カテゴリ:銀輪万葉
(その1)平群から三室山まで
案内役を頼まれている来月の万葉ウォークの下見をして来ました。 近鉄生駒線の平群駅下車、駅前で持参の折りたたみ自転車「トレンクル」を組み立て、出発。 駅前で同じ電車に乗り合わせていた「おばちゃん」達に「兄ちゃん、何処まで行くのん?気いつけていきなはれや。」と見送られて、先ず長屋王・吉備内親王のお墓へ。 長屋王の墓は平群駅の東北東5~600メートルの処、住宅街に囲まれるようにして、ひっそりとある。 長屋王は、続日本紀によると、「左大臣正二位長屋王ひそかに左道を学びて国家(みかど)傾けむと欲す」と密告され、謀反の罪で自殺に追い込まれた(729年2月)、という奈良時代初期の、悲劇の宰相である。 当時の政界地図は藤原勢力と反藤原勢力とに二分されていて、長屋王は反藤原勢力の旗頭であったと思われる。天皇家の外戚として自己の勢力伸長を図ろうとする藤原氏にとっては、長屋王は邪魔な存在の最たるものであったろう。 光明子を皇后にしようと目論む藤原氏はこれに反対することが明白な長屋王を排除して置く必要があった。長屋王謀反事件は、かくして藤原氏によって、仕組まれた冤罪事件である。 2月10日 中臣宮処連東人密告。 同夜、藤原宇合率いる六衛府の兵が長屋王邸を 包囲する。 2月11日 舎人親王、新田部親王、多治比池守、藤原武智 麻呂、小野牛養、巨勢宿奈麻呂らの窮問使派遣。 2月12日 王自尽せしむ。室・吉備内親王、男・膳夫王、桑 田王、葛木王、鉤取王も自経。 2月13日 長屋王、吉備内親王の屍を生駒山に葬らしむ。 (長屋王墓) (吉備内親王墓) 万葉集に出て来る長屋王関連の歌 <長屋王の死を傷む歌ほか> 大君の 命恐み 大殯の 世の中は 空しきものと あらむとぞ (世の中は空しいものだということを示そうというのか、この照る月も満ち欠けするのであることよ。) <長屋王自作の歌> 佐保過ぎて 寧楽の手向に 置く幣は 宇治間山 朝風寒し 旅にして (宇治間山の朝風が寒い。旅先にてあれば、衣を貸してくれる筈の妻もいないというのに。)
竜田川沿いの道を行くと川に沿って緑地がある。竜田公園である。 竜田公園は竜田川の右岸に沿っているが、それが途切れる処に架かっている橋が岩瀬橋である。右岸をそのまま行くと三室山(標高82mの小山)。左岸に渡ると白山神社、岩瀬の森である。
万葉の昔は森が広がっていて「磐瀬の杜」と歌われたらしいが、今は田畑と住宅となり、森の欠片もない。いや、ありました。でもこれを森と言うのは無茶ですな。せめてもアト2本は木が欲しい(笑)。 神奈備の 磐瀬の杜の ほととぎす もののふの 石瀬の社の ほととぎす (もののふの磐瀬の森のほととぎすよ。今、すぐにも鳴いてくれないものかなあ。この山のいつも日陰になっている処で。) こんな看板が立っていたが、見渡せど「塩田の森」らしきものも見えませぬぞ。
三室山に植わっているのは殆どが桜の木。春は花の山となり、秋深まれば能因法師さんの期待に応えて桜葉の紅葉が錦織りなすこととなります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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