カテゴリ:銀輪万葉
本日は午前10時45分にMTBで自宅を出発。久し振りに大阪市内銀輪散歩といたしました。最終目的地は住之江区安立2丁目にある霰松原万葉歌碑。上本町6丁目からJR天王寺駅前を通り、阿倍野筋を南下し、万代池から住吉大社を経て霰松原まで行き、引き返して来るという大阪市内南部方面の銀輪散歩である。 上本町から天王寺へと向かう途中、生国魂神社のある生玉町を通る。この一角はお寺が密集している。まさに寺町である。その中のひとつ法泉寺という寺の門前に下のような表示板が掲げられていたので覗いてみた。
<参考>梅松閣汐待天神社
法泉寺の向かい側の堂閣寺というお寺では門内に入ると、犬に吠えられました。余りにもうるさく吠えられたので早々に退散。 <参考>勝鬘院 勝鬘院は聖徳太子が開いた施薬院がその始まりとされる。四天王寺の別院である。愛染明王を祀る本堂は愛染堂と呼ばれ、大阪人は「愛染さん」と呼ぶ。大阪人は「お稲荷さん」、「八幡さん」、「いくたまさん」、「天神さん」、「四天王寺さん」、「住吉さん」と寺も神社も神様もみな「〇〇さん」と呼ぶのである。
本堂の裏にある多宝塔は、推古天皇元年(593年)に聖徳太子が創建。慶長2年(1593年)豊臣秀吉が再建。国宝建造物に指定されている。
説明板には「この井戸は常に清浄の霊水が湧き出で、この井水を飲めば愛染明王の御本誓により愛念を叶え、病癒え、運を開き給ふ。古歌に『ほらぬ井にたまらぬ水の汲みたてゝ影も形もなき人ぞ汲む』 かくの如き霊水なれば、この井水にて染め物なせば、色彩よく染まるをもって昔より、藍商者(あいだまや)の門に信仰が盛んであって、俳句に、『賑わしや愛染詣での紺屋づれ』 井戸屋形は豊公の建立であったが昭和20年3月14日の戦災で焼失した。」とある。 魚藍観世音像は、我々が日常食している魚貝類の霊を供養するために建立されたとある。 愛染堂を出て西に行くと直ぐに大江神社である。
この辺り一帯は夕陽丘町という地名。上町台地の西端一帯は昔は台地のそばまで海が迫っていて、夕日が美しかったので、いつしかこのように呼ばれるようになったらしい。大江神社の境内には「夕陽岡」の碑がある。 芭蕉句碑は写真がボケていて掲載できませんが、「奥の細道」の金沢から小松への「途中吟」としてある次の句の碑でありました。 あかあかと日は難面も秋の風 (芭蕉) だらだらと汗にまみれて夏銀輪 (筆蕪蕉)
大江神社の本殿と摂社の日吉稲荷神社との間に妙な空間がある。タイガース応援のファンがその勝利を祈願する場所のようである。狛犬も狛虎にしてしまう処がタイガースファンならではである。
天王寺七坂の一つ愛染坂は大江神社の南に沿ってある。 取り敢えずこんなところで、(その1)を終了とします。この後、四天王寺、松虫塚へと走りますが、続きは後日ということで。(つづく) <関連記事> <追記・注> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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