カテゴリ:乳癌
昭和の前期、美智子さま(84才)が疎開のために身を置かれたのは、軽井沢の地だった。奇しくもそこは、上皇陛下と出会われ、仲を深められた思い出の地でもある。令和となった今、そんな場所で過ごされた、心安らぐひととき。 「美智子さまは乳がんを発表されました。“病は気から”です。皆さん、お手振りで応援してください」 自然と文化が香る街・軽井沢(長野県)ゆかりの文豪や詩人らの足跡を展示する施設「軽井沢高原文庫」前の沿道に、8月23日、多くの人が集まっていた。前日22日から静養のために軽井沢を訪れていた上皇上皇后両陛下を一目見るためだ。交通整理をする地元の警察官はスピーカーつきのマイクで、冒頭のように呼びかけた。 両陛下の御料車が通りかかると、沿道からは「美智子さま、どうぞお体をお大事に」という奉迎の声が上がった。 美智子さまはいつもと変わらぬ柔和な笑顔で、館内を見て回られたという。厳しい日差しもやわらぎ、木陰に入ると涼しさも感じられる、軽井沢の夕暮れ時のことだった。 「8月30日にご静養から帰京されると、御所から高輪皇族邸へのお引っ越しのため、荷物の整理に取りかかられているそうです。周囲は“手術まで安静にしてほしい”という思いですが、10月中旬の即位の儀式までに天皇皇后両陛下に御所を譲られたいと、お体に鞭打って動かれているようですよ」(宮内庁関係者) 美智子さまは9月1日午後、サントリーホール(東京・港区)で指揮者の小林研一郎氏の演奏会を鑑賞された。 「その日の午前中、東京大学医学部附属病院(文京区)を訪れ、検査を受けられていました。その後の演奏会で見せられた笑顔から、検査はよい結果だったと期待しています。9月8日に手術を受けられる予定です」(皇室ジャーナリスト) 5月の御代がわり以降、美智子さまのご体調を不安視する声は大きかった。体重が激減し、体力は急激に低下。6月には検査で中度の心臓の弁の逆流症や不整脈の所見が認められ、白内障の手術を2度にわたって受けられた。8月末の軽井沢ご静養で終始、「色つきのメガネ」をされていたのは、目の具合がまだ不完全だからだろう。 「軽井沢でのご静養は、心身を回復させることも目的の1つでした。ご年齢や体力の低下もあり、がん手術には合併症など身体的なリスクもありますから。体力的には、訪問されたテニスコートで旧知の友人らと思い出話に花を咲かせ、お元気な姿を見せられるなど、充分に回復されてきたようです。 また、手術を控えて精神的にもおつらい状況だったと思われますが、軽井沢ご静養中のある夜、気の置けない人たちと、お心がゆっくり休まるようなお時間を設けられ、晴れやかなお気持ちになられたそうです」(皇室記者) ◆“阿吽の呼吸”で見事な連携を披露 冒頭のように軽井沢高原文庫を訪ねられた翌24日の昼過ぎ、ご夫妻は壬生(みぶ)基博氏の別荘を訪問された。 「壬生氏は、旧宮家出身の東久邇盛厚(ひがしくにもりひろ)氏と、昭和天皇第一皇女成子内親王の次男です。上皇陛下の甥にあたります。現在は山階鳥類研究所理事長を務められ、生物学者である陛下との会話も弾まれたでしょう」(前出・皇室記者) 壬生邸で語らいのひとときを過ごされた後、ご夫妻が向かわれたのは壬生邸から5分ほどの距離にある“特別な場所”だった。 夜7時少し前だった。すっかり暗くなった林道を抜け、生い茂った木々の間でご夫妻を乗せた車が止まると、おふたりはレンガ造りと木造の家が3軒建ち並ぶ方へ向かわれ、そのうちの落ち着いた茶色のレンガ造りの別荘の扉をくぐられた。 実はその一帯は、美智子さまのご実家である正田家が所有する別荘地だ。美智子さまにとっては思い出深い地でもある。 「美智子さまは幼少の頃から、夏休みを軽井沢の別荘で過ごされてきました。昭和20年の夏、終戦を迎えられた疎開先でもあります。当時10才だった美智子さまは、別荘の庭の桑の木の実でジャムを作られたり、飼っていたヤギの乳搾りなどをされたそうです。 都内にあった正田邸(東五反田)が2003年に取り壊される際、美智子さまが大事にされてきた白樺の木が、その別荘地に移されたとも聞いています」(前出・皇室ジャーナリスト) 美智子さまは正田家の4人きょうだいの長女として誕生された。別荘地に建つ3軒の物件は現在、4才年上の長兄・巌氏、6才年下の次女・安西惠美子氏、8才年下の次男・修氏がそれぞれ所有している。 両陛下がその夜に訪ねられたのは、妹の惠美子氏の棟だった。惠美子氏の夫は、昭和電工専務や2002年サッカーW杯組織委員会理事、日本ゴルフ協会会長などを歴任した安西孝之氏だ。 「美智子さまと惠美子さんは、父兄らと離れ、姉妹で手に手をとって、軽井沢で疎開生活を送られたそうです。終戦後、正田家に招かれ紅茶とクッキーでもてなしをされた知人は、幼少の美智子さまと惠美子さんがテキパキとお茶を用意される姿に大変感心されたそうです。美智子さまとは“阿吽の呼吸”の妹さんだそうですよ」(別の皇室ジャーナリスト) その夜、美智子さまと惠美子氏らは、2時間のご滞在だった予定を20分も延長され、姉妹水入らずの時間を過ごされた。 「公に知らされない極秘の訪問でした。きっと、ご自身の近況やご病気についてもお話をされたのでしょう。手術を前に、信頼する妹さんとゆっくり話すことができ、美智子さまにとって心安らぐ時間だったのではないでしょうか。帰路につく美智子さまの表情はとても満足げで、サングラス越しにでもうれしそうなご様子が伝わってきました」(前出・皇室記者) ◆黒田清子さんの“ドンマーイン” 両陛下は翌日25日、おふたりの出会いの場でもある軽井沢のテニスコートを訪れ、プレーを観戦された。コートを11時頃に出発されると、あるペンションに向かわれた。 「そこでは黒田清子さんと一緒にランチをされたようです。清子さんにも、手術の話をされたのでしょう。清子さんは、手術を控え心配なお気持ちを抱えていらっしゃるだろう美智子さまに、子供の頃からの合言葉である“ドンマーイン”と励ましの言葉をかけられたのではないでしょうか」(前出・別の皇室ジャーナリスト) ご夫妻は14時過ぎにペンションを出発された。沿道に集まった人たちが手を振ると、ご夫妻は満面の笑みで会釈をされた。 元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、今回の軽井沢でのご静養の持つ意味をこう説明する。 「上皇上皇后両陛下にとって、軽井沢は心休まる、また、英気を養える場です。軽井沢に別荘を持つご友人も多いですし、上皇后陛下は戦時中、疎開もされていました。おふたりの出会いの場でもあります。今回もご友人やご親族とも交流でき、心からお休みになれたと思います」 思い出の地で、気心の知れた人たちと話をされ、美智子さまはきっと勇気づけられたに違いない。心身共に万全な状態で、手術に臨んでいただきたい。 ※女性セブン2019年9月19日号 続きはこちら↓ https://www.news-postseven.com/archives/20190909_1446306.html/2 乳がんと牛乳 がん細胞はなぜ消えたのか/ジェイン・プラント/佐藤章夫【1000円以上送料無料】 乳がん患者の8割は朝、パンを食べている がんに負けないからだをつくる日本の「風土食」のすすめ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月11日 23時26分23秒
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