テーマ:暮らしを楽しむ(383648)
カテゴリ:Q輔。「家」とは「ホーム」のこと。
僕のとある知人女性に、お孫さんが生まれた。 その女性は僕より三歳年上で、今年五十歳になる。 はやっ! その報告を聴いた時、感覚だけで一瞬そう面食らったが、 よくよく考えたら、いたって自然な計算が成り立つ。 その女性が二十代前半で出産し、その子が二十代前半で出産すればそうなる。 知人のご両親は、まだ七十代前半という若さで、ひ孫の顔を拝めるという。嬉しいだろうなあ。 知人は、若くして離婚をして、女手ひとつで娘二人を育て上げ、いろいろと大変だったと思うが、 はやくに子育てを済ませているので、現在は悠々自適な毎日を送り、孫まで授かるに至っている。 兎にも角にも、おめでとうございます。 さて、僕はといえば、長女を授かったのは、三十五を過ぎてから。 次女にいたっては、四十の時。 仮に次女が大学に進学したとすると、卒業する時、僕は六十を過ぎている。 孫? ・・・なっげえ。いやはや、健康って財産だなあ。僕の健康、イコール現金だ。あははは。僕等ぐらいの歳になると、ぼちぼち同世代各個人の健康状態に大きな差が出始めるっすね。 心身の何かしらの不調で、働きたくても働けないという人の噂を耳にすることしばしばっす。 もうこうなってくると、最終的には健康こそが、持って生まれた才能ってやつではないかとすら思える。 もちろん才能は努力ありきですが。 ちなみに、僕がもっと早くに子供を授かりたかったかというと、うんにゃ、そうでもない。 まあ、すべては結果論で、今だから言えるし、 幸いにして子を授かったから言えることではあるのだが。 僕は、ある程度人生経験を重ねた上で子を授かることが出来たことは、本当に有難かったと思っている。 妻はどう思っているか分かんねーから、あんま勝手なこと言えねーんだけども。 んーでも仮に、妻と結婚する前や、結婚して間もない時期の、 あの精神状態の極めて未熟な頃の自分に子供があったとして、 僕が人並みの子育てや労働をし、妻の望む給料を家庭にパス出来たかというと、 うーーーーむ、我ながら、いささか怪しい。あはははは。 あと、同じく今だから言えるが、 正直「毒親の連鎖」っちゅうのも、個人的にはすんげー気にした。 自分に潜む、いらない血、壊れた血、ダメな血が、怖かった。 自分の子を自分は愛せないのではないか?という不安があった。 今では笑い話だが。分かる人には分かると思う。 僕たちは、なかなか子供を授からなかったが、 その十年に及ぶ妻との二人きりの生活のなかで、 この心は、かろうじて成人した。 夫婦二人であったので、家庭を顧みず、馬鹿みたいに働くことも可能で、 子供が生まれた時には、金銭にさほど苦労は無かった。 あの日々のおかげ。 あの日々よ、ありがとう。 この世のあらゆる問いは、必然的に解に向かう。 すべてのコトガラは、あるべくしてそこに立っている。 そういうことです。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.04.11 16:20:18
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