カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
前頁記事の竹内式部めぐりの途中、NSG美術館の前の道を東に進み、広い通りに出た左側角にあったのが砂丘館。旧日本銀行新潟支店長役宅だとのことだが、何やら書展が開催されているようなので立ち寄ってみた。 (砂丘館・旧日本銀行新潟支店長役宅) (同上) (同上・パンフレット1) ※パンフレットは、画像をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でお読みいただくのがいいかと思います。 (同上・パンフレット2) 砂丘館は、旧日本銀行新潟支店長役宅の通称。昭和8年(1933)建設で、戦前の日本銀行の役宅として現存するのは新潟と福島(昭和2年建設)の二つだけとのこと。 当初は西堀前通り六番町にあったが、柾谷小路の拡幅にかかり、現在地に移転。平成11年10月まで、8代から37代までの30人の支店長が居住。 平成11年日本銀行が新潟市に売却。平成12年6月から一般公開されてきた。平成17年指定管理者の公募が行われ、7月から芸術・文化施設として新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体による管理・運営に移行している。 (砂丘館の庭から) 砂丘館という名称は、新潟砂丘の上に立地していることに由来するのだろう。 さて、開催されていた書展というのは、新潟県下田村(現三条市)出身の書家、横山蒼鳳氏(1934年~2012年)の書展でありました。 同氏のことは何も存じ上げないが、通りがかったのも何かのご縁。入館無料でもあれば、建物内の見学も兼ねて書展も見せていただくことに。 (横山蒼鳳展) 玄関の戸を開けると、「出杭人生」という大きな書が目の前に。 (横山蒼鳳展1) (横山蒼鳳展2) (横山蒼鳳展3) 部屋や廊下などにさりげない形で書が展示されている。 「私は日本人として日本人にわかる文字で、しかも自分の言葉で書かないと、自分が書いたことにならない。そういう思いが念頭を去らない。」というのが同氏の書ということなんだろう。 (横山蒼鳳氏プロフィール) 奥の土蔵が砂丘館ギャラリーになっていて、そこが主たる作品の展示会場になっている。 同氏プロフィールによると「青年期、會津八一の薫陶を受け、」とあるから、竹内式部めぐりのかたわら、會津八一の歌碑や墓にも立ち寄った今回の銀輪散歩ということで、少しはつながりもあるということになるか。 (横山蒼鳳展4) はい、蔵に足を踏み入れるとこんな感じで作品が展示されているのでありました。 (横山蒼鳳展5) (横山蒼鳳展6) 蔵の2階にも作品が展示されている。2階に上がってみる。 (横山蒼鳳展7) (横山蒼鳳展8 同氏の著作) はい、1階に戻りました。 (横山蒼鳳展9) 「長命は最高の芸術」でありますか。 「長生きも芸のうち」という言葉もありますが、超高齢化社会となった現在の日本、最高の芸術家、芸達者が多数を占めているということになりますな(笑)。我が国最初の芸術家とも言われるのが大伴家持。1306歳の偐家持ともなると超最高の芸術家と言うべきであります(笑)。 (横山蒼鳳展パンフレット) (同上) 砂丘館を出て、白山神社へ。 (白山神社) <参考>白山神社(新潟市中央区一番堀通町)・Wikipedia (同上・随神門) (同上・拝殿) (同上・境内図) 戦国時代の一時期、白山神社・白山公園内には新潟城があったとのこと。 (同上・幻の新潟城) 日付は前後しますが、下編は信濃川沿いをふるさと村まで銀輪散歩いたします。(つづく) <参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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