テーマ:■雑学王■(704)
カテゴリ:トリビア
岡山県倉敷市児島(旧児島市)はジーンズづくりが盛んに行われている。 ■旧野崎家住宅■あたりでも、車体にジーンズが描かれたバスを見た。 残念ながら、写真を撮りそこなった。(ノД‘) ■ジーンズバス画像■ ■ジーンズバス YouTube■♪音が出ます! なぜ、この地方は、ジーンズの産地になったのか?? それは■干拓■と大いに関係がある。 ■1■農地確保のため、干拓をした。 ■当時岡山一帯を治めていた戦国武将、宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)■による岡山城・城下町普請と同時に、農地確保の目的から大規模干拓が行われました。 今から400年以上も前、1583年のことです。 ■2■綿を植えた 干拓で出来た土地は、田畑には向かない。 そこで、江戸時代には、塩分に強い綿花が作られた。 ■3■綿を使って、繊維産業が発達。 その綿花を使って 大正、昭和時代のころ、倉敷市児島では、学生服の生産が盛んになった。 全国の学生服のほとんどが、綿花一大生産地の岡山県で作られるようになった。 「クラボウ」という名前で有名だったのを覚えている。 ■4■学生服が下火になる。 化繊が現れたり、制服自体が見直されたりして、学生服を中心とした繊維が下火になった。 ■5■次の作戦に出る。 学生服が下火になったので、なんとかしないとと考えた。 ■6■そうだ、ジーンズ作ろう!! 戦後、アメリカの影響でジーンズが流行。 児島の綿花を使って、ジーンズを作ることに。 その結果、岡山の瀬戸内では、ジーンズの生産が上がり、それを宣伝するために、ジーンズバスが走るようになったそうだ。 綿が作られた歴史を教えてくれながら、 ■玉島■のガイド氏が、記念にと綿の種をくれた。 ・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・
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