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偐万葉田舎家持歌集

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2020.02.16
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カテゴリ:銀輪万葉
 ​​友人​との電話の会話で、
 「最近はブログもこれといったネタが無くて・・」と話したら、
 「小石でも撮って記事にしたら」と言われ、
 「そんなことをしたら、いよいよ話題に窮して血迷ったかと思われる」と言ったものの、小石一つを記事に仕立てることができれば、かなりの文才というものだと思った次第。
 そのような文才もこれなくあれば、と過去に撮影してブログに取り上げていない写真は、とPCのアルバムを探すと、京都・下鴨神社の境内摂社である河合神社の境内にある、鴨長明の方丈庵を復元したという建物の写真が目にとまった。
 鴨川べりを銀輪散歩した折に下鴨神社に立ち寄った際に撮影したもののようで、下鴨神社の写真などと並んでファイルされている。
 で、今日は、鴨長明と方丈記に関連した記事でも書いてみることとします。
 下鴨神社は、正式には賀茂御祖神社という。
<参考>賀茂御祖神社・Wikipedia

(下鴨神社・南口鳥居)

(同上・舞殿)
(同上・由緒)
 摂社である出雲井於神社の写真もある。

(同上・摂社出雲井於神社)

(同上・摂社出雲井於神社本殿)
(同上・出雲井於神社由緒)
 こんな写真もありました。

(同上・反り橋)
 これは、みたらし川に架かる橋で、神様がお渡りになるものにて、しめ縄が張られている。

(賀茂建角身命と玉依媛命か?)
 茶店の前に据えられていたかと記憶するが、下鴨神社のご祭神を表現しているのかも。
 ところで、
下鴨神社の公式サイトにあるイラストマップによると、みたらし川の下流部分が「奈良の小川」となっている。
 百人一首で有名な歌、風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける(藤原家隆 新勅撰集192) の「ならの小川」であるが、この歌碑は上賀茂神社の方にあった筈、と調べてみると、果たしてその通り。当ブログ記事にも掲載している。
<参考>風そよぐ谷町筋をわが行けば 2017.9.23.
 従って、上の家隆の歌でいう「ならの小川」は上賀茂神社の境内を流れる小川であるが、下鴨神社のイラストマップにも「奈良の小川」があるということは、神主が禊をする川のことを、この両神社では「奈良の小川」と呼んでいるのかもしれない。
 で、そのイラストマップによると、「奈良の小川」が南口鳥居の南側で参道の下を東から西へと潜り、潜った先で向きを変えて、参道と並行して南へと流れる部分が「瀬見の小川」と表示されている。
 この「瀬見の小川」は、鴨長明に些か関係してくるのである。
 彼は下記のような歌を詠んでいる。
石川や せみのをがはの 清ければ
        月も流を たづねてぞすむ (新古今集巻19-1894)

 前振りが長過ぎましたが、ようやく鴨長明さんの登場です。
 この歌は賀茂社の歌合でつくったもの。
 歌合とは、対する二人が詠んだ歌の優劣を判者が勝ち負けを判定するというものであるが、この時の判者・源師光が「石川やせみの小川などは聞いたことも無い川で、あるのかどうかも疑わしい」として、長明のこの歌を「負け」と判定する。
 ところが、この判定は公平を欠いた判定であるという​​噂が立ち、あらためて判をやり直すこととなる。
 新しい判者・顕昭法師が、石川やせみの小川は私も聞いたことがない、本人にあたってみようと、判定を留保して鴨長明から説明を受ける。すると、長明は「是はかも河の異名なり。当社の縁起に侍る。」と告げる。
 これを聞いて、顕昭は驚き、保留にしてよかったと胸を撫でおろしつつ、「歌の様がよいので、これは私の知らぬ名所旧跡が別にあったりもするのかなどとも思い、その場所を確認してから、判定しようと考えました。」などと言い訳して、体面をつくろい、「勝ち」の判定に覆したのだそうな。​
(追記注:末尾参照)
 長明のこの歌から、瀬見の小川
(月までが瀬を見に来る小川)​を詠む歌人が多く現れることになったとのことで、この歌によって長明さんも「本歌取り」される歌人と相成り候という次第。
 さて、その長明さんの閑居したという、冒頭で述べた「方丈」です。

​​
(河合神社・神門)
 この神門を入って、右手にそれはある。

(同上・鴨長明が住んだ方丈の庵の復元)
 この河合神社も鴨長明とは因縁がある。
 鴨長明は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の禰宜・鴨長継の次男として、久寿2年(1155年)に、京都で生まれている。
 二条天皇の中宮・高松院(姝子内親王)の愛護を受け、応保元年(1161年)に従五位下に叙されている。
 しかし、承安2年(1172年)頃に、父・長継が没し、後ろ盾を失う。
 安元元年(1175年)長継の後を継いで下鴨神社の禰宜となっていた鴨祐季が、延暦寺との間に生じた土地をめぐる争いに関連して失脚し、その後任をめぐって鴨長明と鴨祐兼とが争うが、長明が敗北し、祐兼が禰宜となる。
 長明の曾祖父と祐兼の曾祖父は兄弟であったが、祐兼は他家から鴨家へ養子に入った人物であったようで、本流の血筋である長明は、祐兼にとっては何となく煙たい存在、長明にとっても祐兼は外様、お互いに性格も合わなかったのか仲が悪かったようである。
 元久元年(1204年)河合神社の禰宜の職に欠員が生じ、長明はこれへの就任を希望し、後鳥羽院からの推挙の内意も得ていたところ、祐兼が強くこれに反対し、自分の息子の祐頼を禰宜にしてしまう。
 これで、神職としての出世の道が閉ざされたと考えた長明は、近江国甲賀郡の大岡寺で出家し、東山、大原、日野に隠遁、閑居生活を​​​​​​​​​​送ることとなる。
 彼が出家したという大岡寺は以前銀輪散歩した折に立ち寄っているが、大岡寺での出家説は些か怪しいようではある。
<参考>大池寺銀輪散歩 2018.7.24.
 出家後は「蓮胤」と名乗ったそうだが、この名で彼を呼ぶ人は先ずいないだろう。
 方丈記は、「​于時、建暦ふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の菴にして、これをしるす。
(時に建暦2年<1212年>、3月晦の頃、僧侶である拙者、蓮胤、外山の草庵に於いて、これを記す。)​」という文章で終わっているから、長明58歳(数え年)​の作である。
 因みに、没年は建保4年閏6月10日(1216年7月26日)であるから、方丈記を書き上げた4年後、享年62歳で亡くなっていることになる。
 堀田善衛の著作に「方丈記私記」というのがある。1971年7月初版第1刷発行とあるから、50年近くも前の本である。
 小生が持っている本は初版第8刷で1972年11月発行であるから、その頃に読んだのだろうと思う。
 今回の記事を書くに際して、パラパラと拾い読みしたが、面白い本なので興味ある方は読んでみて下さい。

​​​
(堀田善衛著「方丈記私記」筑摩書房)
​​
(同上・目次)
​​​
(同上・第一頁)
​ 何年か前の古い写真と、何十年か前のもっと古い本とのコラボによる、記事アップでありました。
<参考>鴨長明​・Wikipedia
 最後に、鴨川べりの銀輪散歩道の写真と新古今集にある鴨長明の歌を掲載して、記事の締め括りといたします。

(鴨川、正面の森が、糺の森、下鴨神社)
​鴨長明の歌(新古今集より)
秋風の いたりいたらぬ 袖はあらじ
        ただわれからの 露の夕暮 (巻4-366)
ながむれば ちぢにもの思ふ 月にまた
        わが身ひとつの 嶺の松かぜ (巻4-397)
枕とて いづれの草に 契るらむ
       行くをかぎりの 野べの夕暮 (巻10-964)
袖にしも 月かかれとは 契り置かず
        涙は知るや うつの山ごえ (巻10-983)
ながめても あはれと思へ おほかたの
         空だにかなし 秋の夕暮 (巻14-1318)
よもすがら ひとりみ山の まきの葉に
         くもるもすめる 有明の月 (巻16-1521)
見ればまづ いとど涙ぞ もろかづら
         いかに契りて かけ離れけむ (巻18ー1776)
石川や せみの小河の 清ければ
       月もながれを 尋ねてぞすむ (巻19-1894)

(追記注)
堀田善衛著「方丈記私記」には、これに続く話として、「今度は賀茂社の禰宜祐兼が怒り出した」として以下のように記されている。
「祐兼は怒って言った、『石川の、せみの小川のなどということは、立派な歌人のそろった晴れの歌会、国王大臣などの、教養深い人たちの前でこそ詠めばいいのだ。われわれのような素人連中の前であんなことを言い出して、ひっかけるとは無念なことだ。一杯食わされた。』と。無理もない、と思われる。まして『当社の縁起』にあたることばを、当社の禰宜が知らなかったとなれば、祐兼の沽券にもかかわり、誇りも傷つく。腹が立ったであろう。」






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最終更新日  2020.02.17 13:11:04
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