サンデー毎日の私が年末とはいえ2週間近くもブログの更新もしていなかった。
「キョウイク」も「キョウヨウ」ない私がプッツンしてしまったのかと思われたブロ友も多かったと思い反省しきりである。いや 反省は猿でもできることでしたね。(やはり年寄りは言うことがふ古いなあ!)
最後の更新の12月17日以降、狭いが放ったらかしの雑草園の草取りや整理に5日間(一日1時間)
グラウンドゴルフ2日間(一日2時間)、ウオーキング3日間(一日1時間)、F中学校3年生のクラス毎の「世代をつなぐコンサート」鑑賞とアンケートへの回答2日間(一日1時間)、おじさn合唱団の練習2日間(一日2時間)と23日最終練習日終了後の忘年会、デパートに買い物一回、親戚の病気見舞い一回、
近所のスーパーへの買い物数回、餅つき(餅つき機)の補助一回、1月5日予定の鹿児島五社詣り案内文作成と配布など、暇なようで忙しい日々だった。
元旦にはいつも集まる子供や孫たちのためにつくるおせち料理の材料買いは明日が本番である。
学校卒業後、鹿児島を離れた私は、結婚後も一回も正月に帰省したことはなかったが、昭和56年に鹿児島に帰って仕事をするようになってからは、母も同居し妻が母から鹿児島の正月料理も習ったりして親族もたくさん集まっての「正月で」(しょがっで)をするようになった。鹿児島弁ではそうだが「正月礼」がなまった? ことばのようで、要は「年始、正月の挨拶」のことである。
一族が集まって「しょがっで」をするということは、当然おせち料理を出さなくてはならない。子供たちもお年玉とおせち料理を楽しみに来るからだ。
そういうことで、帰鹿以来我が家では年末と年始のスケジュールが大体決まってしまった。
12月28日 餅つき
12月30日 午前中に材料買出し 午後は娘も帰ってきて料理つくり(娘一家分と2世帯分)
(娘一家は自宅と我が家と2回食すことになる)(爆)
元旦 午後 私たち夫婦と子供一家全員で照国神社に初詣 その後、「しょうがっで」
2日以降 箱根駅伝を見たり、自由に過ごし、気が向いたら我が家に集まって夕食を一緒にたべる
まあなんて賑やかな一族だろうと思われるだろうが、その通り「祭り男と女」の集まりである