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カテゴリ:旅行・ドライブ
私が松本清張を初めて知ったのは「点と線」を読んだ昭和30年代後半のことだったと思う。読んだきっかけは不確かな記憶だが、当時のベストセラーか何かの記事で、これまでにない「社会派推理小説」と喧伝されたことや、福岡の香椎海岸が舞台の一つとして書かれていることを知ったことなどであった。というのも当時、二番目の姉夫婦が香椎の公団住宅に住んでいて、新人社会人の私が休日に小倉から遊びに行っていたことなどから、香椎を身近な場所と感じていたからだ。 元々私は読書は大好きで、子供の頃は図書館にある「鉄仮面」や「十五少年漂流記」など手当たり次第に読んでいたし、中学・高校時代には当時我が家の本棚にあった「日本文学全集」などを少しドキドキしながら読むませた少年だった。 「点と線」を読んだ私は、それまでになかった推理小説の面白さに目覚め「目の壁」「張り込み」「ゼロの焦点」などを読んだ記憶がある。 しかし、その後の社会人時代は、世間並みに多忙でまとまって本を読む機会はなかった。その間にもテレビドラマや映画では「点と線」や「砂の器」などなどたくさんの作品を見た。 再び松本清張を読み始めたのは、65歳でリタイヤし、その後70歳まで親会社の監査室所属として九州管内の関連会社の監査の仕事をするようになって、鹿児島駐在で週4日勤務、月一回の九州管内の関連会社訪問で監査をする仕事だった。もう時効だから白状するが勤務の日も時間を持て余すことが多く、2階の一室を専有していた私は誰にも見られることもなく、自由に時間を使えた。そのため、車で10分くらいの所にあった BOOK OFFでいろいろな本を買って読むことができた。もちろんその中には松本清張もあった。 今、本棚を見ると「渦」「無宿人別帳」「鬼火の町」「紅い白描」「強き蟻」「溺れ谷」「Dの複合」「歪んだ複写」「時間の習俗」「けものみち」」「黒い画集」「影の地帯」「佐渡流人行」「彩霧」などなど30冊くらい並んでいる。 当ブログの2019年7月25日に「松本清張を見る」という題でテレビで見た清張ドラマのことを書いているが、その後も少し増えて93本くらいになっている。その中には同じ小説を別な脚本で別な俳優が演じたものも相当数ある。 清張のことは上記のブログの他にも2020年9月30日、「或る『小倉日記』伝」、同じく9月30日「傑作短編集」6冊を読む、2022年7月9日、 地図で読む松本清張、などを書いてきた。 閑人となった現在、このように好きなことをやれることに感謝しつつも、まだまだ清張本は読んでいないものも多く欲求不満もあるが少しづつ読破したいものだと思っている。 このようにいつの間にか清張にのめり込んでいたいた私だったが、これまで小倉に行っても訪ねる機会がなかった「松本清張記念館」を久しぶりの小倉行きに合わせて訪ねようと計画した。 松本清張は福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)に生まれて、給仕、印刷工などの種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社し、41歳の時「西郷札」で懸賞小説に応募、入選。直木賞候補となる。 続いて昭和28年(1953)、「或る『小倉日記』伝」を著し、芥川賞受賞した。 そのこともあったからか、同年12月1日付けで朝日新聞東京本社勤務となる。その後、井上靖の助言があり1956年5月31日付けで退職し作家活動に専念することになる。 記念館の中は撮影禁止とのことであった。 写真撮影は展示室入り口のここまで。 1階は、松本清張全著作 700冊の紹介コーナー 巨大な年表「松本清張とその時代」 全生涯を年代に沿って概観するのみならず、その年代ごとのニュース映画などを写すモニターを配し、当年代の社会背景や世相なども同時に知ることができるようになっている。 私達が行った日も熱心なファンと思われる人が一カ所に留まったまま見入っていた。あの人は一日かけても見終わらないのではないかと思うくらい時間をかけていた。 別のコーナーでは、現代小説、推理小説、歴史小説と時代小説、現代史、古代史、松本清張フィルモグラフィー(俳優や監督、脚本家など個人がかかわった映画作品の年代順リスト)の6ジャンル別に清張文学の全貌を紹介してあった。 2階には東京の西郊杉並にあった自宅の空間を切り取り応接室、書斎、書庫をここ生誕の地に移したものである。書庫には約2万3千冊の文庫があり、「調べて書く」という清張の創作の源を感じさせる。 地階には企画展示室、映像ホール、ミュージアムショップなどもあった。 今回の記念館訪問は、松本清張の偉大さをまとめて見ることができたが、その後のスケジュールもあり短時間しか見ることができなかった。次回は時間をかけてじっくり見学したいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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