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カテゴリ:福岡
昨日はなかなかよい天気であった。ちょうど仕事も一段落つき、次の締め切りまでは、十分に余裕があるので、運動がてらちょいと離れた愛宕神社まで足を伸ばしてみた。 そういうわけで、福岡の愛宕神社には火産霊神と伊耶那美尊、それともとは別の神社で祀られていた伊耶那岐尊と天忍穂耳尊が、明治末期の合祀によって1つにまとめられて祀られている。南方熊楠は全国で進められた合祀に強硬に反対したが、ここの場合は、イザナギさんとイザナミさんがまた一緒になれたのだから、一応はよいことなのかもしれない。 福岡の愛宕神社は室見川河口付近の小高い丘の上にある。もとは、元の襲来に備えて北条時宗が建てた鷲尾城という小さな砦があったそうで、急な石段をえっちらおっちら登っていかなければならない。戦前までは、上まで登る小さなケーブルカーがあったそうだが、今はその跡も残っていない。 うかつにも、登ってみて初めて気づいたのだが、ちょうど七五三の時期で、お宮さんの稼ぎ時にあたっていたのだった。わが家でも、子供が小さいときにいちおう七五三はやったのだが、それはたまたま、近所の別の神社にどんぐり拾いに出かけたら千歳飴が売られていて、娘が 「あれ買ってぇー」 と言い出し、買おうとしたところ 「お祓い受けないと売ってあげないよー」 と言われたので、やむなく神妙な顔で本殿に並んで神主さんからお祓いを受けたという、ずいぶん出鱈目な話なのであった。 境内には、あちこちに 「日本三大愛宕」 という看板が出ているのだが、これを言っているのはここだけで、あまり根拠はないらしい。実際、丘のてっぺんにあるのは祠に毛が生えた程度の小さな本殿で、「日本三大愛宕」 というのにはちと無理がある。 ちょうど湾内には白い客船や黒い貨物船が、ユーミンの歌詞のように何艘かぷかぷかと浮かんでいたが、元寇のさいには、この海いっぱいに元と高麗の軍船がひしめくように並んでいたのかと思うと、感慨ひとしきりである。 帰りはひざをがくがくさせ、転げ落ちないように気をつけながら石段を下った。喉が渇いたので、目に付いた自動販売機で冷たいコーヒーを買おうとお金を入れてボタンを押したら、がらがらっと缶が転がり出てきて、「今日も一日頑張ってください」 と声をかけられてしまった。不意をつかれてしまったもので、不覚にも思わず 「はい、頑張ります」 と返事をして頭を下げてしまったのであった。 ああ、それから、X X 党の名前を変えたらどうだとか、X X 党と X X 党が手を組んだらどうだとか、その手の床屋政談に付き合うつもりはないので、そこんとこよろしく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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こんにちは~。お散歩いいですね。「お船はどこへいくのでしょう」みかんの花咲く丘の歌を思い出しました。こちらにTBしてくださった方の所を見に行ったら、思いがけずかつさんが「応戦」してました。かつさんと床屋政談したい自称理論派に好かれてるみたいですね。傍から見るとこり固まってる感じだけど、まじめな人たちね。
(2007.11.10 13:36:45)
薔薇豪城さん
おやおや、見つかってしまいましたか。 まあ、誰でも好き勝手なことを言う権利はありますけどね。 「大衆の動向」というものと無縁なところで政治を語るのは、結局「床屋政談」にしかすぎないと思っております。 威勢のいい人というのは、嫌いではないですけどね。 (2007.11.10 13:41:25)
うちの近所にもあります「激励販売機」。はじめて遭遇したときは思わず一歩引きました。最近はなれて、ちょっと心地よかったりしてます。
薔薇豪城さま、気がつかなかったのですが、ローザ・ルクセンブルクのことだったのですね。私も、その革命家としての壮絶な生き様に感動感涙したものの一人であります。今後ともよろしくお願いします。 (2007.11.11 15:17:19)
薩摩長州さん
>気がつかなかったのですが、ローザ・ルクセンブルクのことだったのですね。私も、その革命家としての壮絶な生き様に感動感涙したものの一人であります。今後ともよろしくお願いします。 ----- こちらこそよろしくお願いいたします、なんせ、ブログをはじめる時に考え過ぎてしまい、名前負けでオタオタしております。別名日和ったローザにしようかな? (2007.11.11 19:03:48)
かつ7416さま
そうそう、ダイドーです。ダイドードリンコ(なぜかドリンクといわない)のラインナップは私の趣味に合っていたりするのです。一番好みは「夕張メロン」です。 薔薇豪城さま 日和ってはなりませぬ。日和らないのがローザ・ルクセンブルクの偉大なところですから、どーんといらっしゃいです。 (2007.11.11 21:28:14)
オルフェウスは、ふと振り向きますと、エウリディケは悲しそうな顔をして消えてしまいます。
イザナギに腐り果てた自分の姿を見られたイザナミは、「恥をかかせた!」と追いかけてくるのですよね。 松江に行きますと、確か風土記の丘記念館でしたかに、イザナギを追いかけるイザナミの絵が展示してあります。どえらい迫力です。もしも機会がありましたらごらんください。近くに日本画の名品を集めた足立美術館もございます。 (2007.11.11 22:45:43)
まろ0301さん
イザナミに追いかけられたイザナギは、ほうほうの体で逃げ出しておりますね。これはいささかみっともない。 黄泉比良坂から抜け出したイザナギは、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊をしていますが、この愛宕神社の少し先に小戸という地名があります。 一般には、これは宮崎の小戸を指すと言われていますが、亡くなった原田大六や古田武彦は、福岡の小戸こそが古事記の小戸だと言っておりまして、私も絶対にこっちが正しいと思っております。 (2007.11.11 23:26:17)
この記事のトラックバックは、自動販売機の記事に来てるのですが、その直前の記事がセキレイを取り上げていて、イザナギ・イザナミの「遂將合交而不知其術。時有鶺鴒飛來搖其首尾。二神見而學之。即得交道」のことを書いてるんですね。
イザナギ・イザナミから自販機という流れがあるんでしょうか。 (2008.11.20 16:05:13)
南郷力丸さん
おお、これは失礼いたしました。 そちらの前の記事は見落としておりました。 一書に曰く。陰神先に唱えて曰く。美しきかな。善き少男なり。時に以って陰神より先に言うは不祥なり。更に復た改めて巡る。則ち陽神先に唱えて曰く。美しきかな。善き少女なり。遂に將さに交わらんとするが其の術を知らず。時に鶺鴒あり、飛來してその首尾を揺らす。二神見てこれに学ぶ。即ち交りの道を得。 古事記には、この話は載ってませんね。イザナミの「なりなりてなりあはざるところ」を、イザナギの「なりなりてなりあまれるところ」で「さしふたぎて、くにをうみなさむとおもふ」というのは、書紀のほうにも似たような話がありますが。 最初は先にイザナミから声をかけたために悪い子が生まれ、その子を葦舟に入れて流したそうですが、この神様がひょっとしてエジプトまで流れ着いてモーゼになったのでしょうかしら。 しかし、イザナギ・イザナミから自動販売機という流れとは、絶妙なシンクロニシティですね。 (2008.11.20 16:56:27)
>しかし、イザナギ・イザナミから自動販売機という流れとは、絶妙なシンクロニシティですね。
----- おっと、こっちはちょうど一年前の記事ですから、厳密に言うとシンクロではないですね。 (2008.11.20 17:55:39) |