カテゴリ:銀輪万葉
先般の嵯峨野・桂川自転車道銀輪散歩では、その合間にこんなところへも立ち寄りました。
妙心寺・東林院の「梵燈のあかりに親しむ会」という催し。何処やらのホテルからのメールでこの催しのことが紹介されていたのを目にして、立ち寄ってみたもの。日本一暗いライトアップ、とかナントカと紹介されていたように記憶します。 <参考>東林院・Wikipedia 【動画あり】秋の夜長を優しく彩るあかり・産経新聞2018.10.24. (東林院・梵燈のあかりに親しむ会) 東林院は「沙羅双樹の寺」として知られていて、小生も、境内の夏椿のネット画像によって、その名を知った寺である。日頃は非公開の寺であるが、毎年6月の「沙羅の花を愛でる会」と10月の「梵燈のあかりに親しむ会」の時には、一般の者も入ることができるという次第。 (松風一味禅 <しょうふういちみのぜん>) 庭にロウソクのあかりで描かれた言葉は「松風一味禅」 「一つ松幾代か経ぬる吹く風の声(おと)の清きは年深みかも(市原王 万葉集巻6-1042)」という歌を思い出したりもしましたが、これも一味の禅でありますかな。 (松風一味禅) (松風一味禅) 撮影の角度が悪くて「松風一味禅」が一つの画面に収まらず、且つ読み辛くなっていますが、これも珍味とお赦しあれ。 松風も 一味の禅と 梵燈の 語らく聞くも 禅にやあらむ (煩家持) 来し方をゆらぐあかりに見つつもや そひてたぐひて黙してありき(黙家持) 言葉は禅語からの引用のようですが、昨年は、 秋清風月佳(あききよくふうげつよし)、で それ以前では、 秋月照山峰(しゅうげつさんぽうをてらす)、 秋風一味涼(しゅうふういちみのりょう)、などもあったようです。 (○△□) 分かりにくいでしょうから、正面から撮影。 (同上) □は、とらわれた心を表す。四角の枠に囲まれ、その枠から外に踏み出せずにいる人間の心の状態を表している。△は、座禅をしている姿、坐相を表す。仏と一体となった姿を象徴している。そして、○は、円相。悟り、真理、仏性、宇宙全体、とらわれない心を象徴している。 とらわれた心が座禅によってとらわれない心となり、絶対真理、悟りへと至るというようなことを示しているのでもあるか。 うつせみは 数なき身なり 山川の さやけき見つつ 道を尋ねな (大伴家持 万葉集巻20-4468) (○) (妙心寺地図) さて、妙心寺は以前銀輪散歩で立ち寄ったことがある。 一昨年の1月に仁和寺、金閣寺と回った際に妙心寺を通り抜けている。この折の銀輪散歩は記事にしないままであったが、妙心寺総門脇の柿の写真を何かの記事の写真に使用したので記憶に残っているのでありました。 で、調べてみると、それはこの写真でした。 (妙心寺総門脇の柿) この時は、北側の総門から入り、大法院、仏殿、法堂などの前を通っているようですが、記憶が曖昧。まさに通り抜けただけのようです。 ついでなので、その折の写真も参考までに掲載して置くこととします。 (妙心寺・総門)<参考>妙心寺・Wikipedia 今回は、南側の入口から入っているので、この門は通っていない。 (同上・大法院) (同上・大法院由緒) 大法院も東林院とは反対側に位置するので、今回はコース外。 一昨年の時も、偶々前を通りかかったら、佐久間象山塔所という文字か真田家菩提所という文字かに引かれて写真を撮ったのだろうが、記憶が曖昧である。 (象山佐久間先生墓道の碑) (同上・法堂と仏殿) 東林院は、北側の総門から入ると、この仏殿の前で左折する。南側から入ると右折ということになる。今回は、暗い中をこの前を通って東林院へと向かいました。 (同上・大方丈) これは、法堂の隣にあった建物。ついでに撮っただけか(笑)。 しかし、これが本堂みたいなもののよう。 以上、嵯峨野・桂川銀輪散歩の余録でありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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