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カテゴリ:音楽
1976年に登場した、アメリカのロックグループにボストンというのがある。
個人的にも、初めて聞いた時には今まで聞いた事もない音楽だったので衝撃を受けた。 この年には、手練れのスタジオミュージシャンによるTOTOも結成されて、 後に産業ロックと一部から罵倒されながらも、 アメリカのロックシーンの変革が始まった年ともいえる。 トム・ショルツ氏が曲を書き始めたのは、 マサチューセッツ工科大学(MIT)に通っていた1969年の事で、 それは、やがて1stアルバムに収められたフォープレイという曲だった。 やがて、フリーホールドというバンドに参加した事により、 ギタリストのバリー・グドロ―氏と、ドラマーのジム・マスデア氏と知り合い、 そして、ボーカルのブラッド・デルプ氏が1970年に加わる事になった。 その後、トム・ショルツ氏は、 MITで博士号を取得した後はポラロイドで働きながら、 自前の録音スタジオを作り、前述の3人のメンバーに加えて、 ギター、キーボード、ベースを自分で担当してデモテープを作る事になる。 作ったデモテープは全てレコード会社に拒否されつ続ける中、 1973年にマザーズミルクというバンドを結成するものの1974年には解散。 それでも、デルプ氏とマスデア氏と共に、自身が3つの楽器を駆使しながら、 独特のサウンドが得られるように自分で設計したギターエフェクターを使い、 後に1stアルバムに収められる6曲の内、1974年には4曲をデモテープに収め、 残りの2曲も1975年にはデモテープとして完成させた。 このデモテープがプロモーターの、 ポール・アハーン氏とチャーリー・マッケンジーの関心に留まる事になった。 ただ、マネージャーはマスデア氏を変える必要があると主張、 結局、マスデア氏はバンドを去る事になる。 エピックと契約を結んだ後、レコード会社のライブオーディションの為に、 ベースにフラン・シーハン氏と、ドラムにシブ・ハシアン氏を迎え、 ステージでも独特のサウンドを作る事が出来るバンドとなり、 今後、6年間で10枚のアルバムを作る事に同意。 マスデア氏の件でショックを受けていたトム・ショルツ氏は、 レコード会社の提案によるプロのスタジオでの再録音を拒否した後、 マスデア氏のドラムが入ったロックンロールバンドという曲以外は、 全ての楽器を自分で演奏して自分流で録音するために自宅の録音スタジオに籠る事になる。 完成したマルチトラックテープはロスアンゼルスのスタジオに送られ、 そこで、デルプ氏のボーカルを追加したものを、 プロデューサーのジョン・ボイラン氏によってミックスダウンされた。 バンド名は、この時に ボイラン氏とエンジニアのウォーレン・デューイ氏により、ボストンと付けられた。 そうして1976年8月25日にリリースしたデビューアルバムは、 1700万枚以上を売り上げ、132週に渡りチャートイン、 ビッグバンドの前座を務めて、短時間でアメリカトップのバンドと認知され、 ニューヨーク市のマジソンスクエアガーデンで最初にデビューしたバンドとなった。 手元にあるボストンのデビューアルバム。 アナログの通常版とピクチャーディスクは当時の輸入盤。CDは再販の紙ジャケのもの。 今聴いても、全然古くならないのは凄い。 録音はレンジが狭いけど中域がしっかりしていて悪くない。 どういう訳か、セカンドアルバム以降は埃っぽくて歪みっぽくて余りいい音ではない。 個人的には、ボストンは音楽自体もデビューアルバムが最高傑作。 これを初めて聞いた時の衝撃は、今でも色褪せる事は無い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.11.16 19:30:07
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