カテゴリ:虫
一昨日(9月30日)の記事でルリタテハの幼虫の写真を掲載したが、その記事へのコメントで友人の小万知さんが、アケビコノハの写真を撮ったことをお知らせくださいましたので、その写真をメールで送っていただきました。
というのも、アケビコノハの成虫は過去に記事に取り上げているものの、その幼虫は目にしたことがなく、当ブログにも未登場なので、その写真を掲載するのもいいのでは、と思ったからでありました。 で、送られて来た写真がこれです。 元の画像はスマホで撮られたものであるのだろう、もっと縦に細長い写真でありましたが、ヤカモチにて上下を少しカットするトリミングを施したのが下掲の写真です。 (アケビコノハの幼虫) 写真では分かりにくいが、大きなドングリ目に見えているのは、やや頭頂部寄りの胴体背面にある模様である。頭部を体の内側に折り曲げて胴体にくっつけるようにしているので、ドングリ目模様があたかも目のようで、折り曲げ丸まった胴体上部全体が大きな丸い頭のようにも見える。 この虫にとっては、このポーズが最も安全な休息スタイルなのかもしれないが、お陰で、我々は「これは何?」と思ってしまう。 天敵に対する警告信号である蛇の目模様は、蝶の翅にもよく見られるが、アケビコノハは幼虫の背中にそれを備えているようです。 アケビの実を突っつきに来る鳥も多いことでしょうから、アケビの葉を食草とするこの虫にとって、生存可能性を高めるためには、この蛇の目模様は必要不可欠なものであるのだろう。 小万知さんは、まるでアニメ漫画のような顔を形成させているこの姿を見て、「可愛い」と表現されているが、まあ同感ですかな(笑)。 しかし、その見立て通りに、このような頭部を持った虫が本当に居たとしたら、奇怪、奇妙、ちょっと気持ち悪い気がしないでもない。 背中の黄色の網目模様の斑点模様も「蛇」のそれを真似ているのだろうと思われる。人の指先ほどの小さな虫にも「五分の魂」ならぬ「二個のドングリまなこ」である。 <参考>アケビコノハの過去記事 2017年12月12日 枯れ葉が舞い込んだ 2017年12月25日 アケビコノハのその後 虫ついでに、昨日の墓参の道の辺で撮ったジョロウグモの写真も掲載して置きましょう。 子どもの頃は、コガネグモやジョロウグモの区別が曖昧で、その肢などの模様から、オニヤンマの連想でオニグモと呼んでいたような気もするが、その記憶も曖昧。 大きな網状の巣を張る、コガネグモ、ナガコガネグモ、ジョロウグモは、遠目のチラッと見では似ていて区別がつかないから、結構混同していたのかもしれない。 (ジョロウグモ) ジョロウグモだろうと思うが、ナガコガネグモかもしれないという気もするので、自信はない。 蜘蛛と言えば、小学生低学年の頃、多分10歳にもなっていなかったかと思うが、自宅近くの小川で遊んでいて大きな蜘蛛に指を噛みつかれたことがある。 水面を走る茶色の大きな蜘蛛であったので、今更に「水辺の蜘蛛」でネット検索して調べると、どうやらそれはイオウイロハシリグモという蜘蛛であったようである。 小鮒つりしかの川・・ではないが、小川の水たまりになっている場所に入ってフナやドジョウを捕まえようとしていたのかもしれない。 水面を走って来た蜘蛛が人差し指の先にいきなり嚙みついた。強い痛みと大きな蜘蛛が指に噛みついているという想定外の事態にパニック。手を振っても離れない。胴体をもう一方の手で掴み引き離そうとするが、胴体が引きちぎれただけで、噛みついている頭部はそのまま。頭をつまんで食い込んでいる牙というか歯というか、それを丁寧に引き抜いて、ようやく事態収拾でありました。 幸い何らの毒も持っていなかったようで、痛みは噛まれた傷、薄っすらと血が滲んでいたかと思うが、傷跡が見てとれたものの、腫れたり炎症を起こすということはなく、噛まれた痛みがしばらく残っただけでありました。 その小川も現在は暗渠となり、拡張された道路の下を流れているので、そこに川があることに気づかない人も居る。 蜘蛛は喜母と言って、着物に付くといいことがあるとか待ち人がやって来るとかという俗信があったようで、衣通姫も、庭に蜘蛛が巣を張るのを見て、恋しいあのお方が今夜はやって来るのだわ、と歌を詠んでいるように、大事にされた縁起のいい虫であったようだ。ヤカモチも、幼い頃祖母から、家の中の蜘蛛は殺してはいけない、と教えられた記憶がある。 ハエトリグモの小さいのが、畳のへりなどをぴょんぴょんと跳ねている姿などは、何となくユーモラスで可愛いと思うものの、巨大な蜘蛛が現れたりするとちょっと不気味な気になるのは、幼い頃に指を噛まれたということから来る、一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)かもしれない(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[虫] カテゴリの最新記事
|
|