カテゴリ:岬麻呂旅便り
先日、友人の岬麻呂氏から旅の便りとEメール写真が届いた。 過日のメールでは、能登を旅行すること、雨晴海岸や高岡市万葉歴史館などにも立ち寄るかも知れない、というようなことであったので、実の処、如何なる旅便りが来るのか、ひそかに楽しみにしていたのだが、雨晴海岸からの立山連峰は雲に遮られて見られず、万葉歴史館は休館日で入場できず・・と残念な報告でありました。 高岡市万葉歴史館は何回か訪問しているが、小生もこの処はご無沙汰である。調べてみると2007年10月以来だから、7年半以上もご無沙汰していることになる。当ブログにも写真では登場していないようなので、図らずも岬麻呂氏の写真にて初登場ということになる。 万葉歴史館の前庭にあるのが大伴家持の「二上山之賦」の歌碑。小生が諳んじているいくつかの万葉長歌の一つで、好きな歌の一つでもある。 二上山之賦 大伴家持は天平18年(746年)6月21日に越中国守になり、天平勝宝3年(751年)7月17日少納言に昇進、同8月5日京へと旅立つまでの5年余を越中で過ごしている。お隣の越前では半年ごとに国守が代わっているのであるから、家持は国守としても有能でよくその職分を果たしたのであったのだろう。 岬麻呂氏は雨晴海岸から立山連峰の雄姿を眺める、というのが旅の目的の一つでもあったようですが、「雲だにも心あらなむ隠さふべしや」で、立山は雲の中。見ること叶わねば、駅前の看板絵の撮影で「懸けて偲はめ」ということであったようです。 そして、白川郷の写真も。今回の旅の写真は上のものだと思うが、秋と冬の写真も添えられてありました。以前の旅のものでしょう。冬の白川郷も是非訪ねて下さい、とありましたが、銀輪家持には白銀の白川郷はちと厳しいですかな。 調べてみたら、白川郷を銀輪散歩したのは2009年10月のことでありました。ブログに掲載するタイミングを逸して、未掲載となっていますので、その折の写真なども、岬麻呂さんに便乗して二三掲載して置きます。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[岬麻呂旅便り] カテゴリの最新記事
|
|