厳冬期の散歩道で見掛ける記録媒体を銀塩写真を使って読み込んでみる
地元の諏訪地方の冬は、雪に関して大したことが無くても、晴れて諏訪湖が凍って御神渡り現象が現れる程寒い。個人的には、暑くて何もする気が起きない夏よりも冬の方が好きなので、元旦には、散歩がてらカメラをぶら下げて初日の出を拝み、最高気温が0度以下の真冬日でも1時間ほど散歩に出掛ける。厳冬期の、キリッとした強烈なメントールのような冷たい空気の中を歩いていると、最初は周りの景色を見る余裕もなく、身が縮むような寒さに圧倒されていても、やがて体にも景色にも温もりが出て来て、周りを観察する余裕が出て楽しくなってくる。それは、葉が茂ると見えない小鳥が現れて、雪があれば、色んな動物の痕跡を観察できるという視覚的な事よりも、生命の危険にも直結する寒さに対して本能的に分泌される、ドーパミンのような脳内物質も微量ながら影響しているかもしれない。厳冬期の散歩は、家に籠って冬季鬱(うつ)になる事を防いでくれるようで、酷暑から冷たい水風呂に飛び込む、北欧のサウナと似たような効果があるかも知れない。所で、冬の散歩の特徴は、景色には一見すると何も無いのだけど、他の季節のように変化もなく静かなので、逆に単純な風とか、日の光や空の色に敏感になってくるので、意外に写真が撮れる。雪が降って、そこに残された色んな動物の痕跡を探すのも面白いけど、厳冬期とはいえ、雪は徐々に変質していくので余り長く記録を保持してくれない。その雪よりも長く記録を留めているものに氷がある。氷は一種の記憶装置で、天然のハードディスクともいえる存在だ。コンピューター用のそれとは違い、直接目で見る事が出来て、おまけに少しずつ変化をするので、見る度に表情を変えて楽しませてくれる。全て銀塩写真(M6+ヤシノン50mmf1.8)気泡だらけの氷の中に閉じ込められた一枚の朴葉。ここは日が差さないので来年の春まで留め置かれて、やがて土に還っていく。沢山の木の葉が氷の中に閉じ込められている。山影の林越しという弱い日の光如きで氷が解ける事は当分無い。アイスの氷アズキのような氷が印象的。摺ガラスの事をフロストガラスというけど、こういう模様のガラスがあったら窓に嵌め込んでみたい。同じ場所でも、別の日の行くと印象が変わって見える。日中は日が当たったり水が動いている所は、溶けたり凍ったりして表情が変わっていく。氷の上に、薄っすらと雪が舞ったらしい。その上を歩いた鳥の足跡がはっきりと残っている。大きさからして鷺(サギ)の類だと思う。日が経つと氷の上の記録が少しずつ変化していく。茶色の葉を目途に鷺が歩き回っているように見える。動物食の鷺は、冬の間に何を食べているのだろうか。日数が大分過ぎた鷺跡は、恐竜の足跡の化石に似ている。段々、人間には描けない抽象画に変化していく。上の丸い穴は、たまに道路で轢かれているタヌキの足跡だろうか。下の少し溶けた氷から上に向かい、ずっと小さな鳥の足跡が続いている。恐らく良く見るハクセキレイだと思う。この鳥も動物食。そう