カテゴリ:銀輪万葉
<承前> 柳が崎湖畔公園に到着。ここはかつて琵琶湖ホテルであった処。琵琶湖ホテルが浜大津に移転した後、大津市が敷地・建物を買い取り、2002年に親水公園としてリニューアル開園したもの。 小生の敬愛する友人、鯨麻呂氏(「くじらまろ」と読まないで下さい。万葉風に「いさなまろ」と読みます。)は、この近くにお住まいである。同氏から頂戴したヨットハーバーの絵は、今も部屋を飾ってくれているが、その絵に描かれたヨットハーバーがこの公園に隣接している。 イングリッシュ・ガーデン外周の湖岸遊歩道を行くと犬養孝先生揮毫の人麻呂歌碑がある。 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念 この歌の歌碑は大津京シンボル緑地(「その2」参照)にもありましたが、この歌に相応しい歌碑の場所は、やはり湖岸だ。夕浪千鳥の姿はなくも湖面に揺れる光は「古思ほゆ」の気分とうまく溶け合う。 もののふの 八十氏河の 網代木に いさよふ波の 行方知らずも 柳が崎を後にし、国道161号線を南へ。2km位で浜大津。そこから西へ坂道を上る。北国街道を右に入ると長等公園である。少し南へ来過ぎたようだ。地理に詳しくない土地、どの辺で道を入るのかがよく分からなかったのだ。 長等公園は、琵琶湖疏水沿いに京都・山科へと至る小関越えの山道のとっかかりにある山腹の公園。ギアのないトレンクルで上るのはかなり苦しい。途中からは押して行く羽目に。 その広場の奥に、大友皇子の詩碑があった。 皇明光日月 帝徳載天地 三才並泰昌 萬國表臣義 皇明 日月と光り (訳) 天子の威光は日月の如く輝き 大友皇子は天智天皇の子。天智崩御後、皇太子として亡き天皇に代わって近江朝廷の政務を執っていた(これを「称制」という)が、大海人皇子の挙兵により、近江朝廷軍は敗北。大友皇子は山前の地で自害し果てる(672年)。24才であった。 さて、時刻も正午過ぎ。詩碑近くの広場でお弁当タイムとする。来る時に乗り換えの近鉄西大寺駅で仕入れた「おむすびセット」である。その場で温かいご飯をおむすびにしてくれるのであるが、さすがにもう温かくはない(笑)。 上り切ると、その名の通り、桜の木が多く植えられている広場になっていて、木製の展望デッキもある。 歌碑の歌は、(その2)で紹介した忠度の歌碑と同じ、「昔長等の山桜かな」の歌であり、重複するので、ここでは「青葉の笛」に出て来る、箙に結び付けられていたという「花や今宵」の歌の方を掲載して置きます。 行くれて 木の下かげを やどとせば どうやら、文字制限数一杯のよう、小生もしばし木の下かげに休むこととし、続きは次回と致しましょう(笑)。(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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