カテゴリ:花
(承前) 前回の日記では、信濃川畔の林の中にて目にしたカタクリと雪割草の花をご紹介しましたが、今回はその写真をまとめて掲載です。 カタクリは万葉にただ1首のみあるが、それだけでもう万葉の花として十分過ぎるほどの存在感を示しているのは、その万葉歌が名歌であるというだけでなく、この花の可憐な美しさによるものであろう。 物部の 八十少女らが 汲みまがふ この歌は大伴家持が天平勝宝2年(750年)3月2日に越中の国で詠んだもの。うら若い少女たちがたくさんやって来て水を汲んでゆく寺の泉の畔に咲いているかたかごの美しい花。さんざめく少女たちの姿とこの可憐な花とがダブルイメージとなって、春の到来の喜びが伝わって来る、いい歌である。 ひとり咲く 花もよけれど かたかごの 咲きてこそよき かたかごの花 (偐家持) 春とまたもや 越後に逢へる (偐家持) カタクリの咲いている一角から少し離れた処には雪割草が咲きこぼれてありました。早春を彩る可憐な花の代表とも言うべきカタクリと雪割草をふたつながら同時に目にするという幸運。何ともラッキーな、そして贅沢な銀輪散歩となりました。 雪割草というのは、言わば「愛称」であって、ミスミソウ、スハマソウ、オオミスミソウ、ケスハマソウなどの総称とのこと。 雪割草は万葉には登場しない。スミレを愛した赤人ならこの花のためには一夜と言わず、二夜、三夜、野に連泊するも厭わなかったことでしょう。大伴家持も越中国守ではなく越後国守となっていたら雪割草の歌も作ったに違いないと思うのですが、赤人も家持も越後とは縁がなかったようにて残念なことでありました。
八重に咲く花もあるようだ。 雪割草には「かたかごの花」のような鮮烈な個性はないが、楚々と咲くその姿には見る人を飽きさせないものがある。両者のデザインについて、かたかごが岡本太郎であるなら雪割草は・・なんぞと思ってみたりのヤカモチでありました。 「手に取るなやはり野に置け蓮華草」という句があるが、雪割草も然りでありますな。 雪割草の花言葉は「はにかみや」だそうな。目立つことに臆病なように見えるこの花の在り様を言い得たものと言うべきだが、それが却って人気を呼びこの花を目立つ存在にしたのだと思うと面白い。 はにかみと辛抱強さが 裏と表についている 春告げの 越後の花は 雪割草 われに笑みぬる 雪割りの花 (偐家持)
「カタクリ」の写真4枚と「雪割草」の写真4枚が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月6日これらを復元修正しました。 ●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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