ジージの南からの便り
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クマタツ1847
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南州神社参道階段は途中から東と西に分かれる。 東の広い方を「男坂」、西のやや狭い方を「女坂」と呼んでいる。 墓地を守ることを業とした人、隠坊や御坊とも表記し、オンボとも呼ぶことから、オンボ坂とも呼ばれる。階段は155段ある。 下の写真は参道階段を上り左側の公園から桜島と鹿児島市内を眺望したもの。 この日は、南岳が噴火し、噴煙が南の方向に流れていた。 「西郷どん」の眠る南洲墓地一帯は公園化されて、南洲公園と呼ばれている。 その南洲公園については、この4月に「西郷隆盛の南洲公園を訪ねる」の(その一、その二)で当ブログに書いたが、肝心の南洲墓地についてはあまり触れていなかった。(もっとも以前には何回か書いてはいると思うが) 今回、「西郷どん」に因んで、南州墓地をもう少し詳しく書いてみたいと思う。 階段を登った先に鳥居があり、その先に西郷隆盛の墓標がある。 西郷隆盛 1827年~1877年(明治10年9月24日没) 享年50 鹿児島城下下加治屋町(現在の加治屋町)に生まれる。 18歳で藩の郡方書役助(こおりかたかきやくすけ)となる。そののち書役となり、27歳まで勤める。その間農政に関する意見書で、藩主・島津斉彬の目に留まり庭方役となり、身分も小姓となる。 仕事は情報探索と渉外工作で、水戸の藤田東湖などと交流する。 安政5年(1858)主君の斉彬を失った西郷は殉死を考えるが、京都清水寺成就院の僧・月照の説得によりそれを思いとどまる。その後、安政の大獄に巻き込まれ僧・月照と鹿児島の錦江湾に入水自殺を図るが、西郷のみ一命をとりとめる。 しかし、幕府の手前もあり、藩命で奄美大島に蟄居させられる。 その後、1862年国父と呼ばれた久光に召喚され鹿児島に帰るが、先進的な尊皇攘夷派との結託を疑われ、今度は奄美大島の徳之島に流刑され、すぐに沖永良部に移される。ただ、それも大久保利通などのはからいもあり、1864年再び久光に召喚されて、禁門の変などで戦功をあげる。
慶応3年(1867)12月9日 王政復古の大号令 小御所会議において新政府発足。 慶応4年(1868) 1月3日 鳥羽伏見の戦いにより戊辰戦争勃発。 3月13日 東征大総督参謀として江戸入りし勝海舟と会談。 4月11日 無血開城により江戸城に入る。 明治2年(1869)2月26日 鹿児島藩参政に就任 明治3年(1870)7月28日 鹿児島藩大惨事に就任 明治4年(1871)6月25日 新政府において参議となる 7月14日 廃藩置県の実施 明治6年(1873)5月10日 陸軍大将参議に就任 10月23日 朝鮮半島への使節派遣をめぐり、意見対立し、参議の辞表を提出 11月10日 鹿児島に到着。武村の自宅に帰る 明治7年(1874)6月 鹿児島に私学校を設立 明治10年(1877)2月1日小根占村にいるとき、四学校生徒による火薬庫襲撃の報を受ける 2月17日 兵を率いて熊本城にある鎮台を目指す 2月22日 西郷軍と政府軍との戦闘開始(西南戦争) 3月4日~20日 田原坂の戦い 5月16日 延岡において全軍解散命令 9月1日 西郷軍、鹿児島に帰り、城山に籠城 9月24日 官軍の総攻撃により、西郷も介錯され生涯を閉じる 西郷の墓を中心に桐野利秋、篠原国幹、村田新八、辺見十郎太、別府晋介、桂久武の武将などの墓がある。鹿児島県令(初代県知事)大山綱良、県令岩村通俊の願いを政府軍が聞き入れ、西郷隆盛以下40人を浄光明寺境内に仮埋葬することを許可、この他120人が不断光院、草牟田、新照院の上、城ケ谷の4ヶ所に埋葬された。 明治12年(1879)有志が鹿児島市内に埋葬されていた220余人の遺骨をまとめて知事の許可を得てここに埋葬した。 明治16年(1883)薩摩、大隅、日向、豊後などの各地で戦死した遺骨も集められこの墓地に埋葬された。749基の墓石、明治10年(1877)西南戦争に敗れた薩軍2023人の将士が眠る。 西南戦争終結から12年後の明治22年(1889)西郷隆盛は名誉回復し、正三位に叙される。 その後、日本各地に銅像や記念碑などが次々に建立されて今日に至っている。 西郷南州の墓標の前にもいつも花が絶えない。 参考資料 「かんまち本」その2 「明治維新150年維新のふるさと鹿児島市」ホームページ
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