偐万葉・お蔵百人一首篇(その1)
~大和はまほろば氏の俳句に寄せて~
本日は午後は梅雨の晴れ間となりそうですから、午後から、銀輪散歩してみますかな。
それはさて置き、この処、本ブログでもご紹介した、「大和はまほろば」氏のブログに遊びに行き、同氏の作られた俳句に「小倉百人一首」の歌の下の句を改変してくっつけ、戯れ歌にするという、言葉遊びを楽しんでいます。
同氏の俳句に対する冒涜にもなり兼ねぬこと故、同氏のクレームが付けばすぐにも中止するつもりでしたが、同氏も好意的に受け止めて下さっているご様子なので、小生のこの不届き千万な行為も認知戴けたものと理解し、本日はその戯れ歌をご紹介することと致します。
(赤字部分が大和はまほろば氏の俳句、黒字部分が偐家持<いや、偐定家かな?>が付け加えた下二句と作者名です。全部黒字のが2首ありますが、これには大和まほろば氏の俳句は入っていません。後に小倉百人一首の元歌も参考までに掲載して置きました。)
アマリリス どでかい顔して 咲きにけり
アマリてなどか スリムの恋ひし (偐参議等)
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人のこひしき(参議等)
紀の寺や 裸仏と 花衣
着る心なく 腹の出るらむ (偐紀友則)
ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづごころなく 花のちるらむ(紀友則)
気づかれず 泰山木の 花匂ふ
白きを見れば 余も老けにける (老いの家持)
かささぎの わたせる橋に おく霜の
しろきをみれば 夜ぞふけにける(中納言家持)
田植え機の 音に怯える 早苗かな
身のいたづらに なりぬべきかと (偐農業再生大臣 藤原伊尹)
あはれとも いふべき人は おもほえで
身のいたづらに なりぬべきかな(謙徳公・藤原伊尹)
仙人掌が アカンベーして 咲きにけり
むかしはもっと つつましかりき (偐藤原敦忠)
相見ての 始めの頃の なつかしき
今はものをも 思はざりけり (偐古女房藤原夫人)
あひみての のちの心に くらぶれば
むかしはものを おもはざりけり (中納言敦忠)
菖蒲園 飛石のうへ 雀ゐて
身をつくしては 恋ひわたりかぬ (皇嘉門院別当雀)
難波江の 芦のかりねの ひと夜ゆゑ
身をつくしてや こひわたるべき(皇嘉門院別当)
翅のなか 瑠璃色光る 夏の蝶
負けじや花の 咲きもこそすれ (紀伊しじみ)
おとにきく たかしの浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ (祐子内親王家紀伊)
飛び立ちて のち降りるあたり 鷺の影
ひとに見られて 降りるよしなき (藤原鷺方)
名にしおはば 逢坂山の さねかずら
人にしられで くるよしもがな (三条右大臣 藤原定方)
梔子に 顔近づける 雨の朝
花ぞむかしの 香には匂へど (偐紀面見よ)
人はいさ 心もしらず ふるさとは
花ぞむかしの 香ににほひける (紀貫之)
透百合 田舎娘の 顔をして
ただありったけの おめかしを見し (後生大事の左大臣 藤原実定)
ほととぎす なきつるかたを ながむれば
ただありあけの 月ぞのこれる (後徳大寺左大臣)
西空を いぶかってをり 梅雨の蝶
雨期に堪へぬは わが身なりけり (偐道因法師)
おもひわび さても命は あるものを
うきにたへぬは 涙なりけり (道因法師)
君の名は 未央柳と 申します
ひとこそ知らね 告げる間もなし (偐二条院讃岐うどん)
わが袖は 潮干にみえぬ 沖の石の
人こそしらね かわくまもなし(二条院讃岐)
走梅雨 五十払いの日と 重なりて
混みまどはせる 高速の道 (凡高速躬恒)
心あてに をらばやをらむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花(凡河内躬恒)
時の日や 首をかしげる 時計草
かこちがほなる わがにはの花 (偐東奔西行)
なげけとて 月やはものを おもはする
かこち顔なる わが涙かな(西行法師)
道因は 憂きにたへねど 能因は
龍田の川の 錦なりけり (農道に迷子)
嵐ふく 三室の山の もみぢ葉は
竜田の川の 錦なりけり(能因法師)
<参考>大和はまほろばさんのブログ入口(コチラ)
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昨日、小万知さんからメールで戴いたササユリの写真を掲載して置きます。
一輪に 咲きてこそよき 笹百合の
真白き花に やはらかき雨 (偐家持)