カテゴリ:岬麻呂旅便り
友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 そして、赤湯温泉・烏帽子山神社へ。 この日のホテルへチェックインし、夕食を済ませてからだろうと思いますが、倉津川の夜桜見物へ。 大伴家持は、その歌の中で「小田なる山に金ありと」と詠んでいるが、この「小田なる山」というのが、ここ宮城県遠田郡涌谷町黄金迫にある山、すなわち、式内社・黄金山神社のある山と解されているのである。 天平感宝元年五月十二日、越中国の守の館にして、大伴宿禰家持作る。 陸奥国に金を出だす詔書を賀く歌一首併せて短歌 葦原の瑞穂の国を 天降り 知らしめしける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝は 数へ得ず 尽くしもかねつ しかれども わが大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 朕が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みは せじと言立て ますらをの 清きその名を いにしへよ 今のをつつに 流さへる 祖の子どもそ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官そ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我をおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言の幸の 聞けば貴み (万葉集巻18-4094) 反歌三首 ますらをの 心思ほゆ 大君の 御言の幸を 聞けば貴み (同巻18-4095) 大伴の 遠つ神祖 奥城は しるく標立て 人の知るべく (同巻18-4096) 葦原の瑞穂の国を、高天原から降りてこられてお治めになった神である天皇のご子孫が、幾代も、日の神の跡継ぎとして治めてこられたその御代ごとに、お治めになっている四方の国々では、山も川も広々と豊かであるので、奉る珍しい貢ぎ物は数え切れず、言い尽くすこともできない。しかしながら、我が大君が民衆をお導きになり、大仏建立というよきことをお始めになって、黄金が確かにあるのかと思ってご心配なされていたところ、(鶏が鳴く)東の国の陸奥の小田郡の山に黄金があると奏上したので、ご安心され、天地の神々もお喜びになり、皇祖の神霊もお助けになり、遠い昔にもあったこのようなことを我が御代にも実現したのだから、治めるこの国は栄えるだろうと、神のみ心のままにお思いになり、あらゆる官人たちをお従えになるまま、老人も女子供もそれぞれが願う心の満ち足りるまで慈しみくださり、お治めになるので、このことが何ともありがたく嬉しいことだと、その思いを一層強くし、大伴の遠い祖先の、その名を大久米主と名乗り仕えた役目で、海を行くならば水に漬かった屍、山を行くならば草むした屍となっても、大君のおそばでこそ死のう、わが身を顧みたりはしない、と誓いの言葉を述べて、ますらおの清いその名を昔から今の世に伝えて来た家柄の子孫なのだ。大伴と佐伯の氏族は、その先祖が立てた誓いに、子孫は先祖の名を絶やさず、大君に従うものだと言い伝えて来た役目の家柄なのだ。梓弓を手に取り持ち、剣大刀を腰につけて、朝の守りも夕の守りも、大君の御門の警備は、我らのほかに誰もあるまいと、さらに誓い、その思いが一層増す。大君のありがたき仰せを聞くとかたじけなくて。 反歌三首 ますらおとしての心が湧き上がって来る。大君の有難いお言葉を聞くと。 大伴氏の遠い祖先の墓には目立つようにしるしを立てよう。人がそれと知るように。 天皇の御代が栄えるだろうと、東国の陸奥の山に、花咲くように黄金が現れた。 4月16日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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