では、そうである。
味方なのか、反感をもっている人なのか、それすらわからないときがある。

 女性というのは、本当にむずかしい。
いまだに私にとっては、謎である。
あのホーキング博士も、最近、そう述べている。

 では、今日は、ここまで。
2012/03/12UP

Hiroshi Hayashi

●3月13日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

このところ毎晩、寝る前に、「マヤの~~」とかいう本を読んでいる。
結構、それが楽しい。
若いころ、シュメール人に興味をもったこともある。
東洋医学の勉強をしていて、興味をもった。

が、もうひとつ忘れてはならない民族がいる。
仰韶(ヤンシャオ)人である。
この民族も、シュメール人やマヤ人と同じくらい、大きな謎に包まれている。
黄河流域で生活していた。
調べれば調べるほど、不思議な民族。
その仰韶(ヤンシャオ)へ、一度は行ってみたい。
西安の近くである。
私たちが現在「漢方」と呼んでいる東洋医学の原点は、仰韶(ヤンシャオ)人にある。
……と私は判断している。

現存する「黄帝内経」は、後の学者たちに、ズタズタに改変され、医学書(?)になってしまった。
が、元はといえば、天文学に関する本。
『五運行大論篇』を例にあげるまでもない。
しかも皮肉なことに、世界太古の『黄帝内経』は、中国にではなく、この日本に残っている。
京都の仁和寺(にんなじ)に、である。

東洋医学に関する本は、3冊、書いた。
うち1冊は、現在でも、全国の医学部や鍼灸学校で、教科書として使ってもらっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●年中児+3歳児に、かけ算と平行を教える

 昨日(3月12日)は、年中児(ほとんどが5歳児)と、3歳児(見学の女児)に、かけ算と平行を教えた。
うまく指導できた。



 その様子は、ここに紹介する。
こうした教育を否定する人も多い。
しかしそういう人にこそ、この動画を見てほしい。
幼児のもつ可能性に気づいてほしい。
同時に、現在の幼児教育なるものが、いかに幼児の「人権」を無視したものであるか、それに気づいてほしい。

 特別養護老人ホームで指導者がしているような指導でもって、それが幼児教育と思い込んでいる。
最悪なのが、NHKの幼児向け番組。
「♪お手々を、ブーラブ-ラ……」と。
ああいうのを見ていると、この私まで、恥ずかしくなる
私がもっている「幼児観」とは、まったく異質のもの。
幼児というのは、未熟で未完成という先入観でもって番組を作ると、ああいう番組になる。

 で、ときどき私は幼児たちにこう聞く。

「君たちさあ、ああいうのを見て、自分がバカにされていると思わないか?」と。

 すると、みな、こう答える。
「そうだ、そうだ」と。
年中児(4&5歳)の子どもたちだって、そう言う。
それくらいの意識はもっている!

●サナトス

 再び、マヤ。
何でもそうした本によれば、5月の金環食が、「終わりの始まり」だそうだ。
つまりその日から、世界中で異変が始まり、12月22日に、世界は終末を迎える(?)。
ウソか本当か……といえば、ウソに決まっている。
が、それがおもしろい。

 フロイトが言っているように、人間には、破滅願望というものがあるそうだ。
その原動力になっているのが、「サナトス」。
つまりフロイトは、どんな精神活動にも、表裏の二面性があると説く。
「生きたいという創造的な欲望」(リビドー)があれば、同時に「死にたいという破滅的な欲望」(サナトス)もある、と。

 おおざっぱに言えば、そういうこと。

 で、「マヤの~~」を読んでいると、心の内部に潜む「サナトス」を感ずる。
もちろん、それを望んでいるわけではない。
が、あえて言うなら、戦争映画か、破壊映画を見るような楽しさ。
たとえば近く、『バトルシップ(Battleship)』という映画が、公開される。
海の中から、動物の風体をした巨大なUFOが現れる。
地球のあらゆるものを破壊する。
ああいう映画は、ストレス解消には、たいへんよい。
私はそういう映画が好き。
いつもハハハと笑いながら、映画館から出てくる。

 「マヤの~~」とかも、ハハハと笑って終わるはず。
12月22日(日本時間では、12月23日)が、楽しみ。
大声で、ハハハと笑ってやる。

●不気味な話

 一方、こんな話もある。

 昨日、週刊朝日を買ってきた。
今週号である。
その中に、こんな記事があった(P21、「福島第一原発事故は収束していない」)。
こちらは、ハハハと笑ってすませない話。

「……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。

(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています」と。

 4号機には、毒性がきわめて強い、プルトニウムが使われていた。
(ウラニウムは灯油、プルトニウムはガソリンに、よくたとえられる。)
そのプールには、そのほか、使用済み核燃料が入っていた。
そこまでは私も知っていた。

 が、その危険性までは、知らなかった。
「プールに収まっているから、だいじょうぶ」と聞かされていた。
が、これがとんでもない、まちがい。

 ガンダーセンによると、プールにヒビでも入って、水が抜けたら、日本は万事休すということらしい。
北は北海道から、南は静岡県、あるいは日本列島全体が、放射性物質でおおわれる。
週刊朝日には、「過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの」とある。

 さらに恐ろしいのは、仮にそういう状態になったら、近辺の原子力発電所も、制御不能になるという。
管理する人がいない。
つぎつぎと放棄され、爆発を繰り返す。

 そうならないことを願うばかりだが、この先、30~40年も、ハラハラ、ヒヤヒヤしながら暮らすのもどうかと思う。
(もっともそれまで、私は生きてはいないが……。)

 さらに恐ろしいのは、「被害」が現れるのは、これから。
がんによる死亡者が、100万人単位でふえるという!

 昨日の新聞によれば、千葉県からですら、人口の流出がつづいているという。
一方、この静岡県の人ですら、千葉県には行きたがらない。
実家が千葉県にあるMさん(生徒の親)も、こう言っていた。
「実家へはひとりで帰ります。子どもは連れて行きません」と。

 福島原発事故は、何も収束していない。
安全宣言など、もってのほか。
こうした事故は、緊張感のゆるんだときが、恐ろしい。
そのとき第二、第三の事故が重なる。

 ……とまあ、またまた暗い話で、ごめん。

 ともかくも、今日も始まった。
寒い朝だ。
がんばろう。
がんばるしかない。







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最終更新日  2012年04月20日 06時44分13秒



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