偐万葉・英坊篇(その29)
本日はシリーズ第210弾、偐万葉・英坊篇(その29)です。
<参考>過去の英坊篇はコチラからどうぞ。
英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。
偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌20首併せ2句
並びに英麻呂が贈り来れる歌3首併せ1句
英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首
大阪の ビルの谷間の 桜はな こぶしを握り 花に鼓舞せし
散る花も なにはしぐれか こぶしまた
きかせどころか みどころなるや(千はるみ)
わがやまと あきつのしまに ありければ
つぎてぞあらめ しぶうらのいけ(雄略麻呂)
きみが行く 道のしるべも な立ち入りそ
とんぼがへりの 池にしあれば(蜻蛉蛙)
(渋浦池)
英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首
絵も歌も こころ癒され 安堵の気 やすらぎ浸り やすらぎ眠る
うらうらの はるのかぜなり ひざしなり
ひろろがゑのもと ひとぞやすらげ(偐やかもち)
英麻呂が贈り来れる上3句に偐家持が付けたる下2句による歌1首
絵も歌も 背伸び仕草で 鉄面皮 天衣無縫は 針糸不要
英麻呂の 行き廻るらむ 春の花 思ひのままに 今盛りなり
(注)オモイノママ=梅の品種の一つ。ピンクの花、白い花、両者が斑になった
花を一つの枝に咲かせる。
(梅・オモイノママ) (勝興寺の落ち椿)
みほとけの 下にしあれば 落ち椿 眠れやすらに 勝興寺の庭
わが駒を つなぎし木には あらねども サクラとあれば それもしかなり
(注)氷見市粟原地区に大伴家持が馬をつないだと伝えられる「駒つなぎの桜」
という古木がある。
サクラ=桜と客のふりをするサクラとを掛けている。
しかなり=然なり。「しか」は「然」と「鹿」の掛詞で、第1句の
「駒(馬)」と合せて「馬鹿」となり、「そんな馬鹿な」
を隠し味にしている。
(駒つなぎの桜)
明日ありと 思ふ心の あだ桜も
さまで長くは 待てぬとは知る (仇桜餅)
老谷の 悲しき椿 咲きて散る 赤き涙の 花にしあらむ
(老谷の大椿)
ボケなどと わが名つけしは 誰なるか
替え歌にすら ならぬ名なるを(それも知らんがな)
ひともなき 氷見の一刎 山峡に つばらつばらに 水芭蕉咲く
(一刎水芭蕉園)
ひめみこの ふねのまれびと 二上の 山には来ぬか 鳥の来鳴くに
(本歌)玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり
(大伴家持 万葉集巻17-3987)
(ダイヤモンド・プリンセス号)
やかもちは 帰り来たれど ヤカモチの
パソ固まりて すべなかりけり(大騒固持)
榛原ゆ 沢の城跡 遠ければ
まだ踏みもみず ジュストへの道(小式部右近)
(注)ジュスト=高山右近の洗礼名。右近は沢城で洗礼を受けた。
(高山右近像・古城公園)
英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首
花見つけ 野の花色様 胆に入り ルリタマアザミ さらに胆いる
たまたまに 玉と咲き始む 花見てや
名をし尋ふれば 瑠璃玉薊(玉下駄家持)
さ丹の橋 映す水面の 影清み たぐひて二人 見し日恋しも
(高岡古城公園)
われはもや 埋もれなむとす 高岡の
街の片隅 恨み葛の葉(車寅次郎)
乗らざれば 屑にしあれど 秋されば
葛もひと花 咲かせもぞする(高岡葛)
捨て車の おとがいふさぐ 真葛哉 (筆蕪蕉)
(元句)山賤の おとがい閉る むぐらかな(松尾芭蕉)
(高岡珍百景)
言ひ触らし 団右衛門には われ非じ
本歌取りにて 本にはならじ(言ひ散らし家持)
英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首
野の花は 季よみ先へ 進みけり 一途の様は 派手にあらずも
野の花は 季の奏でと 咲くなれば 惜しと見つつや わが日暮らさむ
(注)掲載の写真は英坊3氏のブログからの転載です。