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2014.01.05
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カテゴリ:懐かしのコミック
プロレススーパースター列伝・ファンクス.jpg


1980年代、週刊少年サンデーにて連載された
原作:梶原一騎、画:原田久仁信の劇画
「プロレススーパースター列伝」は
プロレスラーの半生を描いた作品である。

体裁としては「事実に基づくもの」とされていたが
空手バカ一代、四角いジャングル同様
実際にはかなりの虚構、漫画的な誇張も多く
梶原一騎の創作が劇画のボルテージを上げた為
事実と異なるエピソードも存在する。

アントニオ猪木・談」という小コラムが
毎回ごとに猪木の語っているように登場するが
現在では8割方は創作だとされるが

心理描写が巧みな為、事実と思った読者が
自身の努力と苦労の乗り越え方を学び
人生の教訓として参考にした梶原の功績は大きい。

その記念すべき第1話が「父の執念! ザ・ファンクス」
ドリーファンクJr、テリー・ファンクが主役だが
父親であるドリーファンクシニアのエピソードである。

シニアはボクサーからプロレスラーに転向し
当時のNWA世界チャンピオン・ルーテーズに
あっさりと敗れたのを機に悪役覆面レスラーに転向。

息子のドリー、テリーを育てる為にテキサス州
アマリロに引っ越し、広い大地で二人を育てた。

息子のドリー、テリーのエピソードは
最初からレスラー志望だったテリーと違い
ドリーが大学2年までは弁護士や会計士などに
なりたがっていた。

ファンクス.jpg

これが劇画の中のファンクスの半生であったが
実際のドリーファンクシニアは
ボクシング経験はなく空手の道場に通っており
現役時代は1958年にNWA世界ジュニアヘビー級王座を
獲得するなど活躍し、アマリロ地区を一代で
NWA有力テリトリーに育て上げた。

しかし1973年6月3日、パーティー中に余興で
レスリングをした際、心臓発作で急死。
このパーティーにはアメリカ武者修行中の
ジャンボ鶴田も居合わせていた。

ドリーファンクJrは1969年2月11日、フロリダ州において
ジン・キニスキーを破りNWA世界王座を獲得。
以降、ハーリー・レイスに敗れるまで
4年3か月間にわたる長期政権を築き
その間、日本でもジャイアント馬場、アントニオ猪木、
坂口征二と防衛戦を行っており
米国ではラッシャー木村や鶴田友美からの挑戦を受けた。

テリー・ファンクはアマリロ地区でキャリアを積み
1975年12月10日にジャック・ブリスコを破って
第51代NWA世界ヘビー級王者となり
兄ドリーと並んで史上初の兄弟世界王者となった。

ザ・ファンクスとしては1977年12月の
世界オープンタッグ選手権では
地上最凶悪コンビのブッチャー&シークを退けて
優勝しファンの感動を呼んだ。

1980年前後には「全日本のエースは
馬場、鶴田でなくファンクス。
新日本と全日本の差は猪木とファンクスの差」
といわれるほどの人気を博した。


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 プロレススーパースター列伝 大人気!悪役 (KPC) (廉価版コミックス) / 原田久仁信/画 梶原一騎/原作





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Last updated  2014.01.05 16:38:08
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