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創生陸玖の『Learning Journey』

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2023/08/23
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テーマ:仏教(62)

あらゆるものに名が付けられています。「○○さん」「○○くん」「○○という国」「○○という街」、こういった名によって境界線ができ、「解釈」という幻想が現れました。その幻想を認識して、生きているのが人間です。

 

今回は「幻想」ということにフォーカスしてまとめていきたいと思います。前回の受動意識仮説では、「わたし」「わたしのもの」「意識」など、すべては幻想だと言われていましたが、その幻想について今回はさらに深掘りしていきます。

 

比べることで幻想が生まれる

仏教に「七慢(しちまん)」という教えがあります。「慢」とは、比べることで思い上がる心のことです。慢を心の状態で7つにわけたものを七慢と言います。

 

「七慢」

・「慢(まん)」=他人と比較しておごり高ぶること。

・「過慢(かまん)」=自分と同等の人に対して自分の方が上だと思うこと。

・「慢過慢(まんかまん)」=自分より優れた人に対して自分の方がもっと上だと思い誤ること。

・「我慢(がまん)」=自分に執着することから起こる慢心のこと。自分に執着する心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮る(あなどる)こと。

・「増上慢(ぞうじょうまん)」=覚っていないのに覚っているとうぬぼれること。

・「卑慢(ひまん)」=自分よりはるかに優れた人に対し、自分はわずかしか劣っていないと思うこと。

・「邪慢(じゃまん)」=悪行をしても正しいことをしたと言い張ること。

 

「過慢」や「慢過慢」は、現代でいうところのマウンティングと言い換えられるのではないでしょうか。また、「増上慢」は、知ったかぶりと言い換えられそうです。他にも「我慢」は現代では、耐え忍ぶこと、という意味が先立ちますが、仏語では七慢のひとつとされます。

 

この七慢のように、他と比較することで、幻想を作り出しているのです。自分の心の状態が、幻想を生み出していると言えます。

 

現代の幻想プログラムとは?

何かにつけて私たちには、「このままではダメだ」「満たされていない」という感覚が上がってきます。「このままでいい」と言ったり、思ったりすることは、ダメなことだと、私たちは幼いころから教えられているのです。

 

そのため、「このままでいい」「これでいい」と言っている人がダメな人の象徴となっていました。何かを達成したり、実現しても、「まだまだ足りない」という「まだまだ」が欲として出てきます。

 

この感覚を当たり前として生きているからこそ、世の中がそうなっていると言えます。世の中が先にあるのではありません。「このままじゃダメだ」と、人々がやっている様が、世の中になっているのです。

 

現代は「このままじゃダメだ」に慣れ過ぎているため、「これでいいんだ」の使い方がわからなくなっています。「あなたはあなたのままでいい」と、全肯定されて育てられた人はいないと言ってもいいでしょう。「まだまだ」ということに、ある種の正義があり、正しい生き方だと思ってしまうのです。

 

「このままじゃダメだ」「満たされていない」という幻想プログラムに、現代は巻き込まれたままの状態です。「自己否定が起きている」「罪悪感を感じている」ということが、幻想に気づくスタート地点になります。

 

ブッダによる「行為論」

仏教では、「業(ごう)」=「行為」とします。仏教の教えでは、自分の行為の結果は、必ず自分自身に現れるという自業自得を鉄則とするのです。ブッダは次の3つを否定し、「行為論」を説きました。

 

・「宿命論」:過去世のおこないで現在の状況が決められるため、努力しても現在の状況は改善できない、意味がない。

・「神意論」:神の意思によりすべてが決まる、改善されない。

・「偶然論」:すべての事象は偶然の産物、現世での行為の善悪は特別な意味を持たない。

 

・「行為論」:精進し努力することで善業を積み、現世でよい結果(解脱)を得ることができる。

 

輪廻にかかわる3つのおこないを「三業」といいます。現世でよい業を積むことで、輪廻からの解脱を得ることができる、とブッダは説きました。

 

「身・口・意の三業(さんごう)」

・「身業(しんごう)」=身体の行為。たとえば、人を傷つけると悪業になる。

・「口業(くごう)」=言葉の行為。たとえば、人の悪口を言うと悪業になる。

・「意業(いごう)」=心の行為。たとえば、心の中で人を恨むと悪業になる。

 

・「善因楽果(ぜんいんらくか)」=善行は幸せな果報を受けること。→解脱(生天)

・「悪因苦果(あくいんくか)」=悪行は苦しみの果報を受けること。→輪廻(苦悩の世界)

 

「身業・口業」は、表にでるもののため、「表業」と言います。意業は、これらに先立つ動機となり、ブッダの教えでは、根源的なものである意業がとくに重視されました。

 

 

「心の行為」である意業が人間の根源にあり、そこから善行を積むことが大切なのでしょう。私たち人間は、心が発信地なのです。「与えるものが受け取るもの」と考えると、心の行為が大事になります。仏教でも、自分の行為の結果は、必ず自分自身に現れるという自業自得を鉄則としているからです。

 

幻想は、私たちの心が作っていると言えます。そして、その個々の幻想がマジョリティになると、この世の中の幻想プログラムとして存在するのです。大切なのは、自分は何を信じるか、ということです。それが、あなたの人生の方向性を決めるのです。

 

 

それでは読んでいただき、ありがとうございます。




【参考文献】






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Last updated  2023/08/23 07:30:09 AM
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