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2018.12.08
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ライカのコピーで旧ソ連のカメラ、フェドが登場したのは1934年。
最後には、1996年までウクライナのハリコフ機械組合連合で生産されていたようだ。

フェドの名前は元ポーランドの貴族だった、
Феликс Эдмундович Дзержинский氏(=フェリクス・エドムンドビッチ・ジェルジンスキー)
に由来している。名前の頭文字3つを合わせて、ФЭД(=FED)というわけだ。

異邦人ながら、ソヴィエトの初代人民委員会議議長ウラジーミル・レーニン氏の全幅の信頼を受け、
旧ソ連の秘密警察チェーカーを創設した後は、初代GRUの長官になったという人物だ。
1926年に演説を終えた後に心臓発作で死去。
やがて神格化が始まり、ジェルジンスキーを称える都市や工場が作られる事になる。

フェドの始まりはウクライナの НКВД (=NKVD)内務人民委員部の、
児童労働委員会のワークショップらしい。
やがて、НКАП(=NKAP/1939~1946まで存在)航空工業人民委員会の、
フェリクス・ジェルジンスキー記念工場で生産された。
フェドは最初から軍需品という位置付けのカメラだったのだ。


1933年に児童労働委員会で、
フェリクス・ジェルジンスキー工場のА. С. Макаренко氏(A.S.マカレンコ)により、
ライカAをベースに数十台の試作の末に、
フェドの名前の入った最初の10台が1934年に発表される事になる。

1934年12月に1800台を生産するまでになり、
翌年には15000台が生産された。

ソ連初の小型カメラのフェドはシンプルで信頼性もあり、
直ぐに軍の特派員にも使われる事になる。

1941年9月まで、NKAP296号工場で生産されて、
戦時中の1942年には、ソ連軍2445号国防委員会令により、
ソ連のベルクスクNKV第237工場に疎開して生産を継続。

戦後は、ウクライナの閣僚議長クルシェフ氏によりウクライナに戻されることになる。
その間の1946年まではアーセナル工場で生産された。

1948年にクラスノゴルスクへ移管されてFED工場は復活し、
アーセナル工場も再開されて、こちらはキエフの生産を開始。
クラスノゴルスクFEDの一番の特徴は戦前の機種とは違い、
フランジバックがライカLマウントと同じ28.8mmで統一された事だ。

コーティングのない戦前のレンズを別に使う場合は、
初期のライカと同様にカメラに合わせてフランジバックを個々に調整しているので、
注意が必要かもしれない。

1955年になり新しいフェド2が発表されて以降は、
バルナックライカから離れ独自の発展をしていく事になる。


ずっと使われてきた標準レンズのフェド50mmf3.5に関しては、
レンズ構成はテッサーだけど外観はエルマーというハイブリッド型で、
基本的には、ゾルキーのインダスターと同じものだ。

フェド50mmは、今では安い割に写りの良いレンズの代表格で、
沈胴なので持ち運びも便利だし軽量なのが良い。

このレンズの特徴に沈胴部分に施されたピカピカのメッキがある。
どういう訳かオリジナルのライツよりも綺麗で、
旧いレンズでも傷が少ない所を見ると硬質のクロームメッキだと思われる。

手持ちのレンズは、引っ張り出して固定してもガタつきもなく、
加工精度を含めて旧ソ連製のレンズの中でも出来が良い。

フェド銘のレンズは戦前にはf2もあった。
1955年まではフェドとインダスターが混在していたが、
それ以降はインダスターがメインになった。

基本的にはテッサー型のフェド/インダスターレンズは、
色んな工場で色んな光学パラメーターで作られたようで、
刻印やコーティングとか構成部品のバリエーションが結構多い。
1956年からf2.8が追加された。

エルマー系特有の、絞り操作が厄介という以外は常用できる実力がある。
概して値段が安いのでライカ入門にも好適だ。

キヤノンⅣSb改に付けた、旧いコーテッド・フェド50mmf3.5。
1950年前後の個体と思われるけど、
シリアルがソ連のレンズ特有の頭の2桁が年代というものではない。


フェド50mmf3,5の作例(全て銀塩写真)

いつの間にか、畑の一角に植えられた花が満開になっている。


今年の凄まじい暑さの夏が終わり、秋の気配を感じるようになった田んぼ。


八ヶ岳の山麓の夕景。空全体に柔らかい幻想的なピンク色の雲が覆っている。


舗装もしていない農道の右手は成長途中のソバだ。水や肥料を撒かれる事もなく育っていく。


畑の一角に花を植えている所が結構あって、良い景色を作っている。



旧いフェドレンズの描写は流石に軍需品と言うべきか。
安物のレンズというイメージが吹き飛ぶ一級品だ。

1950年代のソ連の国力は極めて充実していた。
西側への優位性を誇示するために、
色んな工場が競い合って工作精度や仕上げも含めて、
コストなど関係なく性能を追求していたのかもしれない。





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最終更新日  2018.12.08 19:30:06
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