カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
昨日の記事の続編です。 多神社・小社神社を後にしたところから始めます。 飛鳥川自転車道は、飛鳥川沿いに、左岸になったり、右岸になったりして下流へと続き、大和川に合流する手前で終点となる。そこからは大和川を渡り、富雄川沿いに行く道、もう少し下流の龍田川沿いの道から法隆寺、大和郡山市を経て、平城京経由で奈良坂までの奈良自転車へとつながっているが、誘導サインなどが不備であるほか、未整備区間もあって、いつの間にか一般道に迷い込んでしまうということがよくある。 それはさて置き、飛鳥川沿いに北へと走る。 (飛鳥川自転車道と桜並木・新木地区付近) 新木地区を過ぎ、薬王寺地区にさしかかると、飛鳥川は左(西)へと大きくカーブし西向きの流れとなる。 橿原バイパスの高架下を潜ると、小さな祠がある。菅原神社である。菅原神社を過ぎて、飛鳥川が直角に右折、北向きに流れを変えた付近に小さな橋がある。この橋で飛鳥川の対岸(左岸)に渡り、西に進むと、曽我川に出る。 (曽我川・橋上橋から上流を望む。) 曽我川は飛鳥川と並行して、その西側を流れている川である。この川も大和川に流れ込む川である。この曽我川に架かっている橋の名が「橋上橋」という面白い名の橋。この橋上橋で曽我川を渡ると、そこは百済地区である。川を渡って一つ目の交差点を左に入ると百済寺である。18日の銀輪散歩では立ち寄らなかったが、今回はこれに立ち寄ることとする。 百済寺には一昨年(2016年)の1月に立ち寄っているので、それ以来の再訪である。 <参考>山辺赤人歌碑を訪ねて 2016.1.12. 前回訪問時に上記記事で関連写真を掲載しているので、重複するのであるが、今回も写真を撮りましたので、これを掲載して置きます。説明については、上記の参考記事をご参照いただくこととし、ここでは省略します。 (百済寺・三重塔) (同上・本堂) (同上・説明板) (境内の万葉歌碑) 百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りし鴬 鳴きにけむかも (山部赤人 万葉集巻8ー1431) (春日若宮神社・鳥居) 春日若宮神社と百済寺は混然一体になっている。 (同上・拝殿) 来た道を引き返し、曽我川畔に戻る。 (曽我川畔の道) 橋上橋から曽我川右岸の道を下流へ、弥都波能売神社まで走る。 (弥都波能売神社) 弥都波能売神社はこじんまりとした「かわいい」という言葉が似合いそうな佇まいの神社。 弥都波能売は古事記による表記、日本書紀の表記では罔象女である。水神であり、女神である。詳しくは下記の<参考>をご参照いただきたいと思いますが、イザナミの尿から生まれた神である。 この神とは昨年の11月に榛原の三十八神社以来の対面である。 <参考>ミヅハノメ・Wikipedia 中学時代の級友との大宇陀万葉ウオーク下見 2017.11.10. (同上) 弥都波能売神社から、道をジグザグに取りながら飛鳥川の方へと走っていると、松本寺があり、その西側に神社が見えたので立ち寄ってみた。 (三ノ宮神社) 神社の玉垣に下掲のような説明板が掲示されていました。 (田原本町 町・村の歴史 大字 松本) 18日の銀輪散歩で立ち寄った三宅の原に到着。 百済寺の犬養万葉歌碑にご挨拶申し上げたので、それとの平仄をとるべく、三宅の原の犬養万葉歌碑にもご挨拶申し上げることとする。 (三宅の原) 1週間前に訪問したばかりなので、「何や、また来たのか。」と言っているみたいな歌碑でありました。 (三宅の原万葉歌碑) 再び、飛鳥川畔に戻り、大和川との合流点を目指して走る。 川西町に入って、大和川との合流点手前の橋の付近で飛鳥川自転車道は突然に終点となる。18日は、ここで東へと進路を取り、近鉄橿原線の結崎駅で銀輪散歩完了としたのであるが、今回は飛鳥川の河口を見届けるべしがミッションの一つ。で、土手に上がってみる。すると草が生えてはいるものの通れない道ではない土手の道が橋の手前に通じている。これを行き、橋のたもとに来ると道の向かいに、舗装された道が飛鳥川沿いに河口に向かって続いているのが見てとれました。その道が大和川にぶつかって右へとカーブする辺りから撮ったのが下の写真である。 左から流れ込んでいるのが飛鳥川。右の川が大和川で、手前から奥へと流れている。 (飛鳥川と大和川の合流点) 道が右にカーブして大和川左岸の道となったところに橋があった。 幅の狭い人道橋である。それを渡り、右岸の道に出て下流へと走る。 (菜の花と大和川) 大和川の土手には菜の花、水仙などが咲いて、目を楽しませてくれる。スノーフレーク(鈴蘭水仙)の花もありました。 (富雄川と大和川との合流点) 西名阪自動車道の高架下を潜ると富雄川と大和川との合流点である。 右から富雄川ともう一つ名前不明の細い川が流れ込み、左側を手前から奥へと大和川が流れている。 富雄川沿いに少し上流まで行き、一つ目の橋を渡り、対岸の道を通って、再び大和川右岸へと走る。 富雄川沿いの桜並木は飛鳥川畔のそれよりも開花が進んでいて、満開と言ってもいいような木もある。 (富雄川右岸の桜並木、大和川との合流点手前) こんなに早く満開になってしまってどうするの。 4月7日に若草読書会のお花見会を予定しているヤカモチとしては頗る心配、気が気でないのでありました(笑)。 今日、28日のわが家周辺は、既に満開、散り始めている木もある状況にて、現時点の心境は、もうどうにでも、と諦めのそれではありますが、24日時点ではまだそんな気持ちであったのでした。 そして、しばらく走ると沈下橋です。車が渡るところを暫し眺めていました。 (沈下橋) いつであったか、ひろみの郎女さんと中学時代の恩師のお墓参りをした際に、対岸の土手の道からこれを眺めたことがあったなあ、など思い出しながら、橋を渡る車を見ていたという次第。 <追記> ひろみの郎女さんの下記コメントからこの沈下橋の写真を掲載している 過去記事を見つけましたので、紹介して置きます。 〇龍田から斑鳩の里へ(その1) 2016.6.27. (同上) 上の軽トラ、ちょっと左に寄り過ぎの気もするが、ドライバーの目線からはこれで中央なのかも知れない。 次は龍田川との合流点になる。これも少し龍田川沿いに上流へと遡って対岸の道から大和川沿いの道に戻るということをしなければならないのであるが、ここは遡るついでに三室山に立ち寄ることとする。 (龍田川と大和川との合流点) 「みもろ(御儲、御諸、三諸)」と「みむろ(御室、三室)」とは同根の言葉。神の居ます場所の意味。万葉で「みもろの山」と言えば、三輪山のこと。 従って、三輪の「みもろ山」に登ったのであれば、龍田の「みもろ山」にも登るのが礼儀というものであろう、という次第。 (三室山登り口) 登山口には百人一首でお馴染みの、能因法師の歌と在原業平の歌が刻された石版が石垣に埋め込まれている。こういう形態のものを歌碑と言っていいのかどうか判断に迷うが、「碑」は「いしぶみ」であると考えれば、これも亦「うたのいしぶみ」にて「歌碑」である。 <参考>5人組ウオーク下見・王寺から郡山城まで 2017.3.13. 5人組ウオーク本番・王寺から大和郡山まで 2017.4.1. 平群-竜田川-大和川-龍田大社-竜田越え(その2)2009.9.4. (三室山の桜) (頂上付近からズームで撮った桜の写真) 頂上の休憩所までやって来ると、男女数名の集団がこの東屋の前にビニールシートを広げてお花見をされていたよう。その後片付けの最中。 綺麗に後片付けをして下山して行かれました。お花見はすべからくこのようなマナーでありたいものです。 (頂上の休憩所) 頂上の休憩所建物の脇に石塔が建っている。能因法師の供養塔と伝えられるものである。上の写真では右側の2本の木の後ろにそれが少しだけ写っています。能因さんはこの麓の集落に住んで居られたのだそうな。 (頂上からの眺め 南東方向) ※眼下の川が龍田川。右手に写っている建物は斑鳩西小学校の校舎。 三室山から下山。まあ、下山と言えるほどの山でもありませぬが、ともかくも平地に降り立って、大和川べりに出て、王寺駅へと向かう。一つ目の橋、昭和橋を渡って、坂を下って行くと王寺駅前である。 ここで、銀輪散歩終了。既に午後5時を過ぎていました。電車で帰途に。最後までお付き合いありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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