カテゴリ:花
今日も「花」ですが、普通には「花」とは言わない花であります。
昨日のカエデが「か」文字であったので、今日も「か」文字続きで樫の木、カシであります。 時期的には、もう殆どのカシが花を落としてしまっていて、木の根元付近をを中心に、その周囲を薄茶色に染めて、その残骸が堆積しているのではないかと思いますが、これは4月16日撮影の写真です。 (カシの花) これではちょっと分かりにくいので、もう少しズームアップして。 (同上) カシは雌雄同株。 このように垂れさがっているのは雄花。雌花は若枝の付け根に直立した短いもので、目立ちにくいので、撮影は難しい。 カシにも、アラカシ、アカガシ、シラカシ、イチイガシ、ウバメガシ、ウラジロガシなどと、色々種類があるようですが、この木がなんというカシなのかまでは分かりません。関西地方にはアラカシが多いというからアラカシかも知れないし、木肌が赤っぽく写っているからアカガシかも知れない。 (同上) カシの出て来る歌は、万葉集に短歌2首、長歌1首の計3首ある。長歌は高橋虫麻呂の「河内の大橋をひとり行く娘子を見る歌」で、ひとりにかかる枕詞の「橿の実の」という形で使われている。 <参考>河内の大橋をひとり行く娘子を見る歌については下記記事参照 第2回ナナ万葉の会 2014.5.22.(現代語訳付き) 銀輪散歩・霞立つ野の上の方に 2014.3.2. カシの実は、殻に一個の実がなるので、「ひとり」にかかる枕詞になったと考えられている。 短歌の方は、額田王の歌と柿本人麻呂歌集歌の2首であるが、額田王のそれは上二句が未だ解読されていない難訓歌である。 どなたか解読に挑戦なさいませんか。 莫木囂交圓隣之大相七兄爪湯気 わが背子が い立たせりけむ 厳橿が本 (額田王 万葉集巻1-9) 手に余る 歌にしあれり 額田なる おほきみ詠める むつ橿が歌 (獏家持) 額田王の上二句は意味不詳であるが、三句目以下は「わがいとしい背の君が立っていらしたであろう、神聖なカシの木の下」という意味である。 「厳(いつ)」という字が付されているのは、それが神聖なものであることを意味する。 もう一つの柿本人麻呂歌集の歌はこれ。 あしひきの 山道も知らず 白橿の 枝もとををに 雪の降れれば (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-2315) 白橿も神聖な木。古事記歌謡にも「御諸の厳白檮がもと・・」というのがあり、「厳」が付されている。神武天皇が即位した地が橿原であるというのも、橿を神聖な木とする考え方と無関係ではあるまい。 ところで、カシは、今は「樫」と表記するが、万葉集では「橿」と表記されている。「樫」というのは日本で作り出された国字であって、中国からの漢字ではない。中国で「橿」と言えばモチノキまたはマユミの木のことであるという。万葉人はカシに「橿」という字を当てたのである。 昨日の記事の「楓」とよく似ている。 こういうケースは他にも多くあるのだろうと思うが、今思い浮かぶ例としては「柏」だろうか。「松柏」という言葉があるように、「柏」はあの柏餅を包む葉の「カシワ」ではなく、本来はヒノキ(桧、檜)のことであった。それが、どこで間違ったか、カシワの木の表記としてしまったのである。 ということで、松柏の柏ではなく、松の花に話を進めます。 と言っても松花堂弁当の話ではなく、文字通り、松の花の話である。 以前に、アカマツの雄花、雌花の写真を掲載したことがあったが、今回はクロマツ(だろうと思うのであるが)の雄花、雌花である。 (松の花<雄花>) 側面から伸びている茶色のものが雄花である。 雌花は先端部分に「咲く」(と言っていいのなら)。 (同上<雌花>) 植物には、裸子植物と被子植物とがあって、松は裸子植物である、などということは学校で教えられて知識としてはあるものの、さて裸子植物の花の構造などについては、詳しいことを教えられたのかどうだか怪しい、教えられたが忘れてしまったのか、或いは覚えぬままスルーしたのか、よく理解していない。 従って、このアト、松ぼっくりがどんな具合に生るのか、イマイチよくイメージできないヤカモチであります。この花の観察、今後も継続する必要があるということになります。 (同上) 松の万葉歌は多くある。萩や梅やもみぢの歌には及ばないが、桃や橘などと並ぶ多さで、桜よりもはるかに多く詠われている。 しかし、松の花を詠んだ歌はこの1首だけではないかと。 松の花 花数にしも わが背子が 思へらなくに もとな咲きつつ (平群女郎 万葉集巻17-3942) この歌は平群女郎が大伴家持に贈った歌であるが、家持からの返歌は残されていない。この歌は下記参考記事にも現代語訳付きで掲載していますので、ご参照下さい。 <参考>客坊谷から らくらく登山道へ 2020.4.13. その他の松の万葉歌もいくつか挙げて置きましょう。 白波の 浜松が枝の 手向け草 幾代までにか 年の経ぬらむ (川島皇子 同巻1-34) (白波が寄せる浜辺の松に、掛けられた手向けの幣は、どれほどの年月が経ったのであろう。) 磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む (有間皇子 同巻2-141) (岩代の浜の松の枝を引き結んで、幸いにも無事であったなら、また帰りに見ることだろう。) 一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも (市原王 同巻6-1042) (一本松よ、お前は幾代を経たのか。吹く風の音が清らかなのは、長い年月を経て来たからなのか。) 八千種の 花はうつろふ 常磐なる 松のさ枝を 吾は結ばな (大伴家持 同巻20-4501) (諸々の花は色あせ散ってしまう。常緑樹である松の枝を、私は結ぼう。) 本日は、「か」文字と「ま」文字の植物でありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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