カテゴリ:友人ほか
今日(26日)はかつての勤務先会社の仲間有志の集まりである健人会の夏の例会でありました。この会は滋賀県に所縁のある人たちが集まって年に何回かゴルフをするというのが会の出発点であったようですが、滋賀県と無関係の小生やその他の人も参加するに及び健人会という名になったよう。小生は退職後はぱったりとゴルフはしなくなったので、夏の暑気払いの昼食会と年始の新年会の宴会だけに参加している次第。 昨年は雨の天気予報であったので、自転車ではなく電車のみの移動でした。 この逢坂の関の碑も昨年の記事に写真を掲載していますので、今回は違うアングルから撮影しました。昨年は徒歩であったので、大谷駅に引き返して電車に乗り、次の駅の上栄町駅で下車して、関蝉丸神社下社を訪ねたのであるが、今回は自転車なので、そのまま逢坂山を下って行くこととする。 すると、弘法大師堂というのがありました。由来などは知る由もないが、立ち寄って行く。「野ざらし紀行」にある松尾芭蕉の有名な句「山路来て何やらゆかしすみれ草」は、前書きに「大津に出(いづ)る道、山路をこえて」とあり、貞享2年(1685年)芭蕉が逢坂山を越えて京都から大津に入った際の句であるから、この付近で詠んだ句かも知れない。 お堂は格子の扉で内側から板が貼られていて内部は見えない。しかしひと舛 だけ貼られていない場所があったので、其処から内部を撮影したのが下右の写真。カメラだと自動補正するので、このように明るく写るが、肉眼では暗くてよくは見えないのであります。 大師堂から更に下ると、関蝉丸神社上社がありました。昨年は下調べもせずに行ったものだから、上社があることを知らずに下社の方に回ってしまった次第。 逢坂1丁目 の信号の先で道を左に直進すると国道161号となり、下社の前を通ることとなるが、右に取ってそのまま国道1号を進む。そのまま道なりに行くと瀬田の唐橋に至るのであるが、湖岸の道も走りたくなり、相模町交差点で左折し、JR線下を潜り、京阪膳所本町駅前の踏切で京阪線を渡り、膳所城趾公園へと向かうこととする。膳所本町駅の先にあったのが膳所神社。
膳所神社の表門は膳所城の城門を移設したものとのこと。 膳所神社を出て、膳所高校を左に見て広い通りを東に進むと膳所城趾公園である。
石鹿地蔵というのが膳所城跡公園の北寄りにある。膳所城が明治になって廃城・取り壊しとなった際に城の礎石に使われていた石地蔵が放置されたままとなっていたのを地元の有志の方が祠を建ててお祀りしたのがこれだそうな。石鹿というのは、膳所城は石鹿城とも呼ばれるから、それからの命名か。 膳所城跡公園からは近江大橋が見える。 若者が二人、ボートの上で釣りをしていましたが、それも何やら風景になるのが琵琶湖である。 膳所神社や膳所城の詳しいことは<参考>で貼り付けたサイトをご覧いただくこととし、湖畔の道を行く。遠くに近江富士と言われる三上山も見えている。 近江八景・粟津の晴嵐の碑もありました。この西方200mの旧東海道沿いにあった松並木も今は見られなくなっているので、その復活を祈念して湖岸のこの地に松を植樹したのだそうな。
JR東海道線高架下を潜り、瀬田の唐橋を過ぎ瀬田川沿いに石山寺方面へと向かう。京阪石山寺駅の南側の大津放水路の手前で遊歩道から国道422号に出る。伽藍山に沿った歩道に一段高くなった部分がある。これまで何度も目にしてきたが何と言って疑問も持たなかったのであるが、考えてみれば不自然なこと。この部分の地下には縄文時代の貝塚遺跡が眠っているのだそうな。 今日の昼食会の会場である「新月」に到着。午前10時45分。早過ぎるので、石山寺門前の喫茶店で時間調整をすべく、更に瀬田川沿いを下る。 喫茶店には「われのほか誰とても客はなかりき」。火照った身体を冷やすには何と言ってもかき氷である。クーラーに当たりながらかき氷をいただく。途中で年配のご夫婦とそのお嬢さんと見られる若い女性の三人組の客が入って来られました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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