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2009年01月24日
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カテゴリ:Archives


【参考文献】


三大秘法禀承事

問て云く
寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は
私に難勢を加う可らず然りと雖も三大秘法其の体如何

答て云く
予が己心の大事之に如かず汝が志無二なれば少し之を云わん
寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来
此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり
寿量品に云く
「如来秘密神通之力」等云云、
疏の九に云く
「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す
又昔より説かざる所を名けて秘と為し
唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す
仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等云云

題目とは二の意有り所謂正像と末法となり
正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども
自行ばかりにしてさて止ぬ
像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて
自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり
末法に入て今日蓮が唱る所の題目は
前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり
名体宗用教の五重玄の五字なり

戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して
王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて
有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん
時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて
戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり

三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず
大梵天王・帝釈等も来下してフミ給うべき戒壇なり、
此の戒法立ちて後・延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば
益あるまじき処に、叡山に座主始まつて
第三・第四の慈覚・智証・存の外に
本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として
我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、
存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に
土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん

彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の荊棘となるにも過ぎたるなるべし
夫れ一代聖教の邪正偏円を弁えたらん学者の人をして
今の延暦寺の戒壇をふましむべきや

此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ
此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として
日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり
今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に
芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。

(堀日亨編纂 新偏御書:P.1022~1023)
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1022&ref=null
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1023&ref=null



聖人御難事

去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷・今は郡なり
天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり
此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして
午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり

仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う
其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし
余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。

法華経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」云云
釈迦如来の大難はかずをしらず
其の中に馬の麦をもつて九十日・小指の出仏身血・大石の頂にかかりし
善生比丘等の八人が身は仏の御弟子・心は外道にともないて
昼夜十二時に仏の短をねらいし、無量の釈子の波瑠璃王に殺されし
無量の弟子等が悪象にふまれし・阿闍世王の大難をなせし等
此等は如来現在の小難なり
況滅度後の大難は竜樹・天親・天台・伝教い まだ値い給はず
法華経の行者ならずと・いわば・いかでか行者にて・をはせざるべき
又行者といはんとすれば仏のごとく身より血をあやされず
何に況や仏に過ぎたる大難なし経文むなしきがごとし
仏説すでに大虚妄となりぬ。

而るに日蓮二十七年が間・弘長元年辛酉五月十二日には伊豆の国へ流罪
文永元年甲子十一月十一日頭にきずをかほり左の手を打ちをらる
同文永八年辛未九月十二日佐渡の国へ配流又頭の座に望む
其の外に弟子を殺され切られ追出・くわれう等かずをしらず
仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず
竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし

日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり
仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり

(堀日亨編纂 新偏御書:P.1189~1190)
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1189&ref=null
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1190&ref=null


【参考文献】


観心本尊抄文段(日寛)

問う、弘安の御本尊応御本懐を究尽するや。

答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。
   当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳
   四月二十六日より止観を始め、一夏にこれを説いて四年後
   同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。
   吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り
   弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して
   四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。

これに三事の不可思議あり。

一には
天台大姉は五十七歳にして止観を説き
蓮祖大聖は五十八歳にして戒壇の本尊を顕す。
また天台は六十歳御入滅、蓮祖は六十一歳御入滅なり。
これ則ち像末の教主の序、豈不思議に非ずや。

二には
天台は四月二十六日に止観を始め、蓮祖は四月二十五日に当抄を終る。
天台は十一月御入滅なり。蓮祖は十月御入滅なり。
蓮祖は後に生れたまうと雖も、下種の教主なり。故に義、前に在り。
この故に蓮祖は二十五日応当抄を終り、十月の入滅なり。
天台は前に生れたまうと雖も、熟益の教主なり。故に義、後に在り。
この故に二十六日に止観を始め、十一月の入滅なり。
種熟の序、豈不思議に非ずや。

三には
天台・蓮祖は同じく入滅四年已前に終窮竟の極説を顕す。
寧ろ不思議に非ずや。

問う、本尊問答抄の啓蒙に云く
   「諸山代代の本尊に多く仏滅後二千二百三十余年と云う。
    是れ元祖の本意顕れ畢る時を定規とする故なり」と云云。
   これ則ち弘安五年御入滅の年、正しく二千二百三十余年に当る故なり。
   若し爾らば弘安四年已前は宗祖の本懐末だ顕れ畢らざるや。

答う、今処々の明文に拠るに
   正しく弘安元年已後を以て仏滅後二千二百三十余年というなり。
   故に弘安元年七月の千日尼抄二十五に云く
   「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候」と云云。
   また弘安元年九月の本尊問答抄に云く
   「仏滅後二千二百三十余年」(取意)と云云。
   また第十六四条金吾抄、また第十七大陣破抄、
   また第二十二初心成仏抄等云云。
   また蒙抄応云く
   「京の本国寺弘安元年七月の御本尊に二千二百三十余年」と云云。
   また上総日弁授与の弘安二年四月の御本尊に
   「二千二百三十余年」と云云。故に知んぬ、
   弘安元年已後、御本意即ち顕れ畢ることを。

問う、弘安元年は正しく仏滅後二千二百二十七年に当る。
   蓮祖何ぞ三十余年というや。

答う、恐らくは深意あらんか。宗祖云く
   「今此の御本尊は(乃至)寿量品に説き顕し」等云云。
   然るに寿量品御説法の年より弘安元年に至るまで、
   正しく二千二百三十一年に当るなり。
   謂く、如来七十二歳より八箇年の間に二十八品を説く。故に知んぬ、
   一年に三品半を説きたまうことを。
   故に七十六の御歳、正しく寿量品を説くなり。
   而して七十七の御歳、神力品を説いて本化に付嘱して、
   四年後の八十歳の御入滅なり。
   如来の御年八十歳、
   御入滅の年より弘安元年に至るまで二千二百二十七年なり。
   これに七十六、七、八、九の四年を加うる
   則は二千二百三十一年と成るなり。
   故に寿量説法の年よりこれを数えて弘安元年に至るまで、
   二千二百三十余年というか。
   故に本尊問答抄に云く
   「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年」と云云。
   この文深くこれを思うべし。

若し余文の中は多分に従う。故に仏滅後というなり。
若し本尊問答抄に「説きおかせ給いて後」といい、
新池抄には「寿量品に説き顕し」という、これを思い合すべし。
故に弘安元年已後、究竟の極説なり。

就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。
既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。

http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/honnzonnsyoumonndann.html





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Last updated  2009年01月25日 00時39分18秒
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